2024
01.15

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の19 忘れていたが、東海銀行にはもう一つ事件があった

らかす日誌

年末に次女一家がやって来た。ファミリーレストランで一緒に食事をするだけの短い滞在だった。両親、つまり我々夫婦の老い方を観察に来たらしい。なししろ最近は、妻女殿が子どもたちの来訪を拒否されるのだから、老いた両親のことを気にかけているだろう子どもたちも、この桐生の家に宿泊するわけには行かない。それでこのような訪問の仕方になった。

その際、横浜においていた、私の書いた記事の切り抜きを全部持ってきたもらった。それを眺めていたら、2度目の名古屋経済部についての私の記憶はかなり混濁していたことが分かった。どうやら、東海銀行の不祥事は、先に書いた不正融資事件だけではなかったようだ。もう1つ「転がし取引」という事件があり、この2つが私の頭の中で1つにまとまっていたようである。そして、大阪まで取材に出かけたのはこの『転がし取引」の取材だったようだ。いずれにしても、74歳の惚け具合が明白になった。そして、東海銀行はお騒がせ銀行であった。

「転がし取引」というのは、当時の記事によると

「東海銀行が、一定の利益を保証する『確定利付き』などと顧客に説明して株式や債券、ワラント(新株引受権)を購入するための財テク資金を融資し、次の客により高い価格で引き取らせる『飛ばし』に似た『転がし取引』に関係しながら融資を拡大していたことが8日明らかになった。『金融バブルの崩壊でこれらの取引が破綻し、結果的に、顧客7社への総額90億円の融資が、元本の返済や金利の支払いを受けられない焦げ付き状態になっている」

というものである。「8日明らかになった」という書き方は、これも特ダネであったらしい。何という活躍ぶりであろう! 12月9日に最初の記事が登場し、その後10日、11日、16日、17日、18日、20日、23日と矢継ぎ早に記事が出ている。綿密な取材を積み重ねた上で、集中的に記事にしたものらしい
この取引には大阪の光世証券の元役員も関わっており、客に取引を紹介した東海銀行の責任、取引に関わった元役員を雇用していた光世証券の責任、契約内容に曖昧な点が含まれていたことをよく確かめずに損失を出した客の過失責任が絡み合い、どこかどれだけの責任を負うのか、が争われたはずだが、結果は不明である。多分、結論が出る頃には、私は東京に転勤していたのだろう。

しかし、である。あのバブル時代、銀行とは合法、不合法、犯罪すれすれの各種の手法を使い分け、それを火吹き竹のように使ってバブルの炎を燃え盛らせていたわけだ。恐らく東海銀行だけでなく、多くの銀行が似たような行動をしていたはずである。それが表沙汰になった東海銀行が頓馬だったのか。それとも隠しおおせた他の銀行が狡賢かったのか。それにしても、他の銀行を担当した記者たちはいったい何をやっていたのだろう?

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の8 最高権力者の出処進退」で書いた、当時の東海銀行会長に引導を渡す狙いで書いた記事も現れた。「拡大戦略のツケ 東海銀行不正融資事件』という連載の最終回、5回目である。思い出深い記事なので全文をご紹介する。

「『今回の処分は、無責任の見本のようなモノでしたね』——東海銀行が3日決めた秋葉原支店の事件での役員処分を聞いて、ある金融関係者はこう言い切った。
経営責任を取って辞任することになったのは、日銀出身の新井永吉副会長1人だけ。あとは会長以下の代表取締役5人が半年間の減俸だ。新井副会長は東京常駐役員で最高位とはいえ、担当は研修、厚生、調査、検査だけ。秋葉原支店とも国内営業とも縁がなく、引責辞任は筋違いともいえる。『東海銀行は、彼の辞任で謝罪の形を整えたつもりだろうが、逆に、きちんと責任を取っていないことが明らかになった』というのだ。
今回の経営責任の取り方は、経済界でも評判が悪い。
『副会長の辞任は、事件の責任を取ったという感じはしない。事件を口実に、かねてからの人事構想を実行しただけではないか』とあるメーカー役員。地銀幹部も『軽すぎる。本来責任を取るべき責任者が、たった半年の減俸なんて』という。
東海銀の加藤会長が回答を努める名古屋商工会議所の有力者は『意外な処分。本来は会長が最終的な責任を取らざるを得ない事件だ』と断言した。『何しろ、加藤さんは、銀行でも会議所でも超ワンマン。いまの東海銀は、加藤さんそのものだから』
加藤会長が、病気療養の谷信一・元頭取に代わって臨時頭取代行に就いたのが1980年3月。その年5月に頭取に昇格し、86年からは会長を兼務した。88年に頭取職を伊藤氏に譲った後も最高実力者の地位に揺るぎはない。
権力の源泉は人事権。『会長は、行内、関係会社の人事権のかなめはすべて握っている。伊藤頭取就任後、同期入行の稲垣伊久男副頭取を役員に残して頭取を牽制しているのも、会長流のやり方だ』と同行OBは証言する。
だが、頭取になってから、すでに11年半。行内の中堅幹部からも、長期政権への批判が出始めた。
『会長は最近、人の話にほとんど耳をかさない。当行の経営問題は行き着くところ、会長の長期政権が続いて、自浄能力がなくなっていることにある』
『骨のあるバンカーらしい人は、すべて追い出された。会長こわわさに、下は耳障りな情報を、会長の耳に入れなくなっている』。会長を支える伊藤頭取以下の役員陣のふがいなさを嘆く声でもある。
こうした加藤体制もとで、東海銀行はバブル経済の渦に突っ込んでいった。
加藤会長はいう。『株主に対する責任として、収益は大事だと今でも思う。が、バブル経済は前から批判している。ノンバンクを使って協力預金をさせろと命じた覚えもないし、ましてや秋葉原支店の事件のような不正を働けなどといったことはない』
ただ、その一方で『私は成績の芳しくない支店に時々ふらりといって、はっぱをかける。支店長以下、びっくりして、よく働く』と常々語っている。本人の気持ちはどうあれ、会長の言動が1万2000人の行員には大きなプレッシャーであることは間違いない。
『何もかもすべてを、最期に引き受けるのが最高責任者。威張るときだけ威張っていてはいけない。その程度の責任感は常に持っておくべきだ」。ある企業経営者はこう語っている」

以上である。東海銀行が新井副頭取の引責辞任を発表したのが10月4日。この記事が出たのが5日。ということは、副頭取人の記者会見を聞いて急遽書いたものである。それだけに取材が行き届いていない点もあるが、とにかく私は銃弾を放ったのだった。そして、個人を対象に一方的な議論すれば、どこまで意見が一致し、どこから意見が分かれてくるかが浮き彫りになる。そこまで議論を詰めた上で、

「私は記者として、これこれの理由で、やっぱりこちらを取らねばならないと思うから、こういう観点で批判する記事を書かせてもらう」

と事前に断っていたからだ。だが、この時はそんな暇はなかったのである。