2024
02.16

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の29 平岩さんは色っぽい爺、であった

らかす日誌

平岩さんの会長室の執務机の上には、常に10数冊の本が平積みしてあった。恐らく、これから読もうという本なのだろう。私が会長室に入ると、平岩さんは眼鏡をかけながら立ち上がり、

「大道さん、この本、読みました?」

の定型フレーズを口にしながら、応接セットの方に歩いてこられた。

平岩さんの眼鏡は分厚い。かなり度が進んでいるのだろう。昔の表現を使えば、牛乳びんの底のような眼鏡である。何度かお目にかかっているうちに、その眼鏡がふと気になった。平岩さんはこの分厚い眼鏡越しに外界を眺めていらっしゃる。視力はかなり弱っているはずだ。それなのに、その平岩さんは毎月100冊を超える本をお読みになると聞いている。100冊! 1日あたり3冊ではないか!!

私も本は好きだが、1日で1冊を読み切ったのは、塩野七生さんの「ローマ人の物語Ⅱ ハンニバル戦記」を読んだ時だけだ。確か日曜日、朝食を済ませた午前10時ごろ本を開き、あまりの面白さに昼食も読みながら食べて妻女殿の叱声を浴び、午後8時か9時ごろ読了した。つまり、どれほど熱中しても、1日1冊ですら読むのは大変なのだ。それなのに、弱った視力で1日3冊?! どうやったらそんな超人的なことが出来る?

疑問を持ったら聞けばいい。答を持ち合わせている人は目の前に座っている。

「平岩さん、毎月100冊の本をお読みになるそうですね。私なんか、どうがんばってもひと月10冊も読めば多い方です。どうやったら100冊も読めるのですか?」

ニッコリ笑った平岩さんは、明瞭に答えてくれた。

「本は、まず最初の10ページから15ページぐらいを読みます。次に終わりの10ページか15ページを読みます。おおかたの本は、それだけ読めば何が書いてあるかは分かります。分かったら、その本は読んだことにします。時には、それだけ読んでも、『おや、これは何を書いた本だろう?』と見当がつかないものがあります。そんな本だけ最初から読み直すのです。そうすれば100冊ぐらい簡単ですよ」

ほう、それが平岩式読書法なのか。
であれば、もうひとつ聞いておかねばならない。

「お使いになっている眼鏡を見ますと、視力はかなり悪くなっておられるようですが、その眼鏡で読書が出来ますか?」

これにも即座に回答が戻ってきた。

「いえ、もうこの眼鏡でもダメです。読書をする時は、天眼鏡のお世話になっています」

天眼鏡。虫眼鏡である。そういえば執務机から立ち上がれる時、虫眼鏡を手にされていることがあった。あれは読書の最中だったのか。
それにしても、虫眼鏡の助けを借りねば読書できない人が、毎月100冊の読書をこなす。恐れ入った。平岩さんは超人であった。

「大道君、君は東電の平岩さんと親しいのか?」

と私に聞いてきたのは朝日新聞電子電波メディア局のHo局長だった。50歳にして経済部から電子電波メディア局に飛ばされたことは後に書くが、その際の上司である。

「ええ、財界担当のときにお世話になりまして。平岩さんは読書好きで、私も本が好きだからでしょうか、話が合いましてね」

Ho局長の目が輝いた。

「そうか。俺さあ、平岩さんと一度会ってみたいと思っていたんだ。一緒に飯を食う席をつくってくれないか?」

引き受けた。平岩さんにお願いすると、快く引き受けていただいた。和食、洋食、どちらがお好みですか、と聞くと、明瞭に洋食とお答えになった。そうか、平岩さんはワイン党か。

お招きしたのは、銀座のフランス料理店である。いただいた日時で場所を探し、

「どうせHo局長のポケットマネーか、あるいは朝日新聞の交際費から出る金だから、高級店に行こう」

と、さもしい思いで店を探したが、その日空席のある店が見つからず、場所は銀座だが、2流か3流といった店になってしまった。
そこまでは記憶にあるのだが、平岩さんとHo局長の間でどんな会話が交わされたのかはひとかけらの記憶も残っていない。朝日新聞電子電波メディア局長と東京電力会長の間で仕事の話が始まるわけもないから、テーマを定めない雑談に終始したためだと思われる。

平岩さんをお誘いした銀座の店の料理、ワインがたいしたことがなかったので、私はもう一度お誘いした。本当に美味いワインと料理を楽しんでいただきたい。いってみれば、敗者復活戦に臨むような意気込みである。
お連れしたのは、我が畏友カルロス=児玉徹が仕切るスペイン・アンダルシア料理の「ラ・プラーヤ」である。

「驚いたな」

とカルロスがつぶやいたのは、宴席が終わり、平岩さんをお見送りしたあとで店に戻った時だった。食後酒にブランデーかなんかを嘗めながらカルロスは

「あのじいさん、ワインをボトル半分は飲んだぜ。いったいいくつね、あん人は?」

その時、平岩さんは85歳

「85にもなって、ワインをボトル半分も飲むか? 化け物ばい!」

これは私がいったのではない。カルロスがそういったのである。

「ばってん」

カルロスの口はなかなか閉じなかった。

「平岩さんちゅのは、色っぽい爺やね。俺もあんな爺になりたかばい」

それは私の思いでもあった。あと10年もすれば、私も当時の平岩さんの年齢に達する。遅れてカルロスもそうなる。私は、カルロスは色っぽい爺になっていることが出来るだろか?