2024
01.14

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の69 ウイークエンド経済ではこんな記事も書いたのです

らかす日誌

そろそろ「ウイークエンド経済」におさらばしようと思っていたら、

「ああ、こんなこともやったな」

という記事が切り抜きから現れた。ご紹介したい。

1つは1990年7月2日に、東西ドイツの通貨が統合された時に

「何か出来ないか?」

と編集部で知恵を出し合った記事である。東西ドイツ統合の政治的、経済的、歴史的な意味、などといったお固い記事は当然、その担当者たちが書くだろう。ウイークエンド経済としては、もっと柔らかい記事で迫ってみたい。その結果がこれである。

東独製品は生き残れるか

私たちにあまり馴染みがなかった東独の製品に焦点をあてた。かつての東側諸国では東独の商品は高く評価されていたようだが、これからは先進資本主義諸国の製品群と市場で勝負しなければならない。東独製品は果たして競争力を持っているのだろうか?
その記事はこんな書き出しだ。

「東西両ドイツの通貨統合が実施されてから2週間。計画経済から市場経済へと大転換している東ドイツから、様々なニュースが飛び込んできます。調べてみると、その余波は、遠く日本市場にも及んでいました。貴重品、珍品など東独製品がブームになりかかっている半面、商品が入ってこないで困っている業者もいます。競争力のない東独企業ほとんどは倒産してしまうという予想もあり、日本市場から消え去るモノも出るかもしれません。身近な『Made in GDR』から、東独経済をのぞいてみました」

採り上げた東独商品は

・記念硬貨=1966年発行の10マルク銀貨は450ドル以上の価格がついていた。
・プラモデル=千葉県市川市に東独のプラモデルを売る店があった。
・腕時計=東日本キヨスクが輸入・販売を始めた。1個3000円。
・木工芸品=神奈川県逗子市に輸入している会社があった。
・楽器=河合楽器が生産を委託している工場が東独にあった
・自動車=フォルクスワーゲンに東独に新工場を建設する計画があった
・二次元測定器=東独のカール・ツァイス・イエナの製品は加工精度が高いという評価があり、日本にも180台輸入されていた
・マイセンの陶磁器=もともと評価が高く、値上げの動きが出ていた

自分で言うのも何だが、よくこれだけ調べたものである。このように、ひょっとしたら自分の身の回りにあるかもしれない商品を通じて東西ドイツ統合を覗き見れば、国際政治の動きも少しは馴染みやすくなるはずだ、というのは自画自賛が過ぎるだろうか?

もう一つは、見出しに語らせれば

緊急提案 夏のビジネスウエア

である。
何度も書いたが、私は高温多湿の日本の夏が大嫌い(最近はそうでもない。年齢のせいか)だった。こんな日本の夏を、私たちは何故スーツ、ネクタイ姿で過ごさねばならないのか。なるほど、ビジネスにはフォーマルな服装が必須であるのかもしれない。だが、フォーマルにはスーツ、ネクタイという暑苦しい格好で通さなければならないのか? 日本の夏向きの新しいフォーマルウエアを生み出すことは出来ないか?
と私が提案したのだった。だが、たかが新聞記者に新しい夏のファッションを提案する能力はない。であれば、新進のデザイナー、業界の重鎮ともいえるデザイナーに提案してもらおう。おっと、デザインを専門にしている人たちには既成概念が破りにくいかもしれない。奇想天外な発想を持つ人はいないか? そうだ、漫画家にもお願いしよう!
というわけで、2人のデザイナーと2人の漫画家に絵を描いてもらった。原稿料をお支払いしたことはいうまでもない。

その提案をご紹介しよう。

デザイナー1
シャツと上着を合体したニューソフトジャケット
⇒中肉の麻綿素材で、スーツとシャツを合体したジャケット。半袖のシャツを上着風にデザインしたものともいえる。胸には手帳が入るほどの大きめの手帳が入るぐらいのポケットをつける。裾は短めでズボンの上に出す。衿はシャツ風で、ここにネクタイをする。

デザイナー2
ジャンプビジネススーツ
⇒吸湿性があって高い放熱性を持つ新素材の開発を待ち、上下一体型のジャンプスーツをデザインする。全体にルーズフィットで、腰回りはゴムで締める。ネクタイはシャツのボタンに取り付ける。

漫画家1
ネクタイ風の柄入りシャツ
⇒シャツにネクタイ風の柄を入れるのがポイント。このシャツは半袖とし、上着は麻と綿の混紡で前開きのベスト風。ズボンは緩めのショートパンツ。

漫画家2
究極の分身セット
⇒マネキンにスーツ、ネクタイを着せ、自分はダボシャツ、ステテコ姿でこのマネキンを引いて歩く。いざ仕事という時はマネキンの服を剥ぎ取って着替える。

ま、たいしたアイデアはないともいえる。印象的だったのは

「せめてネクタイだけでもなくせないか」

という私の問いに、彼らは

「スーツのVゾーンの処理が難しい。ここに何もないとファッションとしてまとまらない」

と答えたことである。なるほど、あの逆三角形の空間を何かで埋めなければだらしなく見えるのか。着るものに関心がない私は1つ学んだような気になった。私の意にかなったのは「ネクタイ風の柄入りシャツ」だけである。だけどなあ……。
だが、最近はお堅い銀行でも夏場はスーツにノーネクタイが当たり前になった。ということは、ファッション感覚も時代と共に変わるということなのだろうか。

この記事には続きがあった。朝日新聞が経営していたCSテレビ局から出演依頼があったのだ。担当者がこの記事を見て

「面白い」

思ってくれたらしい。そうなると、出演するのは、この記事を提案した私しかいないことになる。あまりうれしくはなかったが、社業として出演を引き受けた。

番組のキャスターは、確か外報部の記者だった先輩である。事前に打ち合わせを持った。彼がこれこれの質問をする。その質問に私がこう答える。

「それで行きましょう」

私は安心してスタジオに入った。朝日新聞がやってるCSテレビ局。そんなもの、見るヤツがいるはずはないではないか。安心して勝手なことをしゃべっておればいいのである。

オンエアの時間が迫ると、カウントダウンが始まる。カウントダウンする人を何というのだろうか。デレクター? ま、とにかくその男性が

「10、9、8,7……」

とえ始めた。私でも少しは緊張する。

「6、5,4」

までカウントダウンした彼はそこで口をつぐみ、あとは右手の指を3本、2本、1本と出し、次にその手を振り下ろした。放送が始まった。

キャスターとのやり取りはスムーズに進んだ。取材して原稿を書くことに比べたら楽なものである。何しろ事前にやり取りを打ち合わせているのだ。それに従って話せばいいのである。こんな楽なことはない。
ところが、突然キャスターが打ち合わせになかった質問をしてきた。

「えっ、そんなこと、打ち合わせになかったじゃないか?!」

瞬時、戸惑った。焦った。何を答えよう?

それがどんな質問だったかは記憶にない。だが、

「見ているヤツなんていないさ」

と嘗めきって出演したはずなのに、その瞬間は1000万人の目に己の無様な姿をさらしたくない、という切羽詰まった思いに駆られたことだけは覚えている私である。
その映像は残っていないので、その時私がどんな様子だったかは不明である。自分ではうまく切り抜けたつもりなのだが、ひょっとしたら、この番組を見た数少ないはずの視聴者の一部に

「何だ、朝日の記者もたいしたことはないな」

という印象を与えたかもしれない。ま、その方も、いまでは私のことなど覚えたはいらっしゃらないだろうが。

ウイークエンド経済編集部。心から楽しかった。
そろそろ、「2度目の名古屋経済部」に戻る時間が来たらしい。