03.11
私と朝日新聞 デジキャスの2 デジキャスの営業担当になった
デジキャスが開局する少し前、私はテレビ朝日のOさんに呼ばれた。
「大ちゃん、君はどんな仕事をする?」
そうなのだ。デジキャスに記者の仕事はない。さて、私はこのデータ報道局で何をするのだろう?
「どんな仕事がありますか?」
「うん、まず総務・経理だろ。それに営業。あとはBMLのコンテンツを作る仕事に、もうひとつは放送技術だな。君はどれを選ぶ?」
はた、と困った。総務・経理? そんな辛気くさい仕事、数字を相手にパソコンでこちょこちょやるような仕事は性に合わない。出来れば社長補佐ような、何をやっているのか分からない仕事がいいのだが、この会社にはそんな人員のゆとりはない。かといって、htmlすら書けない私にBMLがかけるはずはないし、放送技術なんていうのはちんぷんかんぷんである。残るは営業……。
「営業しかなさそうですね」
「そうだな。やっぱり営業を頼むか。事前の市場調査で企業を回ったのだから、それがいいな」
それがいい、とは私は思わなかった。事前調査はまだ記者の仕事とつながりがあるような気がするが、営業となると記者の仕事の対極にある。記者とは取材先から情報を引き出し、ことあらば取材先を一刀のもとに斬り捨ててやるぞ、という仕事である。取材先から対価は一切もらわない。
だが営業とは、
「お金を下さい」
という仕事である。
「こんなにいい商品ですから買って下さいよ」
と頭を下げる仕事である。
私にできるか? といっても、他にできそうな仕事がない以上、選択肢はないもんなあ。
朝日新聞から出向してきた私とKo君は、やむなく営業チームに入った。社会部出身のKo君は私以上に営業など出来そうにない男だった。決まり文句は
「42インチのプラズマディスプレーには新聞見開き2ページが映し出せて……」
である。あるいは社会部時代は長く司法担当だったようで
「裁判員制度は裁判をもっと開かれたものにするための改革です」
という念仏だった。まったくもって営業マインドなど持ち合わせていないのだ。
営業チームは我々2人と、日立、富士通、キヤノンから出向してきた6、7人で動き出した。
私たちは技術陣から、売るのは放送枠であること、1日を確か4つの時間帯に割り、それぞれの時間帯に4つのコンテンツを流すことが出来る。従って、売ることが出来る放送枠は16枠であること。このすべてに客をつけて欲しい、と説明を受けていた。16の放送枠を10人足らずで売るのである。
私とKo君を除いた営業チームメンバーは、それぞれの会社で営業の仕事をしてきたプロである。まあ、記者根性が抜けない我々2人が成果ゼロでも、きっと営業のプロが売ってくれるはずだ。なんとかなるに違いない。売るのはたった16枠なんだから。
そう思いながらも、仮にも私は営業チームの一員である。会社で昼寝をしているわけには行かない。
「ちょっと行ってきます」
と会社を出るのが営業マンである。
朝日新聞にいる間は、都内の移動はほとんどハイヤーだった。経済部に電話をかければアルバイトの大学生がおり、
「車を〇〇まで回して」
と頼めばすぐに黒塗りがやって来た。朝日新聞の記者は贅沢だ、といわれる原因の1つである。だが、朝日新聞の中にいるとそれが当然で、贅沢などとは一切思わない。たまに地下鉄を使って移動する仲間もいたが、
「変わったヤツだ」
と見られるのが落ちだった。贅沢な環境に囲まれれば、それが当たり前になって贅沢などとはちっとも思わない。人間とはそのような生き物である。
だが、デジキャスではそれは許されなかった。移動は地下鉄、JRを専ら使う。酒を飲んで帰宅するのも地下鉄とJRである。最初は戸惑った。だが、やがて慣れた。慣れればそれが当たり前になる。人間とはそのような生き物である。
さて、その営業だが、事前の市場調査とは違い、なかなか成果に結びつかなかった。例のビデオテープを見せ、データ放送の可能性について説明申し上げる。可能性がチラリとでも見えたら、再びその会社を訪れる。ポツリ、ポツリと放送枠を買ってくれる会社が出始めたのは、東京が夏に覆われた頃ではなかったか。
ある日、テレビ朝日の営業マンと一緒にある会社を訪ねた。いつものように営業トークをしてその会社をでた。テレビ朝日の営業マンがいった。
「大道さん、あなたのスタイルは説教営業ですね。こんな人、初めて見たわ」
説教営業? 何、それ?
「あなたの話を聞いていると、データ放送を使わない会社はバカだといわんばかりじゃないですか。ほんと、営業先に説教をしていますよ、あなた」
なるほどね。新聞記者とは常に自分の考えを持って取材するものだ。口調は自ずから論理的になり、相手の同調を求め、情報を引き出す。そのクセが営業でも出てしまったか。
でも、私、間違ったことを言ってました? 正しいと思うことを伝えようと言葉を選んでいるんですがね。
まだ世に存在しないデータ放送の放送枠を売る営業では、時として技術的な面が話題に上る。何が出来て、何が出来ないのか。こんなことは出来ませんか?
そんな営業先には、残念ながら私では対応できない。そこでデータ放送の記述言語であるBMLを書いている技術陣のご出馬を願うことになる。同行してくれたのがキヤノンから来たHa氏である。かつての「らかす」によくご登場願ったから古い読者はご記憶かもしれない。御三家の一画である麻布中学・高校を出た俊才である。
Ha氏は
「私は新聞記者は嫌いなんですよ」
と公言した。何か不愉快な想い出があるらしい。それなのに
「あんたは新聞記者らしくないからいいわ」
と宣うた。いつの間にかすっかりと親しくなったのである。新聞記者らしくない? 私は正統派の新聞記者だと思って生きてきたが、ひょっとしたら私、新聞記者のあるべき姿から離れていたか? 記者としては落ちこぼれであることは間違いないが……。
Ha氏は1歳年下である。一緒に営業に行き、一緒によく酒を飲んだ。他にすることがない列車の中では馬鹿話に花を咲かせた。
「ほら、あの映画に出て来た、えーっと、何と言ったかな、あの俳優。ほら、ブロンドでグラマーな。えーっと、誰だっけ……」
Ha氏がそんな話を始める。そこから始まるのは記憶を掘り起こす競争である。
「うーん、喉まで出かかっているんだけど」
この競争で、私の勝率は8割ほどだった。ほとんど場合、私の方が先に思い出す。御三家のひとつに入る頭を持ちながら、すでに50歳を過ぎたからだろうか、Ha氏の記憶掘り起こし力はかなり衰えていたのである。
「あんた、そんな記憶力でよく麻布に入れたね。田舎の公立中学、公立高校しか出ていない、しかも1歳年上の私に記憶力で負けちゃうんだからね」
と私が突っ込みを入れても壊れない仲がいまでも続いているから、新聞記者らしくないのもまんざら悪いことばかりではないのかもしれない。
だけど私、新聞記者らしくないかな……。