2023
12.21

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の15 入社試験の面接官になった

らかす日誌

仕事といえば、これも仕事である。ある年、私は入社試験の面接官を仰せつかった。
私が入社試験を受けた時の話に書いたが、朝日新聞は筆記試験で足きりをした後、面接で最終選考する。私が受験生の時は役員面接だけだったが、この頃は役員面接の前に現場記者の面接が設けられていた。高齢者ばかりの面接官では時代の流れが読めず、現場感覚も薄らいで、結果的に私のような不適切な社員を採用してしまった、という後悔の表れなのかもしれない、
いずれにしても、この頃の受験生は、2度の面接を経なければ朝日新聞記者にはなれなかった。

面接。それは限られた時間の言葉のやり取りで、受験生が朝日新聞記者に相応しいかどうか判断することである。だが、人の資質を見抜くのは難しい。30分や1時間の会話で、人の本質を見抜くなんてほぼ不可能だ。日常生活では、何度か顔を合わせ、どうでもいい話も交えた会話をし、時には酒を飲んで盛り上がりながら

「こいつ、変なヤツだと思っていたが、ひょっとしたらいい奴ではないか?」

と評価を積み重ねるのが普通だろう。
一目惚れ、という魔術のようなこともあるが、それが起きるのは極めて希である。人を評価するのはそれほど困難な作業である。私は何によって面接をパスし、記者になれたのだろう? 私を面接したお年寄りたちは、どんな評価基準を持って私を採用したのだろう?

人を選別するには基準がいる。あれこれ考えた末、私は

一緒に仕事をしたいヤツかどうか」

を基準にすることにした。採用されれば、いずれ私と一緒に仕事をすることになるかもしれない。頭が良く、知識が豊富な上気配りが出来て、というのも大切かもしれないが、仕事を一緒にするとなれば、そんなことよりも信頼できるヤツでなければ困る。

面接は午前10時頃始まり、終わったら午後6時を過ぎていた。この間、10数人に会った。面接官は私を含めて3人である。

面接に臨む受験生はみな、何とかして朝日新聞記者になりたいという強い思いを持っている。この面接で自分の人生が決まるかもしれないと思えば緊張するのは当然である。だが、緊張していては最高の自分を表現するのは難しい。できるだけジョークを交え、彼らの緊張を解いてやらるのも面接官の役目だろう。
同時に、受験生とは嘘をつく人たちでもある。なんとか採用されたいと思うあまり、自分を有能な人物に見せようとする。裸のままの自分では評価を得るのは難しかろう。有能な人物と見て貰うためには「有能」というに身を固めなければならない。そんな戦略が行きすぎると、どうしても嘘が混じってしまうのだ。だから面接官は、彼らが身にまとっている鎧を取り去らねば彼らの素顔に出会うことは出来ない。

彼らの緊張をときながら、彼らの鎧を取り去る。どこまで出来たか心許ないが、そうしようと思ったことだけは事実である。

「どうして朝日新聞記者になりたいの?」

とは全員に聞かねばならない質問である。ある受験生は

「私は大学、大学院で、環境保護を学んできました。今地球環境は乱開発で危機にあり、世界中で木が切り倒されています。このままでは地球環境を守ることが出来ない。そこで、環境問題に一貫した姿勢で取り組んでおられる朝日新聞の記者になり、これまで学んだことを活かして環境保護に向けた記事を書きたいと思いました」

なるほど、ご立派な決意ではあります。だが、私は「鎧」の臭いを嗅ぎつけた。そこで聞いてみた。

「立派な決意だけど、朝日新聞は紙に印刷されて各家庭に配られています。新聞用紙を作るためにどれだけの木が切り倒されているか知っていますか? ひょっとしたら朝日新聞はやたらと木を切り倒さねば維持できない環境破壊会社かもしれないが、それでもいいのですか?」

意地悪な質問かもしれない。だが、この程度の質問は上手く裁いてくれなくては困る。一面から見れば正しいことでも、別の視点からは正しくないということが世の中には沢山ある。そんなの世の中と対峙していくのが新聞記者だと私は思うからだ。

受験生とは

「私を採用してくれ!」

という熱意で固まっている。そのため、自分のアピールポイントを考えてくるだろう。多面性がある自分の何をアピールすれば門戸が開かれるのか。その中で選び取った自分を、時には多少の嘘を交えて身にまとう。上に挙げた受験生は、大学、大学院で環境問題を深く研究してきたことが最大のアピールポイントだと考えたのに違いない。
アピールポイントは人によってそれぞれ違う。面接官である私は、その鎧を脱がせるのに全力を挙げた。鎧を着たままでは素顔が見えないのである。素顔が見えなければ、いま目の前に座っている若者と一緒に仕事がしたくなるかどうかが分からないではないか。

そのためだろう。午後6時を回って面接を終えた時、私はくたくたに疲れていた。いや、体の方は椅子に座りっぱなしだから疲れるはずはない。疲労したのは頭である。何とかして素顔が見たいという願いから様々な問いかけ方を考え続けたためだろう。それが、元々キャパが少ない私の頭脳を疲労困憊させたのに違いない。

疲れ切った頭を回復させるには酒飲まねばならない。その日も経済部の誰かを誘うと、私は酒を飲みに町に出たのであった。