2012
09.01

2012年9月1日 秋の訪れ

らかす日誌

夕食後、ふと思い立って外に出てタバコを吸った。

 「あれっ、暑くない! 爽やかではないか!!」

日中の暑さが嘘のように気温が下がっていた。桐生は明日、雨らしい。そのあとはしばらく、再び気温の高い日が続くとの予想だが、なーに、もう9月である。秋は目前だ。

で、秋。あなたにとって、秋はどんな季節であろうか。

天高く馬肥ゆる秋?

女心と秋の空?

灯火親しむ候?

スポーツの秋?

夏場のナンパ三昧を後悔し、逃亡者と化す秋?

どうしてほかの季節と違わなきゃいけないの? と年中同じ暮らしをする秋?

まあ、各人各様である。

で、知性を売り物にする「らかす」は、やっぱり

学問の秋

と行きたい。

脳はすすんでだまされたがる マジックが解き明かす錯覚の不思議」(スティーヴン・L・マクニック、スサナ・マルティネス=コンデ、サンドラ・ブレイクスリー共著、角川書店)

を先日読了した。何でこの本を買ったのかは定かではないが、実に面白い本だ。著者は神経科学者たち。それが、脳の働き具合を調べるのために、

 「脳の働き具合は、科学者が解き明かすずっと前から手品師たちが解き明かして手品に使っている。下手に研究するより、先学に学ぶ方が効率的だ」

とばかりに、マジシャンに教えを請うというのだから、面白くないはずがない。

なるほど、人の脳とは、一見全能に思えるが、実はあちこちに隙があり、その隙間を利用して様々なマジックが組み立てられているというのは、読み進めばすすむほど納得させられる。著者たちは、読者を納得させるために、手品の種明かしまでしてしまうから、納得せざるを得ないのである。

「へーっ、あの手品、そんなことだったのか」

手品好きにもたまらない本である。

私も手品は好きである。自分でやって、若い、美しい女性たちが

「大道さん、凄い!」

なんて尊敬のまなざしを注いでくれようものなら、天にも昇る心地がする。
が、残念なことに、私の関心はそこだけにとどまってくれない。そこだけにとどまれば、いまだにモテモテおじさんで我が世の春を謳歌しているはずなのに、それに安住するには、私は知性が多すぎるのである。

この本の、こんなところが気になった。

神経科学で、有名な実験がある。私は専門家ではないので、その実験がどう呼ばれているかについての知識はない。仮に

「見えないゴリラ」

とでも名付けておくか。

被験者、つまり実験のモルモットとなった学生たちは、バスケットボールのパス回しのビデオを見せられる。時間は3分から4分の短いものだ。一方のチームは白のTシャツを、他方は黒のTシャツを着ている。

「白チームの(黒チームでもいいのだが)パスの回数を数えてください」

と指示されて、ビデオの再生が始まる。

終わると、被験者は質問される。

「何か変わったことが起きませんでしたか?」

被験者の多くは、最初に指示されたパスの回数は、正確に答えることができる。が、何か変わったこと?

「別に、気がつきませんでしたが」

ホントに? じゃあ、もう1回見てみようか。こうして再び再生すると、今度はみながアット驚くのだ。

「ゴリラがいる!」

途中で、ゴリラのぬいぐるみをを着た人がコートに入り、カメラに向かって胸をたたいて咆哮しているではないか!
念のために書き加えるが、最初に再生した映像と、2回目に再生した映像が手品を使ってすり替えられているわけではない。同じ映像が再生されているのだ。なのに、パスの回数を数えている被験者には、ゴリラが見えていないのである。

そんな馬鹿な! と思いたいが、どうやら人間の脳は、その程度のものらしい。手品は、こうした人間の脳の弱点を利用して、不思議を見せる。
が、この本は手品の種明かしが究極の目的ではない。著者たちは書く。

「私たちもこのビデオを講義で数十回見せている。ゴリラに気づいた人に『パスの回数はいくつでしたか』とよく尋ねる。答えはたいてい間違っていて、まったく数えていなかったという人もいる。皮肉なことに、パスを数えるタスクの成績がいいほど、画面に現れるゴリラを見落とす可能性は高い。言い換えれば、神経を集中すると、タスクではよい成績を取ることができる反面、タスクとは一見関連がなさそうな、より重要なデータに気づかない。私たちの研究では、やさしいタスク(楽にこなせる)に比べて難しいタスク(懸命に神経を集中している)では、脳は集中を邪魔しそうな情報をより強力に抑制した。つまり、日常生活で大切な仕事を終えようと集中しているときにも、周りを確かめる必要がある。さもないと、重要な事実やなにかの好機を見逃す恐れがあるのだ」

なるほど。

であれば、同時に7人の話を聞き、正確に理解できたという聖徳太子の伝説は嘘である。最近は、聖徳太子なんて実はいなかった、でっち上げられた人物である、という説が有力にありつつあるが、その裏付けの一つになる神経科学の実験結果である。
ということを書きたくて引用したのではない。

だからさ、やっぱり、車を運転しながら携帯電話で話すのは危ないのよ。ほら、そこでダイハツのタントを転がしてる姉ちゃん、ダメだってば! 携帯電話は車を止めてから話なさいよ!!
というのでもない。

実は、自分の会社のことを考えていた。
立身出世した連中は、ひょっとして、ゴリラが見えなかった被験者ではないのか?

偉くなるには、目先の課題を解決しなければならない。解決して、解決して、の積み上げが

「あいつは仕事ができる。愛(う)いヤツじゃ」

という評価につながるのは、どこの組織でも同じだろう。
が、目の前にある課題を効率的にこなすには、その課題に集中せねばならない。集中するあまり、取引先に

「とにかく、お願いします!」

土下座して頼み込む雄志もいる。現実に、うちの組織でもそのような人物が役員になった。
それって、ゴリラが見えなかった被験者と同じではないのか?
土下座して頭を下げれば、無理筋のお願いを、とりあえずは通すことができるかも知れない。だが、無理筋のお願いを通すことで、

「今回はこれまでの関係もあるから付き合うけど、この体たらくではもうあの会社もダメだね」

と、逆の効果をもたらす恐れがあるのではないか?

木を見て森を見ず

何ともダメなヤツをさす表現の一つだ。木しか見てこなかった連中が権限を振り回す。恐ろしさに震えが来る。

人間、つねにある程度ボーッとしている方がいい。
ボーッとしているように見える部下を評価する能力のない上司は、木しか見ない部下を引き上げ、やがては組織をダメにする。

てなことも考えさせてくれる、神経科学+マジックの本である。税別で2000円は決して高くない。

なお、私のこの本は、近々、四日市の啓樹に下げ渡す。

「啓樹、ボスは手品の本を読んでるんだけど、面白いぞ。ボスが読み終わったら、読むか?」

と電話で聞いたら、

「えっ、手品? 読む。ボス、ちょうだい!」

と答えた。
まだ小学校2年。神経科学の本が読めるとは思えないが、まあ、中学ぐらいになれば、全部はわからなくても読めるぐらいにはなるだろう。
それまではパパに読んでもらって、ついでに解説もしてもらえ、啓樹。
近いうちに送るからない。