2024
03.18

私と朝日新聞 デジキャスの9 私は詐欺師にはなりたくなかった

らかす日誌

オンエアされたデジキャスのデータ放送を見た瞬間、

「これは売ってはいけない商品だ」

と思ったことはすでに書いた。自分が売る商品に確信が持てなければ営業は出来ない。口八丁手八丁に頼って粗悪品を売り込むのは詐欺である。だから、私の放送枠を売る営業活動は完全にストップした。
それでも、データ放送用のBMLコンテンツを売る仕事はある。主役はBLM部隊を率いるHa氏だが、何故か彼は私に同行を促した。考えてみれば、BMLコンテンツを売るのも営業の仕事である。本来ならBML部隊を叱咤激励していれば済むHa氏が営業をするのである。手伝わないわけにはいかない。

だが、デジキャスの本業はデータ放送局である。経営計画の中心は客に依頼されたコンテンツを放送波に載せてお金を頂くことにある。その放送枠が売れない。営業No.1の実績で営業局長になった私が売ることが出来ないのだから、ほかの営業部員に売れるはずがない。最初に付き合ってくれた客も、徐々に離れていった。客がいなくなった放送枠は自前のコンテンツで埋めるしかない。収入が発生しないから、経営計画が絵に描いた餅になる。

「大道さん、放送枠を売ってよ」

と頻繁に声をかけてきたのはHa氏だった。

「このままじゃデジキャスは企業として成り立たない。そう見極めたらキヤノンは人を引き上げる。私もキヤノンに戻ることになる」

「だって、5億円も出資してるじゃない」

「キヤノンにとって5億円なんてはした金だよ。見通しが立たない事業にいつまでも人を張り付けておくような会社じゃないんだ、キヤノンは」

そんな会話を何度も繰り返した。はっきり書けば、デジキャスの経営で頼りになるのはキヤノン勢だけだった。キヤノンはプリンターの普及をねらってBSデジタル放送に出資していた。デジタルテレビに接続するプリンターである。例えば、ドラマの1場面をプリントしてとっておきたいという視聴者がいたとする。そんな時、テレビに繋いだプリンターがリモコン操作ひとつで動き出し、欲しい画像をプリントできたら売れるのではないか。キヤノンから来た技術者たちは、そのための技術開発も進めていたが、なかなか思い通りには行かないようだった。
それに加えて、デジキャスの経営が赤字続きでは、確かにどこかで見切り時が来るだろう。だが……。

「だってさ、これ、売れないメディアだよ。これでお金をもらったら詐欺だろう」

「そんなこと言ったって、放送枠が売れなきゃデジキャスはつぶれるじゃないか」

時に感情的な言葉のやり取りがあった。もっとも、この頃にはすっかり心を許す友になっていた我々2人の仲がおかしくなることはなかった。

しかし、である。Ha氏が言う通り、このままではデジキャスはつぶれる。売る商品やサービスを持ち合わせていない会社が存続できないのは当然のことだ。とはいえ、デジキャスは潰したくない。
私は、売ってはいけないと判断したメディアの活用法を考え始めた。

ふとアイデアが浮かんだのは、ある商品のCMを見た時だった。確かタイガーか象印の魔法瓶のCMだった。何でも、魔法瓶に発信器を取り付けたのだという。その魔法瓶から湯を取り出すと発信器が働き、

「いま湯を取り出している」

というメッセージをインターネット経由で目的地まで届けるというのだ。
核家族化が究極まで進んだ現在、地方に老齢の親を置いて都会で働く人たちは多い。両親が揃っていれば

「何かあったら、元気な方が知らせてくるだろう」

と安心することが出来る。だが、片方が亡くなり、独り暮らしになっていたらどだろう? 気になるが、しばしば帰省する訳にもいかない。かといって、忙しい日常で毎日電話をして安否を確かめるというのも難しいだろう。
そこでメーカーは考えた。

「魔法瓶から湯を出すということは、元気で暮らしているということである。元気だよ、というメッセージを都会で、インターネット経由で受け取ることが出来れば、安心できるはずだ」

いまなら、スマホにアプリを入れておけば「元気だよメッセージ」を受け取れるのではないか。

私はこのアイデアを拝借できないかと考えた。
独り暮らしのお年寄りに、テレビは欠かせないだろう。テレビはデジタルになると同時に双方向機能を持つようになった。であれば、テレビの電源を入れた、という情報を吸い上げることは出来ないか? テレビの電源を入れるのは「元気だよメッセージ」にならないか? その情報をデジキャスがまとめて契約者に

「国のお母さんがテレビの電源を入れました」

と知らせることにしたら、月々の契約料金をいただけないか?
デジキャスの技術陣に提案してみた。上手く行かなかった。考えてみれば、そんな機能をテレビに持たせるのはテレビの受信機メーカーだろう。いちデータ放送局が手がけることではない。

テレビはマスメディアである。だが、「マス」でなければならないのか? もっと限られた人のためにデータ放送を利用できないか、とニッチマーケットを狙ったこともある。障害者など、社会的弱者の支援に使えないかと思い当たったのだ。みんなが見る必要はない。少数でも、どうしてもそれを見なければいけない人たちのためのデータ放送が出来ないか。

あれこれ考えて、2つほど計画した。ところが、その2つとも中身を全く記憶していない。
1つは、厚生労働省に売り込みにいった。国の金を使った弱者支援のためのデータ放送をやってみませんか。
その提案内容を覚えていないのだから、たいしたあいアイデアではなかったのかもしれない。1時間ほど話を聞いてくれた担当者は感心は持ってくれたようだった。だが

「すでに予算が固まっているので、いまからでは新規事業を立ち上げることは出来ない」

という。であれば1年待ちましょう。次年度の新規事業に入れてもらえませんか。
この提案にも色よい返事はもらえなかった。ということは、関心があるというのは見せかけだけだったか。

もうひとつは、横浜で障害者支援をしている団体に持ちかけたものだ。これも中身を記憶していないから情けない。うまく進まなかったのはいうまでもない。

詐欺師にならずにデジキャスの経営を軌道に乗せる方策はないか? 考えても、Ha氏と意見を交換してもいい考えは浮かばない。デジキャスは徐々に追い詰められていった。