09.02
西瓜を買い占めた
今日、中玉の西瓜を2個買った。富良野産の西瓜である。
「あれまあ、夏も終わろうとしているのに、まだ西瓜?」
と疑念をお持ちの方も多かろう、実は、夏も終わりだから、最後の西瓜として2個買ったのだ。
それには理由がある。妻女殿である。若い頃から食が進まないたちであったが、昨夏心臓の手術をした後、さらに食が細くなった。ほとんど食べないのである。例えば今日の昼食。冷凍のチャーハンに青高菜を混ぜて作った。
「それでいい」
といったのは妻女殿である。作業をしたのは私である。450グラム入りというチャーハンを、目分量で妻女殿に180グラム、私に270グラム、という程度に分けた。その180グラムが、見ていてもちっとも減らない。私が食べ終えた時、皿にはまだ3分の2は残っていた妻女殿のさじがピタリと止まって動かない。
「残すのか」
無言。
「食べなきゃ体力はつかないぞ」
無言。
「食えよ」
「食べられないんだからしょうがないでしょう」
食事のたびにこんなとげとげしい会話が飛び交うのが我が家の食卓である。夜は
「これを温めて」
と言われて電子レンジにかけたコーンスープが、食事を終えてみればほとんど手付かずで残っていた。わずかに口に運んだのはご自分でお作りになった野菜の煮物程度である。それも、私が盛りつけた分を食べおおせることはなかった。
「お前なあ、人間、食べなきゃ死ぬんだぞ」
といっても反抗心をあらわにした言葉が戻ってくるだけである。
まあ、食事のたびに喧嘩をすることには慣れてきた。それでも、食べさせなければと思うのは、夫婦愛などという高邁なものではない。寝食を共にするものの性(さが)のようなものである。さて、何だったら妻女殿は口に入れるのか。
その妻女殿が嫌がらずに口に入れるものがある。西瓜である。食べれば
「福岡の海の家で食べた西瓜は美味しかった!」
と昔話を何度も繰り返される。確か結婚した年の夏、まだ大学生だった私は大学生協でアルバイトをしていた。その生協が夏の間海の家を経営しており、そこに遊びに行って西瓜を食べたのである。
「あの西瓜に比べたら、いまの西瓜は香りがない。美味くいない」
というのも、西瓜を食べながら何度も聞かされた繰り言である。
といいながら、だが西瓜だけは進んで口に運ばれる。食卓に出すのはおおむね昼食後だが、食べ終わって
「西瓜、食べるか?」
と聞くと、決まって
「食べようか」
という返事が戻ってくる。昼食に食べ残しがあっても、この返事だけは変わらない。
そのような事情で、我が家は今年、4月の末か5月の初めから西瓜をほとんど欠かさなかった。おおむねは小玉西瓜である。これは4等分し、1日に4分の1を2人で食べる。その小玉西瓜も8月の20日過ぎには入荷がなくなり、中玉を買った。これは8等分するから、1個で8日分である。小玉西瓜はおおむね2000円、中玉は3000円前後である。1日分を計算すれば中玉の方が安い。
「こんなことなら、始めから中玉にしておけば良かった」
とは、先に立たないといわれる後悔を私がしたのである。
そんな我が家の西瓜が先週末に切れた。それではと、行きつけの果物店に行くと、もう店頭に西瓜がない。
「あれー、西瓜は終わっちゃったかね」
「仕入れようと思ったんですが、市場に出ているのはグズグズのものばかりで」
「来年まで待つしかないか」
「いや、ひょっとしたらもう一度ぐらい入るかもしれません」
「時期的に、入るとしたら北海道の西瓜だよね」
「はい、お売りできるものが市場に出るかどうか分かりませんが、週明けにもう一度ご来店いただけますか?」
それで今日、その果物店に行ったら、中玉の西瓜が2個あった。普通、買うのは1個である。だが、それだと8日間しか持たない。
「ねえ、西瓜って10日ぐらい持つかねえ?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「常温で置いていても?」
「10日や2週間は大丈夫です」
そういわれて、店頭の2個を買い占めたのであった。計6000也。ま、少なくとも2週間少々は妻女殿の口を潤すものが手に入ったと思えば、この出費にも納得せざるを得ない。
しかし、だ。この西瓜を食べ終えたら、次はを買う? いまのリンゴは美味くないし、梨も買ってみたがたいした味ではない。このほか秋の味覚といえばブドウぐらいか? そういえば、メロンは年中出ているみたいだなあ……。
そんなことにも頭を使わねば(たいして使ってはいないが)私である。