02.05
私と朝日新聞 3度目の東京経済部の18 豊田経団連会長の追い出しコンパ その1
勢いに乗って、豊田章一郎さんの話を続ける。
豊田章一郎さんが、平岩外四・東京電力会長のあとを継いで経団連会長に就任したのは1994年5月のことである。1998年5月まで2期4年務められた。その途中で私は財界担当になり、トヨタ自動車が取材先になった。
「名古屋でトヨタ自動車を担当し、自工・自販合併にぶつかった。2度目の名古屋勤務でもトヨタの幹部とお付き合いさせてもらった。東京に転勤してトヨタとの縁も切れたと思っていたが、またつながったのか」
と不思議な気分になった。
豊田さんが経団連会長から退いた1998年5月、私は財界担当の記者クラブの幹事だった。そうか、豊田さんが辞めるか。何かと縁があった人だ。ここは一肌脱がねばなるまい。
私は追い出しコンパを企画した。記者クラブで豊田さんを送り出してやろう。所属する記者にも好意を持たれた会長だったから、みんなも賛同してくれるはずだ。そして思惑通り、賛同を取り付けた。企画は私任せである。
まず、場所である。ここは我が畏友カルロス=児玉徹が渋谷で経営する「ラ・プラーヤ」しかない。渋谷の店まで足を運び、カルロスに私の企画を話した。人数は30人前後(40人前後だったかも)だが、1人1万2000円でやれるか。ほら、経済企画庁で高原さんの追い出しコンパをやっただろう? あんなことをやりたいんだ。
「えーっ、厳しかね。ばってん、あんたが言うとなら何とかせんとでけんやろ」
「美味いワイン飲ましてくれよ」
「1人1万2000円でかね。冗談じゃなか! そこそこしか出せんばい」
そんな会話で、場所とコストは決まった。
しかし、会食するだけでは何だか物足りない。何か記念になる品はないか。
色々と考えてみた。章一郎さんは、恐らく何でも持っている人である。あるいは欲しいと思ったら何でも手に入る人である。だから、いいアイデアとはなかなか浮かばない。このまま行くと、どこにでもある花束になっちまう。それじゃあつまらないのだが……。
そんな思いを抱えていたからだろう。ある人の話が耳に残った。確か三菱商事の広報マンの話だった。自分の生まれ年のコインを、ゴルフのマーカーにしている人がいるというのだ。マーカーとはボールをグリーンに乗せた時、あとのプレーヤーの邪魔にならないよう、自分のボールの位置を記録するためにボールに代えて芝生に置くものである。
そうか、そんな洒落た人もいるのか、と聞いているうちに、
「そうだ、豊田さんの生まれ年のコインを贈ろう!」
と思いついた。豊田章一郎さんは1925年2月=大正15年2月の生まれである。その年に発行されたコインを探してゴルフのマーカーにしてもらおう。
うん、それだけでは物足りない。きっと奥様もゴルフをされるのだろう。奥様にも生まれ年のコインをプレゼントしようではないか。
トヨタ自動車の広報に行き、奥様の生まれ年を聞き、ゴルフを楽しまれるかどうかを確認したのはもちろんである。
だが、数枚のコインを
「はい、これ」
といって渡すのも芸のない話だ。マーカーに使うコインをポケットに入れていく人はあまりいないだろう。だったら、ケースがいる。どんなケースがいいか? そうだ、小銭入れならちょうどいいのではないか。
そこまでアイデアを煮詰めると、上野の松坂屋に古銭を扱う店があると知り、早速買い出しに出かけた。豊田さん、奥様それぞれに4、5枚のコインを買った。
次に、足を銀座三越に向けた。小銭入れを買おうというのである。あれこれ見繕ってCOACHの小銭入れに決めた。男性用、女性用を1つずつ買う。
それでもまだ、私は何かが足りない、と思い続けた。豊田さんの記憶に、いつまでも財界記者クラブが残るものはないか?
渋谷の東急ハンズにそれがあった。買い物のついで店内をぶらついていると、
「ジグソーパズル、つくります」
という看板が目についた。絵でも写真でも持ち込めば、それをジグソーパズルにしてくれるというのだ。これだ! 一度ジクソーパズルを楽しんで、出来上がったら額に入れて飾ってもらえばいい。
再び、トヨタ自動車広報部を訪れた。
「経団連会長として、豊田さんの思い出に残っている写真はありませんか? あれば1枚お借りしたい。ちょっと企画がありまして」
写真を使う目的は言わなかったはずだ。それでも広報マンはトヨタ会長に聞いてくれたらしい。
「会長は、あなたに頂いた、あなたが東欧で撮ってあげた写真がお気に入りのようです」
経団連は1997年10月、かつて東欧といわれたチェコ、旧東ドイツ、ハンガリー、ルーマニアなど7つの国に訪問団を出した。団長は豊田会長である。私も同行記者として旅を楽しんだ(もちろん、原稿は書いたのですぞ!)。その際、いくつかの場所で豊田会長をフィルムに収め、帰国後、焼き増しして(当時はフィルムカメラなので)贈呈していた。その1枚らしい。
私は
「ホントにこの写真でいいのかな? 広報マンが私に気を使って私が撮った写真にしたのでは?」
と疑いながらも、その写真をジクソーパズルにすべく、東急ハンズに走ったのであった。
準備は整った。あとは実行あるのみである。