2024
01.28

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の10 デスクという仕事

らかす日誌

①ウイークエンド経済編集部にはデスクが2人いて、週替わりでフロント面を担当した。

②ウイークエンド経済は土曜日の夕刊に掲載される。原稿の締め切りは土曜日朝である。

③新聞記者とは、時間が許す限り取材をしたいものである。頭の中は常に

「あの人にも半紙を聞くことが出来たら、もっと深みのある記事になるのではないか」

という思いがある。だから執筆にかかるのはギリギリの時間である。ギリギリの時間に書き始めて、

「もっと時間をかければ、より良い記事になるはずだ」

と思い続ける。極端に言えば、デスクが原稿を奪い取るまでペンと原稿用紙を離さない。当時はワープロでモデムを使った電話送稿だったから、デスクに怒鳴り込まれるまでモデムに繋いで送稿しようとしない。

以上の3つの条件がミックスされるのが金曜日の夜である。フロント面の担当記者はギリギリの時間まで会社に戻ってこない。書き始めるのは午後9時か10時か。その原稿が書き上がるのをデスクはじっと待つ。日付変更線までに原稿が出来れば御の字だ。1時を過ぎればさすがに心配になる。2時になると

「何してるんだ?」

とイライラしてくる。こちらは記者が書き県ばかりの原稿を「商品」にしなければならないのだ。それなりの時間がかかる。勢い、徹夜になる。

まだウイークエンドの記者だった時に、福岡でのマンション価格急騰の原稿で3週続けてフロント面をつくったと前に書いた。取材する記者は出張先の福岡や大阪から戻ってくる。8時に戻れば早い方で、現地でギリギリまで取材した記者は10時、11時にやっと顔を出す。原稿を書き始めるのはそれからである。
やがて、少しずつ原稿が出来上がって、アンカー役の私に集まる。だが、出て来た原稿はパーツに過ぎない。すべての原稿をまとめて筋が通る1本の原稿にするのがアンカーの仕事である。もう1つ、原稿の分量を1ページに収まるように調整するのもアンカーがやらねばならない。全員の原稿が集まるまではアンカーの仕事は始まらない。

午前4時半頃、担当デスクから電話が入った。

「どう?」

ニュースステーションにも出ていたTaさんである。のんびりした声なのは、原稿を急かしたらろくな結果にならないことを知っているからだ。記者とは締め切りに間に合わせようと必死で原稿を書くものなのだ。原稿が出て来ないというのは、まだ記者が頭をかきむしりながら原稿と格闘しているということを、Taさんは自分の体験から理解しているのだろう。

その日、やっと原稿の送稿を終えたのは午前5時ごろだった。当時のたまり場は内幸町のプレスセンタービル内になる朝日新聞別室である。それから記者一同はタクシーを拾って会社に行った。人気がなくなった編集局に、Taさんが1人、私が送稿した原稿を見ていた。

「済みません、遅くなっちゃって」

と言う私に、Ta さんはいった。

「あ、ご苦労さん。もうみんな帰ってよ。原稿は僕が見ておくから」

デスクは普通、原稿を書いた記者を横に置いて原稿の直しにかかる。疑問が見つかった時、

「これはどういうこと?」

と聞くためである。ところがTaさんは帰れという。

「この原稿、丈夫だよ、君が見たんだから」

そう言われて記者一同は会社をあとにした。帰っても寝る時間はほとんどない。数時間もすれば再び会社に出て、新聞の降版までは待機しなければならない。ギリギリの時間に間違いが見つかったりするからだ。

そんな記憶があるから、私がウイークエンド経済のデスクだった間、私はTaさんを見習った。記者を急かさない。ただひたすら、原稿が出てくるのを待つ。徹夜である。そしてそのまま土曜日の勤務に入る。いつ、何事かが起きて原稿に直しを入れる必要が起きるかも知れないからだ。開放されるのは夕刊最終版の締め切りである午後1時20分。働き方改革などというが、本当にいいものを作ろうと思えば、身を粉にするのは避けられないことである。

ただ、当時はウイークエンド経済部の記者のたまり場は、築地の朝日新聞新館に移っていた。ここなら、旧館の経済部の一角にいるデスクは歩いて記者のたまり場に行ける。

ある金曜日、もう夜中の12図を回った頃、当日の担当デスクだった私はふらりと新館のたまり場に行った。その日のフロント面担当はNa君であった。朴訥な記者で、私と気が合った。

「どうだい、進み具合は」

と彼のワープロを覗き込んだ。

「いや、それがね、何だか頭の中がゴチャゴチャになっちゃって、なかなか進まないんですよ」

あるのである、こんなことは。取材はちゃんとした。ところが、書き始めてみるとこの素材とあの素材をこんな形でつなげていいのか。それともあっちの素材と結びつけるべきなのか。何度も書き直し、さらに書き直しているうちに何をしているのか分からなくなる。私たちが

「頭が麻婆豆腐になった」

と表現していた現象である。「Tokyo Money」の取材で世界一周の旅をしたあと、執筆にかかった私は頭が麻婆豆腐になった。最初の10行ほど書く。何だかつまらない書き出しに思えてくる。うん、やっぱりあの材料から入ろう。それで30行まで進んだ。しかし、この話のあとには何を繋ぐんだ? そんなことを繰り返していると、

「これは机に向かった書いているからだ。もっとリラックスして、そうだな、腹ばいになって書いたら何とかななるだろう」

と思い立つ。腹ばいになってもなかなか原稿は進まない。おまけに腰が痛み始める。

「やっぱり机に向かうか」

何度も座ったり腹ばいになっていたりするうちに、窓の外が白々としてくる……。

こんな時の解決策の1つは、他人の目を入れることである。1人で書いている原稿なら、一度寝る。寝てそれまで書いた原稿を忘れる。新しい頭で原稿用紙に向かう。それしかない。

だが、ウイークエンド経済フロント面の締め切りは目前である。Na君に一眠りしてもらう時間はない。ここは私が「他人」になるしかない。

「ちょっと書きかけの原稿を見せて」

読み進めると、Na君が躓いているところが見えてくるのは、私が「他人」だからである。取材はしていないから余分な知識はない。私の頭に入ったのはNa君が書いていることだけである。取材したことで頭が満杯になっているNa君とは違った目で原稿を見ることができる。

「ここだね。で、君はここで何を書きたいの?」

説明を聞く。

「だったら、君が書いたこの部分、いらないんじゃない? ここを削って、その前とあとをつなげた方がスッキリすんるんじゃないか?」

取材した記者は、取材で得た素材に縛られる。折角聞き出した話だから、なんとか原稿に生かしたいと思う。記者がそんな思いを持っていることは、自分の体験で十分に分かっている。
だが、「他人」は取材をしていない。必要なのは首尾一貫した原稿だけだ。いらない素材は遠慮会釈なく捨てることが出来る。

「あ、ホントですね。ここを捨てればうまくまとまるわ」

こうしてNa君の原稿が完成したのは3時だったか、4時だったか。

「いいよ、あとは俺がやっておくから、君は帰って寝ろよ」

デスクとはそんな仕事なのである。