02.10
2009年2月10日 私と暮らした車たち・その29 BMW320iツーリングの1
親の心を子は知らない。古来、多くの親が同じ悩みを悩んできた。
我が愛車が次女のもとへ嫁ぐのを知って、長男が言った。
「お父さん、ほかの車に乗りたくなったんだろ? いい厄介払いができたね」
冗談ではない。私はBMW318iツーリングをこよなく愛していたし、いまでも愛している。それまでに乗った最高の車だった。いわば、世界最高の美女と3年間も添い寝をしてきたのである。いや、3年は始まりに過ぎない。今度こそ、少なくとも15年はハニームーンを続けるつもりだった。
啓樹への想いが、BMW318iツーリングへの愛を上回っただけである。
何しろ当時の啓樹は、車オタクだった。数十台のミニカーを所有し、どこに出かけるにもミニカー数台を袋に詰めて持参し、レストランでは料理が運ばれてくるまでの間、無心にミニカーと戯れた。自宅では日課として「アンパンマンドライブ」を乗りこなし、私に「トミカすいすいETCドライブ」と「トミカ高速道路にぎやかドライブ」のセットをねだった。
「啓樹はさあ、車の名前をほとんど覚えてるのよねえ」
と長女は言った。試してみた。BMW、ベンツはもとより、ゴルフもミニも、三菱iも、正確に言い当てた。スカイラインもアコードもレガシーも知っていた。クラウンがクアウンに聞こえたのは、発音機能がまだ成長していないためにすぎない。
この子は、ひょっとしたら天才なのではないか? 身内には、私の採点も甘くなる。
啓樹、車がそんなに好きか。だったら、ボスが一番愛する車に乗って、一番いいものが見せてくれる世界を知った方がいい。
私はそう考えたのである。
ま、啓樹が乗るといっても、チャイルドシートに座っているだけであることは承知の上である。
私は、新しい車に乗りたくてBMW318iツーリングを譲ったのでは、断じてない。
その証拠に、後妻捜しは難航を極めた。
譲ることを決めて、さて次は何にしようかと考え始めた。考え始めて呆然とした。乗りたい車がない!
私が車選びの指針としているのは、「マガジンX」である。なーんだ、自分で見て触って乗って選んでいるんじゃないの、という厳しい目もあるだろうが、事実だから仕方がない。それに、事実とは、それなりの理由があって出来するものである。
「マガジンX」を読み始めて、もう10数年になる。初めてこの雑誌を手にした時、「ざ・総括」という新車評のコーナーに魅せられた。車の専門家が匿名で登場し、歯に衣を着せずに車を評価するとこうなるのか。徳大寺有恒の「間違いだらけのクルマ選び」なんて、甘い、甘い。コンセプトから外観、室内デザイン、エンジン特性、ステアリング、足回り、チューニング、あらゆる面から新車を評価し、良くないものはバッサバッサと切り捨てる。読みながら、一種の爽快感すら感じる。私が「マガジンX」の購読を続けるのは、「ざ・総括」が連載されているからである。このコーナーがなくなったら、購読はやめる。
メカに詳しくない私には、ついて行けない部分もある。だが、車を評価する姿勢には共感を覚える。納得できる。そうだよなあ、車ってそうでなくちゃいけないよな。いまやこのコーナーは、私が車を選ぶ際のバイブルとなった。
私は、まっとうな理屈にはなはだ弱いタイプの人間なのだ。こういうタイプを、頭でっかちと呼ぶ向きもあるが、気にしない、気にしない。
試乗もせずにBMW318iを選んだのは、このコーナーを呼んでバルブトロニックエンジンに強く惹かれたからである。それほど説得力のある記述だった。
だから、今回もこのコーナーが最大の拠り所だった。
記憶に残っている「ざ・総括」を思い起こした。ろくな車がなかった。評価が高くて記憶に残っている国産車は、ハイブリットになったエスティマ、日産のティーダ、デュアリス、スズキのスイフト程度である。あとは見事に切り捨てられていた。
だが、この4つの車、私が乗りたくなる車ではない。ワンボックスは我がライフスタイルに合わないし、町中で乗るのにSUVを選ぶ奴らの気が知れない。ほかの車は小さすぎる。
では、私が乗り続けてきたドイツ車は?
ベンツの評価は最低に近いところまで落ちた。ベンツのブランド力を使ってコスト削減を最優先した手抜き車を売ろうとしているとまで酷評されていた。いや、ベンツに関しては、「ざ・総括」を読まなくとも、あの奇妙にクニャクニャしたデザインの車を欲しいとは全く思わなかった。フォルクスワーゲンの新車群も、評価はパッとしなかった。
さて、ほかに何がある? やっぱりBMW?
だけどなあ、新しいデザインは、なんだかしっくり来ないよなあ……。
だが、デザインはともあれ、BMWが正常進化しているのなら、当然最有力候補である。新しい3シリーズはどんな車に仕上がっているのか? 「ざ・総括」への登場を心待ちにした。だが、待っても待っても出てこない。しびれを切らして、「マガジンX」の編集部に電話を入れた。
「ああ、まだですよねえ。注目度の高い車だからやんなきゃ、とは思っているんですが、なかなか手が回らなくて。もう少し待って下さい」
電話に出た兄ちゃんはそう言った。私は待った。
2005年11月号と12月号に、待ちに待った3シリーズの「ざ・総括」が掲載された。むさぼるように読んだ。期待に反して、評価は低かった。ドイツ車は低迷の時代に入ったらしい。
BMWには大きい方から7シリーズ、5シリーズ、3シリーズがあり(ほかにもあるが、この際省く)、それぞれに個性を持っていた。3シリーズは俊敏性に際だち、5や7では味わえない運転の楽しさを体現していた。だが、新しい3シリーズは、小さな7シリーズ、5シリーズになってしまった。設計の詰めも甘い、とあった。ふむ、BMWも、「いつかはクラウン」路線を取り始めたか。日本車が世界中で成功するのはいいけれど、ベンツばかりか、BMWまでトヨタの経営戦略をお手本にしなくてもいいのに。
BMWも駄目……。
いわれてみれば……。新しい3シリーズが世に出たとき、あの武田さんの誘いで試乗に出かけた。
「馬力は上がっているし、燃費もよくなって、おまけにボディー剛性が高まっているのよ。デザインも男性的になったしね」
いわれて30分ほどハンドルを握った。でも、これって、面白いか? どこか進歩しているか? 馬力が上がっているっていうけど、俺の318iツーリングの方が俊敏だぞ。デザインも318iツーリングの方が優美だ。
そう思いながら車を返した記憶がある。そうか、私の感覚もまんざらおかしくはなかったか。
「ざ・総括」を読みながら、そう思った。
自己満足はした。だが、次の車は早急に決めなければならない。318iツーリングのお輿入れの日は迫っているのである。
それでも、相対的に考えれば、BMWは第一候補だった。ともに暮らしたくなる車がほかにないのである。だけど、新しい3シリーズでいいのか?
安い買い物ではない。それに、今度こそ15年乗る車にしたい。
私は迷い続けた。迷いはなかなかはれなかった。