02.11
私と朝日新聞 3度目の東京経済部の24 名社長の条件
財界を担当して、最大の仕事は経団連会長人事だったのかもしれない。いろいろと経済団体の提言などを記事にしたが、あまり記憶に残っていないところをみると、それほどたいしたものではなかったのだろう。
よってこれからは、アラカルト的に財界担当時代の、記憶に残るエピソードを書くことにする。
Moさんという、セメント会社の偉いさんに酒のお誘いを受けたことがある。この方、財界きっての論客の1人といわれた方である。
この方の会社まで夕方出かけ、この方の専用車で食事をするところまで行った。その社内での会話である。
「いやあ、朝日新聞の社長は名社長だねえ」
当時の朝日新聞の社長は中江利忠さんといった。経済部出身で、「私と朝日新聞 名古屋本社経済部の9 正月の災難・朝日新聞についての新しい知見」にご登場いただいたので、ひょっとしたらご記憶の方もあるかもしれない。あの原稿には
「中江さんとは、当時、確か朝日新聞の専務であった。経済部のOBで、将来の社長候補であると聞いたことがある」
と書いた。社長候補は順当に社長になっていたのである。
そうか。中江さんとは、財界きっての論客といわれる人から褒められるような名社長なのか。そういえば、朝日新聞は新聞収入に寄りかかりすぎている、もっと新聞収入の比率を下げなければならないといって、新しい雑誌を沢山つくったなあ。
そう思いながら聞いてみた。
「そうですか。中江はそんなに優れた社長ですか。ところで、経営者としての中江はどんな点が優れているのですか?」
私は、中江社長が率いる朝日新聞の一記者である。自分の会社の社長の優れている点を知っておくのも何かの役に立とう。
「うん、彼は歌が上手いじゃないか」
!! 財界きっての論客から、そんな答えが出た。優れている点は歌の上手さ?
思わず私は口走った。
「あのう、中江は朝日新聞の社長であって、歌手ではありません。歌が上手いことと経営手腕が優れていることは別でしょう。経営者として優れた点を教えてほしいのですが」
今度こそ、肝心な答が聞けると思った。ところがMoさんは
「ん? ウーン」
と唸っただけだった。おいおい、財界人って、そんな人物評価をするのかよ!
多分、中江さんとMoさんはカラオケ仲間だったのだろう。中江さんは元日に部下を自宅に呼び集め、カラオケ大会を開くぐらいだからカラオケ大好き人間であったことは間違いない。私も何度かご一緒して、
「なるほどな」
思ったことがある。澄んだ高音で、微妙なビブラートをかけながら歌う歌は、確かに水準以上であった。しかし、歌が上手いから名社長といわれても、ねえ。
中江さんには別の想い出もある。どんな機会だったかは忘れたが
「おい、歌いに行こう」
と経済部の数人が誘われたのである。行く先は六本木。中江さん行きつけのカラオケクラブであった。店に着くと我々はソファに陣取った。たまたま私は中江さんの隣だった。
クラブには他の客もいる。マイクが回ってくるのを待たねばならない。我が朝日さんチームが5、6曲歌った頃だったろう。隣に座っている中江さんが、私の耳元でささやいた。
「おい、大道君、ほら、あそこにいる客が見えるか? あのグループは俺たちより先に店にいた。あのグループが引き上げ上げるまで、俺たちは歌い続けるぞ」
はあ? 時計は確か午前1時を回っていた。そんな、まだ歌うのかよ……。
「あのグループ」は、なかなか腰を上げなかった。我がグループの他のメンバーが何を思ったかは知らない。私は
「『あのグループ』、まだ帰らないのかよ。早く出て行けって!」
と思いながらマイクを握った。
店を出たのは、午前4時半? それとも5時になっていたか。白々と明け始めた東京の空を会社差し回しのハイヤーの窓から眺めながら、私は横浜の自宅を目指したのであった。
朝日新聞にはそんな社長もいたというだけの話である。