12.17
私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の11 渡辺捷昭さんと仲良くなった
トヨタ自動車取締役の渡辺捷昭(かつあき)さんと初めてお目にかかったのは、野村證券名古屋支店の若手に示唆されて間もなくだったと思う。まずは豊田市の本社で会い、すぐに
「飲みましょう」
と誘った。記憶によると渡辺さんは酒を飲まない人だったが
「いいですね」
と快諾していただいた。
誘ったのはこちらである。こちらがご馳走するのは当然である。行きつけの名古屋・今池のちゃんこ料理屋にお連れした。我が方は
「私も行きたい」
というトヨタ担当記者など2、3人で迎え撃った。美味い魚とちゃんこ料理を食べさせてくれる店で、鍋をつつきながらいろいろな話をしたはずである。詳細については全く記憶にない。
次は
「今度はこちらで」
とお招きに預かった。確か、豊田市のトヨタ自動車関連施設だったと思う。
実に頭脳明晰、開けっぴろげな方で、どんな質問をしようと、イヤな顔1つせずにお答えいただいた。そうなると、頭に乗るのが私である。開けっぴろげに、日頃抱えているトヨタ自動車の車造りへの不満を口にした。
「まず、シートがいけない。体をきちんと支えてくれない。柔らかすぎる。皮シートは張りが強すぎるから滑る。ブレーキを踏むたびに腰が前にずれるてしまう」
「ドライビング・ポジションが決まらない。シートをどう合わせても違和感が残る」
「足回りもいかがなものか」
「デザインも洗煉性に欠ける」
もう、言いたい放題である。そのうち、渡辺さんが言った。
「大道さん、おっしゃることは分かる。あなた、わが社の技術陣の前で講演してくれませんか?」
?? 私は車については素人に過ぎない。素人の強みを活かしてトヨタの車への不満、買いたくない理由を並べているのに過ぎない。世の中に掃いて捨てるほどある素人談義の1つに過ぎない。少し変わりがあるとすれば、以前「ソアラ」の取材をした時、トヨタ自動車工業の技術陣から率直な話を聞いたことがある程度である。
あの時、私は国産車に対する最大の不満、シートの出来について確信を得た。トヨタの開発陣も決して今のシートに満足しているわけではない。欧州車を解体してシートをコンピューターで分析し、同じものを作ったつもりでも、実際に座ってみると座り心地が違う。何故なのか? そんな課題を抱え続けているとのことだった。
「俺の感覚もまんざら間違っているわけではないのだな」
というのが「確信」の核である。だから、車の専門家であるトヨタ自動車の人々にも、そして渡辺さんにも、車の出来についての議論をふっかけていたのである。
だが、たったそれだけの私が、トヨタの開発陣の前で講演する? それは……。
「いや、私もいまのトヨタの車には不満なんですよ。大道さんの話を是非開発陣に聞かせたい。お願いできませんか」
そりゃあ、無理ですって。ここはなんとか逃げなければならない。
「いや、講演なんてすることになると講演料みたいなものが発生しますよね。取材先からお金を頂くというのは記者としていかがなものかと」
「そこを曲げてお願いできませんか?」
段々と逃げ道がなくなってくる。さて、どうする?
「だったら、講演ではなく懇談ではいかがでしょう? それなら講演料もいらないし、私も話しやすい。私の拙い話が専門家に通用するかどうか自信はありませんが、そういう形でよければお引き受けします」
それから2、3ヶ月たった頃、渡辺さんから電話を頂いた・
「先日の話ですが、〇〇日の夕方というのはいかがでしょう? 働き盛りの技術者を5、6人集めます。そこにおいでいただけますか?」
さあ、もう逃げられない。私は恐々、指定された時間にトヨタ自動車を訪れた。
大変に広い会議室が用意されていた。渡辺さんに案内されて部屋に入ると、確かに5、6人の技術者が私を待ち受けていた。年の頃なら40代。脂が乗りきった働き盛りである。恐らく、トヨタ自動車の車開発の中核にいる人々だろう。大変なことになった。
しかも、である。渡辺さんは
「私はほかに仕事がありますので、あとはよろしくお願いします」
と言い残すと、部屋を出て行くではないか!
「あのう、あなたとは何度もお会いしているので話しやすいのですが、私、たった1人で初対面の専門家集団と話すのですか? そんな……」
という言葉が喉までせり上がったが、その時にはもう渡辺さんの姿は消えていた。