08.16
#38 : オズの魔法使 - 脳みそ・心・勇気(2005年6月24日)
まだ幼少の折、私は少しませたガキであった。夜の楽しみは、親父と一緒にラジオを聞くことだった。
番組の選択権は、当然のことながら親父にある。子供向けの番組など絶対に選択されなかった。夜にやってる子供番組は存在しなかったこともあるが。
ラジオのスピーカーから雑音と一緒に流れてくるのは、落語である。漫才である。浪曲(浪花節、ともいう)である。
はまった。特に落語にはまった。そのうち自分でもやり始めた。
「えー、毎度ばかばかしいお笑いにお付き合い願います」
なんてのを1人でぶつぶつつぶやくガキ。ちょいとばかり不気味である。
こいつがとうとう病膏肓に入り、人前でも2度やった。一度目は、祖父母の金婚式で親戚一同が集まった席である。出し物が何であったかは、残念なことにとんと記憶がない。
2度目は、小学校の謝恩会だった。こいつははっきりと覚えている。「粗忽の使者」である。
物忘れの名人、治武太治部右衛門が使者にたった。案の定というか、相手の屋敷に着くとすっかり用件を忘れている。そこで、
いやあ、拙者、お恥ずかしいことに幼き頃より底抜けの粗忽(そこつ)者でござりましてな、そのう、よく物忘れをいたした。そのたびに父に、このう、ケツをつねられたものでござる。さすれば、つねられた痛さに耐えておるうちに思い出すのですな、忘れていたことを。これが習い性になっており申して、長じてからも忘れるたびに、同輩などに尻をつねってもらっておるわけで。
初対面の貴公にお願い申すのは甚だ心苦しいのでござるが、ひとつお願いできないものでござろうか。左様、拙者の尻をひねりあげて頂きたい。いやいや、そこを曲げて何とか……。
この役を買って出たのが出入りの大工である。
おっと、後ろを向いちゃあいけねえよ。さっ、これでどうでぇ。なんだってぇ、もっとだと? ようし、このエンマ(釘抜き)で……。
うっ、うーん、おっ、ほっほっほ、これはまた、ぐーっ、おっ、なかなかに、かーっ、効きますな。うっ、おお、かたじけない。拙者、思い起こしてござる……。
と話が展開して、奇想天外な落ちが待っている。大受けに受けた。いや、受けた記憶がある。もっとも、記憶は加齢とともに浄化されるが。
風呂場では浪花節をうなった。贔屓は清沢虎造(と書いたと思うが……)だった。
旅ゆけば~あぁ
駿河の国は~茶の香り~いぃ
いやあ、江戸っ子だってね
神田の生まれよ
そうだってねえ
子供らしいファンタジーとは、全く無縁の幼年時代であった。
そんな私にも、1つだけファンタジーがあった。
野球である。
父は、野球中継も好きだった。贔屓チームは西鉄ライオンズ。そう、センター高倉、セカンド仰木、ショート豊田、サード中西、レフト関口、ファースト田中、ライト玉造、キャッチャー和田、ピッチャー稲尾を三原監督が采配して日本シリーズ3連覇という偉業を成し遂げた、我が九州の誇りである。
いや、伝説のプロ野球チームといってもいい。
三塁手の頭上を越した打球が外野席に飛び込んだ中西のホームラン。
1シーズンで42勝14敗、つまりほとんど2試合に1試合は勝敗に関係するところでマウンドに立った鉄腕稲尾。
華麗な三原マジック。
私は、これ以上魅力的なプロ野球球団を見たことがない。
我が記憶に残るのは、その全盛期に至る前のライオンズである。もちろん、野球を見たことはあった。だが、幼すぎて野球のルールも何も分からない。聞いても面白いはずがない。そんな私の耳を、野球中継が通り過ぎる。面白くない。どうして落語ではないのか。浪曲はやってないのか。
不平を並べる私に、親父が言った。
「何ば言いよっとか。いま野球ばしよるとは、西鉄電車ぞ。よー聞いとけ」
私は混乱した。西鉄電車が野球をする? 時々乗って、柳川や久留米、時には福岡まで出かけるあの電車が、車両が野球をしている?
私は頭の中で、電車に野球帽をかぶせた。ユニフォームを着せた。グラウンドを走らせた。でも……。
電車には手があったか? ない。
では、どうやってピッチャーはボールを投げるのか?
バッターはどうやってバットを持ち、ボールをひっぱたくのか?
ショートは、どうやって打球をつかむのか? つかんだボールをファーストに投球するのか?
そりゃあ、走ることはできるだろうが……。
どう考えても、何度考えても、頭の中に納得できる像が結ばなかった。これはいかん。どうも世の中には、まだ私が知らないことが沢山ある。学ばねばならないことが山積している。
半年以上に渡って、私の頭の中で西鉄の電車がグラウンドを我が物顔に走り回った。我が幼き日の、ほとんど唯一のファンタジーである。
「オズの魔法使」は1939年に制作されたファンタジーの名作である。なのに、ごく最近、税込み1575円で店頭に並ぶまで、題名は知っているものの映画は見たことがなかった。何しろ私は、西鉄電車の野球を唯一のファンタジーとして記憶している中年男なのである。なのに、なのか、だから、なのか、いずれにしても題名に引きずられて買い求めた。
カンサスの田舎町に住む少女ドロシーが竜巻に巻き込まれて、家もろともオズの国に運ばれる。色とりどりの花が咲き乱れる夢の国なのだが、やはり故郷が恋しい。それに、家が着地した瞬間に東の魔女を下敷きにして殺してしまい、妹の西の魔女から命を狙われてしまう。帰りたい。帰らなきゃ。でも、どうやって帰ったらいいの? 良い魔女、グリンダが教えてくれた。偉大なオズの魔法使いに会いなさい。こうしてドロシーは、エメラルドの都に住むオズの魔法使を訪ねていくことになる。
エメラルドの都に行くには、黄色の煉瓦道(Yellow Brick Road)を辿ればいい。そう教えられたドロシーは、冒険の旅に出る。足には魔法のルビーの靴。東の魔女がはいていたもので、いつの間にかドロシーの足にくっついていたのだ。これも、西の魔女が狙う獲物らしい。
(余談)
当初の予定では、ここでElton Johnの名曲、「Goodbye Yellow Brick Road」との関連を書こうと思っていた。Elton Johnはこの映画にヒントを得たのに違いないとの予断による。
「Goodbye Yellow Brick Road」の歌詞を読んでみた。わからん。いったい何を歌っているのやら。
なにやら、身売りをされそうな男の子が自立をする話のようなのだが、だとすると、この映画との関連は? 何故に男の子は黄色い煉瓦道に別れを告げるのか? 黄色い煉瓦道はエメラルドの都にたどり着くものではなかったのか?
この映画の他に黄色い煉瓦道なんて存在しそうにもないのだが……。
断念した。
途中でドロシーには、3人の家来ができる。脳みそがないと嘆く案山子、心がほしいと訴えるブリキ人形、勇気がない弱虫のライオンだ。案山子は脳みそを、ブリキ人形は心を、ライオンは勇気を、オズの魔法使に貰いたいのである。
行く手には、ドロシーの命とルビーの靴を狙い、様々な魔物を使う西の魔女が待ち受ける。ドロシーは無事にオズの魔法使に会えるのか? 3人は、脳みそと心と勇気をオズの魔法使に貰えるのか?
4人の旅が始まった……。
ま、確かに、どこから見てもお子様向けの夢物語である。ところが、大道裕宣というこの中年男は、初めて見た「オズの魔法使」にすっかりはまってしまった。
突然話が飛ぶ。すぐに元に戻るからご容赦願いたい。
エリック・クラプトンの楽譜を買った。“One More Car, One More Rider”という。2001年のワールドツアーで歌った曲を集めたものである。このツアー、私も武道館まで出かけて、クラプトンをたっぷり楽しんできた。CDも買った。DVDも買った。
このエンディングの曲にすっかり魅せられた。“Over The Rainbow”。このスタンダードナンバーのクラプトン風味付けは、実に素晴らしい。CDでも数十回聞いたが、聞くたびに楽しくなる。
で、だ。自分でも歌いたくなったのである。歌いたい、クラプトン風に。そうなると、楽譜がいる。だが、銀座のヤマハでも売ってない。やむなくインターネットで探し出し、大枚3500円と送料を支払った。
着いた。開いた。見も知らぬギターコードが並んでいた。
E C♯m7 G♯m7 C♯9 B♭9-5 Amai7 D♯7-9 G♯m7 C♯9 C♯7
と、冒頭だけでもこんな具合である。こんなに沢山覚えても、
“Somewhere over the rainbow, way up high”
までしか歌えない。
いつになったら通して歌えるのか、今のところトンと見通しがつかない。
というわけで「オズの魔法使」である。冒頭からこの曲が登場するのである。歌うのは、ドロシー役のジュディ・ガーランド。我が好みからいえばクラプトンに軍配を挙げざるを得ないが、これはこれで、素直な歌唱法が好ましい。
いずれにしても、この瞬間から、私は「オズの魔法使」の世界に入り込んだのである。
うむ、とうなったのは、ドロシーと案山子の出会いの場面だ。Yellow Brick Roadを1人で歩いてきたドロシーは、十字路にさしかかる。
“Now, which way to go?”
(あれっ、どっちの道を行ったらいいのかしら?)
と迷うドロシーに、突然話しかける声があった。
“Pardon me. That is a very nice way.”
(差し出がましいようですが、あちらの道は素敵ですよ)
“It’s pleasant down that way, too.”
(こちらの道も楽しいのです)
見回しても、誰もいない。が、やがて案山子がしゃべっていることにドロシーは気がつく。それはいいが、あっちの道もこっちの道もいいなんて、おかしいじゃない、というのがドロシーの疑問だ。こうして、2人の会話が始まる。
ドロシー : | Are you doing that on purpose or can’t you make up your mind? (何か狙いがあるの? それとも、優柔不断なだけ?) |
案山子 : | That’s the trouble. I can’t make up my mind. I haven’t got a brain, only straw. (それで困ってるんです。私、決められないんです。だって脳みそがないんですもの。頭にはワラクズが詰まっているだけだから) |
ドロシー : | How can you talk if you haven’t got a brain? (脳みそがないのにどうしてしゃべれるの?) |
案山子 : | I don’t know. But some people without brains do an awful lot of talking, don’t they? (僕にもわかりません。でも、脳みそがなくてしゃべりっぱなしの人たちもいるでしょ?) |
ドロシー : | Yes, I guess you’re right. (そうね、あなたの言ってるとおりだわ) |
ここで、思わず吹き出してしまったのだ。そうか、脳みそのない人間が沢山おしゃべりをする。いや、脳みそがないからペラペラしゃべりまくる。
いやあ、確かにそうだよなあ。俺の横で口から先に生まれてきたようにしゃべっているあいつ、どう見ても脳みそがあるようには見えないもんなあ。
おいおい、これって子供だけに楽しませておくにはもったいない、辛辣な人間批判ではないか!
鑑賞に本腰が入った。
では、ブリキ人形が心を手に入れたらどうなるのか?
I’d be tender, I’d be gentle and awful sentimental regarding love and art.
I’d be friends with the sparrows and the boy who shoots the arrows.
Picture me a balcony above a voice sings low, “wherefore art thou Romeo?”
I hear a beat, how sweet just to register emotion, jealousy, devotion and really feel the part.
I could stay young and chipper and lock it with a zipper.
(優しくなって愛や芸術に胸をときめかせる。ツバメやキューピッドと友達になる。バルコニーの下に立つと声が聞こえてくる。「ロミオ様、どこなの?」。胸が高鳴る。嫉妬や愛情を表せるって、何て素敵なんだ。若さと元気を保ち、蓄えておける)
心さえあれば、こんな世界が待っている。とすると、我々の世は心のない人間に占領された植民地かな?
では、ライオンが勇気を持てば?
I’d be brave as a blizzard, I’d be gentle as a lizard. I’d be clever as a gizzard.
(猛吹雪のように強く、トカゲのように優しく、鳥の砂嚢のように賢くなれる)
韻を踏むためか、トカゲや鳥の砂嚢が登場してピンとこないが、要は勇気があれば強く優しく賢くなれるということだ。そうか、あの上司、優しくも賢くもないが、彼に欠けていたのは勇気であったか。そういえば、上役には逆らえないヒラメ族の典型だもんなあ。
4人はオズに会う。オズは4人の願いを聞き届けようという。だが、条件がある。
But first, you must prove yourselves worthy by performing a very small task. Bring me the broomstick of the Witch of the West.
(まず、願いを聞き届ける価値があるかどうか試させてもらう。西の魔女の箒を取ってこい)
こうして4人は、西の魔女の城に向かう。ところが、城からやってきた空飛ぶ魔物たちにドロシーが連れ去られる。残された3人はドロシーを救出すべく、魔女の城までやってきた。
案山子 : | That’s the castle of the Wicked Witch. Dorothy in that awful place? (悪い魔女の城だ。ドロシーがあそこに?) |
ブリキ人形 : | I hate to think of her in there. We’ve got to get her out. (かわいそうに。早く出してやらなくちゃ) |
だが、城は衛兵が厳重に警護している。
案山子 : | I’ve got a plan how to get in there. (城に侵入するいい考えがある) |
案山子が示したのは、ライオンが先頭に立って城に押し入る計画だった。臆病なライオンは腰を引く。だが、ドロシーのためだ。
ライオン : | All right. I’m going in there for Dorothy. Wicked Witch or no Wicked Witch, guards or no guards, I’ll tear ‘em apart. I may not come out alive, but I’m going in there. There’s only one thing I want you fellows to do. (分かったよ。ドロシーのためだ、行くよ。悪い魔女がいようといまいと、番兵がどうだろうと、あいつらをバラバラに引き裂いてやる。生きて出てこられないだろうが、僕は行く。でも、1つだけ君たちにお願いがあるんだ) |
案山子 : | What’s that? (何だい?) |
ライオン : | Talk me out of it. (行くなと言って) |
3人の番兵を倒した3人は、案山子の知恵で番兵の服を着てまんまと城に入り込み、天井からつり下げられた大きなローソク立てのロープを切って敵の頭上に落とし、と大活躍。4人は悪い魔女を退治し、魔女の箒を持って意気揚々とオズのところに戻る。
さあ、私たちの願いを叶えて!
ところがオズは、なかなか約束を果たそうとしない。
Not so fast! Not so fast! I’ll have to give the matter a little thought! Go away and come back tomorrow!
(急くな! 少し考えてみる。明日戻って参れ)
冗談ではない。必死の思いで箒を持ってきたのに、明日まで待てとは。
そこで一騒動あるのだが、いや、それでいいのだ。だって、ドロシーを助けるため、案山子は知恵を使った。ブリキ人形はドロシーを心配した。ライオンは怖じ気づきそうになる自分を励まして敵陣に突入した。3人は欲しかったもの—案山子は脳みそ、ブリキ人形は心、ライオンは勇気を立派に身につけてしまったのだから。
そう、知恵や心や勇気は、人に貰うものではない。自分で身につけるものだ。人を思いやる心さえあれば、愛さえあれば、誰だって、知恵も心も勇気も、立派に自分のものにできる!
ふむ、塾に通って成績を上げようとか、高価なプレゼントや豪華な食事で彼女の心をこちらに向けようとか、ボクシングジムに通って喧嘩に強くなろうとか、安易に、何でも金で手に入れようとする傾きが、我々の回りには溢れかえっている。
「オズの魔法使」は、そこに向けて放たれた、一本の矢なのである。
いやいや、「オズの魔法使」の楽しさは、そのメッセージ性だけではない。
カンサスの暮らしはセピア色なのに、ドロシーがオズの国に着くとあらゆるものに色彩がある。それも、白、黄色、たくさんの緑、朱、赤、ピンク、薄紫、ベージュと、華やかな色がオンパレードで、見ているだけで気分が浮き浮きしてくる。
ドロシーが家と一緒に空を飛び、案山子が動く。ライオンのしっぽは動き回り、悪者の魔女は溶けてしまう。確かに70年近く昔の特殊撮影だから、CGまで駆使したいまの特撮に比べれば幼稚である。でも、特撮の技術が進めば映画のレベルが上がるわけでもないことを思い知らせてくれるのも、この映画の魅力なのだ。
加えて、「Over the Rainbow」をはじめとする音楽のみずみずしいこと!
こんないい映画を見ると、なんだか得したような気分になってしまう。
もう一つ嬉しかったことがある。
私は、いつまでも少年の心を持つ大人でありたいと思っている。いま、この年になって「オズの魔法使」を楽しめる私は、まさに理想通りの私ではないか! 私は、いまでも少年の心を持つ大人なのである!
ああ、楽しかった!
………………。
でも。楽しかった原因を分析して並べ立てる少年って、いるか?
楽しんでこんな原稿を書いてしまう私って…………。
単なる大人になってしまったのかなあ。
【メモ】
オズの魔法使 (THE WIZARD OF OZ)
1954年12月公開、上映時間102分
監督:ヴィクター・フレミング Victor Fleming
出演:ジュディ・ガーランド Judy Garland = ドロシー
バート・ラー Bert Lahr = ジーク ・ ライオン
ジャック・ヘイリー Jack Haley = ヒッコリー ・ ブリキ人形
レイ・ボルジャー Ray Bolger = ハンク ・ 案山子
ビリー・バーク Billie Burke = グリンダ
マーガレット・ハミルトン Margaret Hamilton = ガルチさん
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