2024
04.23

私と朝日新聞 事業本部の1 折り紙で、3次元の、ホントに飛ぶスペースシャトルを作った人がいた!

らかす日誌

定年まで1年半を残す頃、根本的な改革はできないまま、私は朝日ホール総支配人を外れた。コンテンツのマルチユース、ライツビジネスへの参画という2本柱でホールを運用黒字化し、朝日新聞本体から分離独立するという大望に後ろ髪を引かれる思いが残ったが、そこは所詮サラリーマンである。異動命令を拒否する自由はない。

それからは事業本部でブラブラして定年を待った。事業を通じて朝日新聞の読者を増やす方策を探れといわれ、いろいろ考えて身体を動かした。だが、朝日新聞の部数を増やすには何をしたらよかろう? そんな努力はこれまでも、多くの人が試みてきたのではないのか? まだやり残していることがあるのか?

そんなある日、戸田 拓夫さんという人がいるのを知った。戸田さんは折り紙ヒコーキ協会の会長である。そんな協会があることすら知らなかった私が、何を通じて戸田さんを知ったのかはいまでは忘却の彼方である。だが何か感じるところがあり、私は戸田さんのデータを集めてみた。

戸田さんは広島県福山市に本社を置く株式会社キャステムの代表取締役だった。キャステムは精密部品のメーカー(でいいのかな?)である。飛行機の部品は作っているらしいが、折り紙ヒコーキとは全く関係がない。それなのに戸田さんはこの協会を立ち上げ、折り紙ヒコーキの滞空時間の世界記録保持者である。自分でつくった折り紙ヒコーキ投げ上げ、地上に着地するまでの滞空時間が世界最長とギネスに認定されていた。その記録は私がお目にかかったあと更に更新されたようで、いまでは29.2秒(2010年12月19日)に達している。
あなたも、折り紙ヒコーキのひとつやふたつ作った想い出があるはずだ。あなたの折り紙ヒコーキは何秒間飛びましたか? 2秒? 3秒? 5秒も飛ぶ折り紙ヒコーキは珍しいのではないか? それが29.2秒である。

私は俄然興味を持った。これ、朝日新聞の部数を増やすのに使えないか? 新聞は紙でできている。紙でできた新聞と折り紙ヒコーキ。何とも取り合わせがいいではないか!
朝日新聞に、定期的に折り紙ヒコーキ用の紙で作った紙を入れよう。その紙にスポンサーをつけるのもいい。そうすれば紙代+αの収入になる。その上で、定期的に朝日新聞販売店の主催で折り紙ヒコーキ競技会を開く。参加資格は、朝日新聞に入っていた用紙を使うこと。毎年、地区大会、県大会、全国大会と積み上げれば、多くの子どもたちが参加してくれるのではないか。折り紙ヒコーキの甲子園大会である。朝日新聞を購読していない家庭では、

「僕も折り紙ヒコーキ日本一になりたいから、朝日新聞を取って!」

と、子どもが親にねだってくれるのではないか?

それに、折り紙ヒコーキは子どもたちの創造力を育むに違いない。どんな折り紙ヒコーキにしたら滞空時間が長くなるだろう? 隣の子と同じ折り紙ヒコーキでは滞空時間はそれほど違わないだろう。どこに、どんな工夫を加えれば、より長く飛んでくれるか。では、そもそも折り紙ヒコーキは何故飛ぶのか? 重心の位置、翼と胴体のバランスはどうしたらいいか?
子どもたちは自主的に調べ始め、研究を深めるのではないか? 何しろ、目指すは日本一だ。それには努力がいる。

そうだ、戸田さんにお願いして折り紙ヒコーキ講演会も開いてもらおう。日本一を目指す子どもたちがご両親と一緒に集まるに違いない。そこで、そもそも紙飛行機は何故飛ぶのかから始まる話を戸田さんにしてもらう。うん、そうだ、その戸田さんの話を朝日新聞で記事にしたらいい。講演会に来られなかった子どもたちは朝日新聞で

よく飛ぶ折り紙ヒコーキの作り方

を学ぶ。これも部数増につながるはずだ。

考えればいいことずくめである。私は新幹線に乗り、福山市に向かった。戸田さんに会う。

お目にかかって話をうかがい、世の中にはすごい人がいるものだと感心した。戸田さんはたんに折り紙ヒコーキを折って飛ばすだけの人ではなかった。折り紙ヒコーキを何機も、いや何十機も設計し、その折り方を本にして出版までされていた。ギネスで世界一の滞空時間と折り紙をつけらた折り紙ヒコーキも、戸田さんのオリジナルなのである。その名を「スカイキング」という。当時の私はその折り方など知るはずもなかったが、いまではネット上で公開されている。あなたも折って、飛ばしてみてはいかが?

「スカイキング」は、私が幼い頃折っていた折り紙ヒコーキと同じように、いわば平面の寄せ集めである。紙を折って作るヒコーキとはそれ以外にはあり得ないと長年思っていた。その思い込みを打ち破ってくれたのも戸田さんである。彼の設計した「スペースシャトル」は胴に膨らみがある3次元の折り紙ヒコーキである。しかも、ハサミは一切使わず、3箇所をテープでとめるだけ。それだけでも驚きだが、なんとこの「スペースシャトル」、実際に飛ぶのである。絶妙のバランスを保って優雅に飛行するのである。

私はしばらく仕事そっちのけで、戸田さんの折り紙ヒコーキの世界にはまった。戸田さんが書かれた折り紙ヒコーキの作り方の本を買い求め、スペースシャトルを何機も折ってみた。窓の部分の折り方がやや難しいが、それさえ乗り越えれば誰にでも折ることが出来る。自作のスペースシャトルを持ってそっと押し出す。部屋の中をみごとに滑空していく!

そんなある日、戸田さんが横浜で折り紙ヒコーキ教室を開かれた。私は長女の長男・啓樹と次女の長男・瑛汰を引き連れて受講生になった。参加費が幾らだったかは忘れたが、ずいぶん大きな紙を渡され、我々3人、戸田さんの指導でスペースシャトルを織り上げた。全長60㎝ほどの大型スペースシャトルである。

「さあ、みんなできたかな? できたら飛ばしてみよう。あの的に上手く当てられるかな?」

という戸田さんの指示に従って、作り上げたスペースシャトルを10m近く離れた的に向かって押し出した。私と啓樹、瑛汰の3機のうち、どのスペースシャトルが一番飛んだかは、記憶にない。

戸田さんとは何度もお目にかかった。早稲田大学理学部に在学中病に倒れ、闘病生活の慰めとして折り紙ヒコーキの設計・制作を始めたと聞いた。手慰みから趣味となり、やがて家業を継いで経営者としての実務をこなしながら、一方で折り紙ヒコーキの普及に力を尽くし、滞空時間世界記録を作り、塗り替える。我々の2倍分、3倍分の人生を生きているスーパーマンである。

肝心の、朝日新聞の読者を増やす一助として手を組みたいという話は、さてどう進んで、どう消え去ったかの記憶はない。何度もお目にかかっていたのだから、きっと我々2人の間では前向きに話が進んでいたのだと思う。戸田さんが主宰する折り紙ヒコーキ協会は日本航空の協力を得ているが、それに朝日新聞が加わって紙面で応援すれば普及が進むことは確実だから、戸田さんにとっても悪い話ではなかったはずだ。
しかし、大企業である朝日新聞に、それを受け入れる素地がなかったのではないか。販売局長にも

「全国の販売店で折り紙ヒコーキ大会をやろうよ」

と持ちかけたはずだが、はかばかしい返事をもらえないまま、私が定年を迎えてしまったのだと思う。私の根回しの仕方に落ち度があったのかも知れないが……。
いま思えば、残念な話である。

いまでも私は、戸田さんの著書、「飛べとべ、紙ヒコーキ」(二見書房)を持っている。そして時折、「スペースシャトル」を折って飛ばし、適齢の子ども喪を持つ知人にプレゼントする。誰もがエッと驚く。

ネットで見ると、戸田さんはいまでも折り紙ヒコーキ協会の会長を務め、普及に力を入れていらっしゃるようである。陰ながら応援したい。