04.28
私と朝日新聞 事業本部の6 桐生は美人の産地か?
「大道さん、桐生ですって?」
私の桐生生きが決まると、いろいろな人が声をかけてきた。こう言ったのは、証券担当で一緒だった経済部の後輩である。
「ああ、そうなんだよ。原稿を書くのは10年ぶり。さて、どうなることやら」
ここまでは、ごく普通の先輩、後輩の会話である。やや不穏な様相を帯びてきたのは、彼の次の一言が始まりだった。
「原稿はなんとかなるとして、でも大道さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫かって、何が?」
「桐生は美人の産地といわれています。大道さん、身が持ちますか?」
美人の産地? 身が持つか、だと!? えっ、桐生ってそんなにいいところなのか? この世のパラダイスか?
彼になんと返事をしたか忘れたが、何だか心が浮き立ってきた。美人の産地ね。身が持たないこともあり得るってね! ゾクゾクするではないか。。
それから数日後、社内の喫煙室で三重県時代の後輩にバッタリ会った。私は津支局、彼は伊勢支局にいた。いくつか年下である。あれ、そういえばこいつ、桐生出身じゃなかったっけ?
「おい、君は確か桐生の出身だったよな」
「そうですよ。でも、なんで?」
「いや、今度定年後再雇用で桐生に行くことになったんだよ」
「えーっ、大道さんが桐生! それはまた」
「それでね、ちょっとワクワクしてるんだ」
「いったいどうして?」
「桐生って美人の産地らしいね」
一瞬、彼の顔が曇ったように見えた。
「桐生が美人の産地?」
「そう聞いたんだけどね」
彼は一瞬考え込んだ。
「うーん、70を過ぎた人も女性だとすれば、ひょっとしたら美人の産地かも知れないけど……」
七色に輝きながら大きくなっていたシャボン玉が、突然割れたような気がした。
あいさつに行っておけ、といわれて足を運んだのは東京本社代表の部屋である。もちろん、社内では私よりずっと偉い方ですある。私よりいくつか年下の人でもある。
「ご挨拶にまいりました。こんど桐生に行く大道です」
型どおりのあいさつである。
「ああ、大道さん、」桐生に行ってくださるんですってね。よろしくお願いしますよ」
「はい、10年もペンを持っていないものですから、さて、どこまでできるか,というところですが」
「いやいや、書きまくって下さい。地方版の2ページを毎日あなたの原稿で埋め尽くすほど書いて下さい。それが若い連中の刺激になりますから」
この人、そんなことをまともに考えているのだろうか? そんなことをしたら、群馬県の読者は明けても暮れても桐生の話ばかり読まされることになるのだぞ。群馬県には前橋も高崎も太田もあるのだぞ。桐生の原稿で毎日地方版を埋め尽くしたら、桐生以外の読者はどうすればいいんだ?
それに、だ。人口10万人強の桐生市に、そんなに根が転がっているわけはないではないか。盛りし転がっているとしても、たった1人で毎日600行、800行の原稿を書くのは身を粉にして働いても物理的に無理ではないか。この人、何を言ってるんだろう?
間もなく60歳になる男を励ましているつもりかも知れないが、ちっとも励ましになっていない。ポイントを外している。
朝日新聞にも有給休暇制度があった。記憶は不確かだが、確か年間50日ほどで、使わなければ積み上がっていく。上限が100日ほどだったと思う。つまり、有給休暇は100日までしか貯金できない仕組みだった。
現役ではたらいでいる間、私は有給休暇を取った記憶がない。それほど真面目な社員だったとは思わないが、会社を休んで何かをしようという気がほとんどなかった。だから、私の有給休暇の貯蓄は上限に達していた。
「大道さん、有給休暇は消化しないんですか?」
と聞いてきたのだ誰だったろう。有給休暇の消化? それ、何?
聞けば、未消化の有給休暇を抱えているのは私だけではないらしく、そんな方々は定年を前に、まとめて有給休暇を取るというのだ。100日残っていれば、定年退職する3ヵ月前から会社には出て来ない。それでも給料は満額出るから、見方によっては我が世の春である。
だが、私にはそんな気はサラサラなかった。
「そんなことはしない。だって、定年になれば、いや定年後再雇用制度を使っても、いつかは仕事を離れることになる。そうすれば、否応なしに毎日が日曜日だよ。働きたいと思っても仕事がない。ねえ、仕事があるうちは仕事をした方が楽しいんじゃないか? いずれはやって来る毎日が日曜日の日々を先取りしなくてもいいじゃない」
こうして私は、桐生に引っ越す直前まで会社に出たのであった。