06.05
ほほう、やっぱり食用米が足りなかったのね
新聞記事とは、事実を羅列すればすむものではない。その事実の後ろにあるものをえぐり出すのが記者の仕事である、とい私は思う。
突然変な話を始めた。ここしばらく新聞を見ながら
「何とかならないか」
と思い続けたことがあったからだ。米の価格である。
店頭価格が前年比で2倍前後になったという。新聞は、ついでにいえばテレビのニュースも、
「上がった、上がった」
とは書き、しゃべった。5kgの米の店頭価格が前の週より◯◯円上がった、これで△△週連続の値上がりです、などというニュースを何度読まされ、聞かされたか。
「おいおい、そんなつまらない話を延々と続けるんじゃないよ、そんなことより、どうして値上がりが続くのか、その理由を知りたいんだがね」
そんな趣旨のことを書いた記憶がある。そして、私のリクエストに答えてくれる記事がやっと2日の朝日新聞朝刊に載った。米が足りないというのだ。
2021年、米の生産量が需要を少し下回ったのが始まりだった。2023年には705万トンの消費に対し、生産量は661万トン。猛暑や渇水が原因で、なんと41万トンも足りなかったのだ。
モノの価格は需要と供給で決まる、というのは経済学のイロハである。700万トンを超す消費があるのに、供給が660万トンでは米の奪い合いが始まるのは火を見るより明らかだ。そして奪い合いになれば価格は必ず上昇する。
「1000円上積みするから、うちに売ってよ」
「だったら俺は1800円上積みする。こちらに米をよこして」
2023年の秋からそんな奪い合いが始まっていたというのだ。それでも2024年の夏ごろまで米の価格が比較的落ち着いていたのは、流通部門のやりくりのためだろう。そのやりくりも限界に達し、いまの米騒動になったわけだ。
そういうことか。どこかの悪徳業者が買い占めて米の値段を釣り上げているんじゃないんだ。とすれば責めを負うのは農政に責任を持つことになっている農林水産省しかない。そして根本的な対策は古米、古々米、古々々米を安く市場に出すことではない。もっと米がとれるよう、減反政策を見直すしかない。小泉の兄ちゃんが率いる農水省はそこまで変わることが出来るのだろうか?
それにしても、である。この間、テレビのニュースで
「こんなに高くなったら、もう米は買えない」
という消費者の話を何度聞かされただろう。5kg2500円が5000円になったら、米が買えない? いま、日本人の米の消費量は、1人あたり1ヶ月5kg前後である。テレビのインタビューに答えていたのは高齢者が多かったから、多分2人世帯だろう。ということは米の消費量は毎月10キロ前後。米価の上昇分は毎月5000円ほどである。
5000円というのはそんなに大変な金額なのか? スマホを持っていれば、毎月その程度の支出は避けられないのがいまである。米を買うためにスマホを捨てた人がいるか? 電話より、ネット検索より、SNSより、ネットゲームより、お腹を満たすことの方がはるかに大事なことなのだと思うが。それに、日本経済の懐はもっと深いはずだ、と私は思う。
こんな街頭インタビューをし、それを編集して放映するテレビの方々は(新聞もそうだが)、おそらく正義感の持ち主だろうと思う。庶民がこんなに困っているのに国は何もしない、という怒りに駆られているのだろう。困った、困ったという「庶民」の声を、これでもかというほど取り上げることで正義を実行している満足感に浸っているのではないか。
おそらく、
「米の値段? 高くなってイヤーね。でも、うちはコシヒカリを食べてます!」
などという「庶民」ではない声はボツになっているのに違いない。自分が正義と信じ、報じたいと思う声だけをメディアに載せる。全体を見ず、独りよがりの正義を振り回すメディアはどんどん信頼されなくなっていく。
にしても、小泉の兄ちゃん、備蓄米をすべて放出するような勢いだ。確か政府備蓄米は90万トン程度だったはずで、すべて放出したら市場の需要と供給のバランスを取り戻せるのか。すべて放出しても備蓄米以外の米の価格が高止まりしたら、もう放出する米がないのだから打つ手がない。その時、どんな手を考え出すのだろう。
生産量が需要を満たしていないのが令和の米騒動の原因だとすれば、減反政策をやめて米の生産を増やすか、それとも米の輸入を自由化するしか国民の胃袋を満たす手だてはないはずだが、さて、兄ちゃん率いる農水省はどう動くのだろう?
さて我が家だが、糖質制限を続けている私は、1日に1回しか米を食べない。食が細い妻女殿もあまりご飯をお食べにならない。従って、毎月の米の消費量は多分5kgを下回っている。2500円だった米が5000円になっても、毎月の負担増はせいぜい2000円でる。あまり財布には響かない。令和の米騒動を冷静に眺められるのはそのためである。