2022
04.20

ドキュメント「太平洋戦争」を見ました。

らかす日誌

このところ、日本で作られた戦争映画を見続けた。いや、ウクライナで戦争が始まったからではない。我が家の映像の整理が、たまたま「日本の戦争」と名付けてまとめていたところに差し掛かっただけである。

今夜はその最終日だった。見たのは

太平洋戦争

現場で撮影された映像を集めたドキュメントである。その1から5を見た。調べると、これは全10巻の大作らしい。そのうち5までが、何故か我が家にあったのである。

1、太平洋戦争への道
2、開戦
3、戦線拡大
4、ミッドウェー海戦
5、ガダルカナル

である。

いったい何処からこんな映像が我が社に紛れ込んだのか。WOWOWでは放送していないようだし、画面にNHKのロゴも出て来ない。TSUTAYAでレンタルしたのだろうかとTSUTAYAで検索してみたが、そもそもこんなドキュメントはTSUTAYAの品揃えにない。だから、6巻から先を見ようと思っても、さて、何処で手に入るのか。RAKUTENでは全10巻セットで2500円と出ているが、それほどの金を投じて見るほどのものでもない。

いや、今日書きたいのは、そのミステリーではない。5巻まで約5時間をかけてみながら、ふと浮かんできた疑問を書きたいのである。

太平洋戦争における日本の失敗は、まず、どのように戦争を終結させるかを全く考えずに戦争を始めたことにある、とは多くの人が指摘することである。加えて、日本陸軍の致命的な誤りとして、兵力の逐次投入も挙げられることが多い。

それに比して、山本五十六の評判は極めて高い。日独伊3五国同盟に最後まで反対し、日米開戦にも抵抗を続けた現実主義者、平和主義者であったこと、それなのにいざ開戦となると、真珠湾攻撃を立案してみごとに成功させたこと、がこの司令長官の名を高めているのである。

だが、痛む腰を気遣いながらこのドキュメントを見ているうちに、

「いやー、この人をそんなに崇め奉っていいんだろうか?」

と思ってしまったのである。

1941年12月8日の真珠湾攻撃から約半年、日本軍は快進撃を続ける。東南アジアから南太平洋にかけての広大な地域を実質支配し、戦勝気分に国中が酔い痴れる。
国民の間に反戦気分が強かったアメリカは、日米開戦に向けた準備ができていなかった。兵士の数も、艦船の数も、飛行機の数も、当時は日本の方がはるかに多かった。半年程度は日本が勝ち続けても別に不思議ではない。

形勢が逆転するのは1942年6月のミッドウェー海戦である。山本司令長官が立てた計画は艦隊を二つに分け、1つは北太平洋の島にある米軍の基地を攻撃する。それに釣られてハワイの米艦隊が北に向かう。その隙を突いてもう一つの艦隊がミッドウェーを急襲。米艦隊が慌ててミッドウェーに向かうのを北太平洋の島を攻撃した日本艦隊が追いかけ、最初からミッドウェーに向かった艦隊と挟み撃ちして徹底的につぶす、というものだった。
なかなかよくで来た作戦だとは思う。

ところが、米軍は日本の暗号通信を解読しており、この作戦を事前に知っていたらしい。だから、北太平洋の島が攻撃を受けても、ハワイ艦隊は北に向かわず、一路ミッドウェーに向かって日本艦隊を待ち受ける陣形を敷く。これがミッドウェー敗戦のそもそもの原因らしい。

という下りを画面で見ながら、

「ああ、山本さんって、情報戦には不慣れだったのか?」

と慨嘆した。そもそも山本さんは連合艦隊司令長官である。部下には敵国、この場合は米国の通信を傍受し、暗号での通信ならその暗号を解いて米軍の戦略を探る部隊がいたはずである。

敵を知り、己を知るらば、百選闘うとも危うからず

というではないか。
闘いに向かう者は敵を知れねばならないのだから、そのような部下がいたはずなのだ。

そして、こちらが敵の動きを知ろうとしているのなら、向こうさんだってこちらの動きを知る努力をしているはずだ、とは考えるのが常識である。こんな重要な作戦を展開するのに、敵に傍受される恐れがある通信手段をつかうのは指揮官としての怠慢ではないか? 全艦長を集めて口頭で指令すれば、米軍に見抜かれることはなかったのではないか?
山本さんにも手落ちがあったのではないか?

いや、それよりも、唖然としてしまったのは、わずか半年で手に入れた支配地域の広さである。恐らく、戦略的に必要だと思って日本軍はこれだけのところに日本の旗を立てていったのだろう。
しかし、である。これだけのところを軍事的に制圧しながら、そのメンテを考えた人物は1人もいなかったのだろうか?

フィリピン、マレー半島、インドネシア、南太平洋の島々。それに満州があり、侵略中の中国本土がある。支配下にした以上、治めていかねばならない。そりゃあ1年や2年は腕力にものをいわせれば何とでもなろう。しかし、10年、20年となると腕力だけで抑えていけるか? 人材も投入しなければならないだろうし、金もかかるはずだ。日本の財政で支えることができるか?」

大英帝国の例を引くまでもなく、そんなことは不可能なのだ、と考える人間は、政府、軍の首脳の中には一人もいなかったのか?

石油が輸入できなくなった当時の日本が、インドネシアで出る石油の確保に動き、その輸送の輸送ライン保つために、マレー半島を抑えねばならない、フィリピンも必要……、と論理の筋を延ばしたのは理解できないでもない。しかし、目先の必要から生まれた論理の積み重ねの果てに出てくるのが、

「とてもじゃないが、そんなの、メンテできないよ」

という未来図であることに、誰も気が付かなかったのか?

当時の日本は、版図を広げすぎたが故に、自ら墓穴を掘ったのではなかったか?

目先のことだけにとらわれて大局観を失ったのが当時の軍部であった、というのは易しいが、さて、私は目先のことから自由になれているかと己を問い詰めると、何となく勢いがなくなる私であった。 私は批判するだけのつまらぬ男か?