2009
10.12

2009年10月12日 ええっ?!

らかす日誌

「はい、ではこの曲は卒業しましょう」

今日は2回目のギター教室だった。たった2回目で、指導教官からそういわれた。ええっ?! もう終わり?

課題曲は、これまでにも書いたとおり、The Beatles の All My Loving だった。 敬愛するThe Beatles の名曲の、それもJohn Lennonが勤めたリズムギターを学ぶ。力が入る。
前回は三連符のパーツを教えられた。この1週間、ギターを抱えて

1,2,3,4,5,6。 1,2,3,4,5,6、

と頭の中で数えながら、その練習に明け暮れた。ピックを持った右手がスムーズに動かない。左手の指がフレットから浮き、音がビビる。完全にはほど遠い。俺には音楽の才能はないのか?

そして今日は、ソロパートをやるといわれていた。この不完全な状態で先に進んでいいのかどうか。私の逡巡には一顧だにくれず、指導教官は予定通り、ソロパートの指導に入った。

レコードやCDをお持ちの方は、この曲を聴いてみて頂きたい。それほど長いソロではない。楽譜で見ても、たった9小節だ。ところが、である。殊勝にも予習をした私には、どうしても解けない謎があった。1弦と3弦だけを同時に弾いて出す音があるのだ。
ギターをさわった経験がある方にはおわかりいただけると思うが、1弦と3弦の間には2弦がある。右手にあるピックで、弦を3→2→1と弾こうが、1→2→3と弾こうが、どうしても2弦から音が出てしまう。だが、この2弦の音は不要、というより出してはいけないのだ。
どうやったら、2弦からは音を出さないで、1弦と3弦から同時に音を出す?

いや、右手にピックを持っていないのなら方法はある。2本の指で、普通は親指と人差し指で1弦と3弦を同時に弾けばいい。が、これまで三連符を弾いてきた演奏者の右手にはピックがある。このピック、不要だからといって突然消えてなくなりはしない。親指と人差し指はピックを握りしめている。

「先生、このタブ譜(それぞれの弦のどこ押さえればいかを示した楽譜)を見たのですが、どうやって1弦と3弦から同時に音を出すのですか? 2弦に指で触ってミュート(音を消す)するのですか?」

私は知識人を自認している。知識人とは頭をギリギリまで使って世の中を渡っていこうと考えている種類の人間である。疑問がわいたら考える。考えて、解答をだす。安易に人に頼らない。それが知識人の矜持である。それが私のスタイルだ。
2弦のミュートは、私が考え抜いた解決策だった。ただ、演奏しにくいのが問題ではあったが。

我が指導教官は優しい。生徒の発言を、頭から否定するなんてことは絶対にしない。

「ああ、なるほど。それも手ですね。でも、The Beatles の 演奏を聴いていると、2つの音にずれがない。だから切れがあるんです。2弦をミュートして1、3弦をピックで弾くと、どうしても2つの音がずれますよね。だから、彼らはこうしてると思うんです」

指導教官は自分のギターを引き寄せ、模範演奏を見せてくれた。えっ、それって、あり?
思いも寄らない演奏法だった。
3弦は親指と人差し指で持ったピックで、そして1弦は中指ではじくのだ。なるほど、こうすれば2つの音が、見事に一緒に出る。プロとは奥が深いものだ。

こうして始まった授業は、たちまち30分近くになった。1回の授業は30分である。

「はい、では次回からは次の曲に移りましょう」

ええっ! もう次の曲? 三連符だって綺麗に弾けないし、ましてや今日やったソロの部分は、弾けるかどうかさえ分からないのに。

「いいえ、あとは慣れです。左手の指の使い方はお教えしましたし、あとは慣れるまで弾いてください」

指導教官は涼しい顔していった。

 「でも、ちょっと早すぎませんか?」

やや、講義の意味を込めていった。指導教官は答えた。

「大道さんは、ご自分でギターをおやりになった経験がある。だから、このスピードでいいのです。大丈夫です。練習してください。必ずできます」

指導教官、褒めるのがうまい。褒め殺しのテクニックに長けている。褒めて褒めて、私を思いのままに動かす。

「分かりました」

と引き下がるしかない。

さて、次の曲である。何がいいですか、というので、クラプトンの曲を数曲あげた。来週は、私が自分の楽譜を持参して曲を決める。

「ああ、その前に」

と指導教官がいった。

「クラプトンをやるのなら、ブルースギターの入り口を少しやっておきましょう。来週はそこから始めて、クラプトンにいきましょう」

目指せ、1年後のEric Clapton。いよいよ来週から本番である。

そうそう、その前に、 All My Loving の John Lennon になりる練習も必要だ。

ふむ、今週は、仕事なんてやってる暇があるのだろうか……。

 

そうそう、昨日書いたオリンピックについて、政治目的に利用するなんていかがなものか、というコメントが新聞に載っていた。
あんたはアホか? オリンピックが政治に利用されなかった例があれば教えて頂きたい。同じ政治でも、私益を追い求めるのではなく、恒久平和核兵器の廃絶という夢を追う政治なら、おおいにオリンピックを利用すべきである。

最近のオリンピックは商業主義が目立つ。核兵器廃絶の願いとは相容れない、という霞を食って生きている仙人のようなコメントも目にした。この人、どうやって食料を手に入れているのだろう? 商業主義がいやだから、お金は絶対に使わず、自分で込めと野菜を作り、魚を釣り、野獣を狩って食料を手にしているのかな? お金を使うのがいやなので、きっと山から木を切り出して自分で家を造り、電気もガスも使わずに暮らしているのだろう。
いまの世の中、お金を媒介とした交換ですべてが成り立っている。全部が商業主義なのだ。そこから逃れて生きるすべは、今のところ皆無に近い。
そんな世の中で命をつなぎながら、商業主義は良くないと主張すれば、自分は汚れなき命を生きているとでも思っているのかな?
いや、そもそも、お金の出入りを管理すると、人間は汚れてしまうのかな?

お金が心配、との声もあった。確かにそうだ。
でも、崇高な理想を追い求めるためのお金なら、みんなで負担したらいい。
国民1人が100円寄付すれば、120億円の資金ができる。1000円なら1200億円だ。
ねえ、その程度のお金なら、俺たちの財布から広島・長崎でのオリンピックに出そうよ。税金なんか使わず、すべての資金を国民の拠出でまかなうおうよ。
そんなオリンピックを、広島・長崎で開いてもいいと思うが、いかがであろう?

私は、国民1人あたりの負担額が1万円になっても、家族の人数分は協力する。我が家は2万円である。いや、3万円でも、出すぞ!