2009
10.11

2009年10月11日 秋

らかす日誌

秋の気配が深まった。いまやホスピスの時期に入った愛犬「リン」をつれての朝の散歩が、シャツ1枚を羽織っただけでは肌寒い。自然、速歩になる。
渡良瀬川の堤防を冷気を含んだ風が吹き抜ける。歩く。行き交う人と朝の挨拶を交わす。山の紅葉はまだだが、ぴりっと肌が引き締まる。なぜか人恋しさが募る。何かしなきゃ。
なのに。

3連休の中日ともなると、やることがない。
朝食を済ませて、「リン」の薬を処方してもらいに獣医に行く。値1万2000なにがし也。人の病気より高く付く。
終えて自宅に戻る。ソファに座る。することが何もない。そういえば、ビデオテープの整理は昨日すませた。食品の買い出しも昨日のうちに終えた。ビッグコミック、スピリッツを買って読んだのも昨日だ。
さて、今日は何をしよう?

読み差しの本の続きを読んだ。「少女七竈と七人の可愛そうな大人」。桜庭一樹の作品である。
この作者の作品は、いつも不思議な気分にとらわれる。真綿でゆるゆると全身を包み込まれるような桜庭ワールドである。見も知らぬ世界に違和感はあるのだが、おどろおどろしさに浸っているうちにゆるゆると快感に代わり、やがていつまでもくるんでいてほしくなる。写真を見るとかわいらしい女性だが、この女性がどうしてこんな世界を紡ぎ出せるのか?

今回は、平凡な顔立ちと体つきをした普通の25歳の女が、突然

「やんなくっちゃ」

と思い立って1ヶ月のうちに7人の男とチョメチョメし、その結果として、父親は不明のまま生まれた絶世の美少女が主人公だ。子供を産んだあとも、この当時25歳の女は淫乱の世界に浸りきり、子供を父に預けて家を出る。次々と取り替える男と快楽の淵に沈むためだ。いや、ひょっとしたら自分の生を突き詰める旅なのかもしれない。
こうして、唯一の親である母親に置き去りにされたまま思春期を迎えた絶世の美女は……

という、私とは縁もゆかりもない世界の話なのだが、何故か引き込まれてしまう。あと60ページほどでこの世界も終わりになるのだが。

 

読書だけでは日は暮れない。
ギターの練習をした。明日は、レッスンの日だから、前回の授業の分は今日のうちに何とかマスターしたい。課題曲はThe Beatlesの All Ny Lovingである。
エレキギターを抱え、ピックを取り出して挑む。心意気はいいのだが、情けないことに、思うようには進まない。コード進行は何とか記憶した。次々とコードを抑え、ピックで三連符のリズムに乗ってかき鳴らすのだが、音が汚い。いびつでブスッブスッとちぎれる。弦をきっちり抑えることができず、弦がフレットから浮いているのだ。この野郎! と必死に弦を押さえつけようとするが、20分もすると手が悲鳴を上げる。弦を押さえつけるのに使う筋肉が、

「悪い、もう限界!」

と大声を上げる。しばらく休ませなければ使い物にならない。

そういえば、指導教官は明日のレッスンではソロパートに進むっていってたな。前回のレッスンの分を十分にマスターしていないのに、次に進んでいいのかな?

手が悲鳴をあげだしたので、練習曲を変えた。やはりThe Beatleの曲で、Black Bird。アコースティックギターでの伴奏が格好いい曲だ。 これなら、人差し指ですべてのコードを押さえるハイポジションがなく、手の負担が少ない。
練習を始めてそろそろ1ヶ月になる。なのに、なかなか全曲覚えられない。次はどこを抑えるんだっけ? と楽譜を見る。そうか、問題は手の筋肉だけではないのか。能の筋肉も弱ってる……。

そして、昼寝、「リン」との夕方の散歩。風呂に入って夕食。傷んだ左腕に湿布を3枚。

そんな1日だったが、今日は素敵なニュースがあった。広島と長崎が2020年のオリンピック開催地に立候補する準備を始めるのだという。
東京開催にははなっから関心がなかった、いや、

「そんなことしてどうすんの?!」

と小馬鹿にしていた私だが、これには諸手をあげて賛成する。世界中の目が、世界でたった二つしかない被爆地に注がれる。戦争と平和と、そして核兵器の惨禍に多くの人が面と向かう大会になる。
被爆地で平和の祭典を、という発想がこれまでなかったことが不思議に思えてくる。発案者と、それを採用した広島、長崎の主張には、最大の敬意を払いたい。

オリンピックは1都市開催が原則など、まだ越えなければならないハードルがあるそうだ。が、私と同じく東京立候補にはしらけた方々にも、広島、長崎での開催は支持して頂けると思う。実現すれば、新しい歴史の1ページができるはずだ。

頑張れ、広島、長崎!

この招致運動、ボランティアで手伝おうかな……。
ん? 2020年? 71歳? ボランティア?
できるかな?