12.06
2009年12月6日 足踏み
さて、私がギター教室に通い始めて3ヶ月目に入った。通った授業はすでに9回。ということは、すでに270分、4時間半も教わった。自宅での自習を含めると、膨大な時間をギターに費やしている。
進んだ。練習曲は、最初の
All My Loving
がたった2回で終わり、次の
Sunshine Of Your Love
も3回で終了。いまは
Wonderful Tonight
である。
一見、順調、である。が、決して順調ではない。終えたはずの曲も、未だに満足に弾けないのだ。
All My Loving。3連符は、まあまあ弾けるようにはなった。が、困ったことに、3連符を弾きながら歌えない。神経がギターにいきっぱなしで、歌の方まで回らないのだ。自分のギター演奏をバックに歌うには、演奏を録音して再生しなければならない。それって、ライブできないじゃん!
クオリーメン時代のJohn Lennonは 満足にギターを弾けなかったたと読んだ記憶があるが、少なくともAll My Lovingを舞台で演奏するJohnは3連符を弾きながらハーモニー、コーラスを付けているのだ!
私は、John以下だ! ん? 当たり前か!
9小節のリードギターもまだ満足に弾けない。最悪なのは、エンディングの練習をほとんどしていないことだ。私はいまだにこの曲を最後までは弾けない!
次のSunshine Of Your Loveはもっと悪い。基本的なフレーズは教えてもらった。同じようなフレーズでありながら、さまざまに変化を付けて聴衆を飽きさせないClaptonはすごい。が、練習で困るのは、基本形はほんの少しで、あとは演奏者のテクニックとセンスに任されていることである。
たった2回で、この基本形はすべて教えてもらった。左手の指の使い方も懇切丁寧に習った。それで授業は終わりである。そりゃあ、そうだ。先生はもう教えることがない。
「あとは、慣れですよ」
いつものフレーズで、終わりである。
「だって、まだ弾けないんですよ!」
といったところで、通じない、あとは自分で繰り返し繰り返し練習するしかないのである。音楽とは、ギターとは、きわめて厳しい世界なのだ。
だから、まだ弾けない……。
こうして、
Wonderful Tonightがきた。大好きな曲である。どこまでもメローな世界は、あの娘との素敵な時間を音にしたらこうなるだろう、と思わずにはいられない。1年後はClapton、と思い定めるきっかけになった曲のひとつである。
「えー、今日からWonderful Tonightですね。いろいろバージョンがありますけど、どれでやります?」
「あれっ、大道さん、決めてこなかったのですか? 楽譜はどうされました?」
先生はこの楽譜をもっていなかった。私が持っていると話していたので、私が持って来るに違いないと考えていた。
「はあ、持ってきていませんが……。次回には間違いなく持ってきます。で、今日はどうしましょう?」
さて、その日の授業がいかなるものであったか、幸いにして記憶がない。雑談だけで終わった授業だったか……。
というわけで、次の回は自宅でタブ譜を見ながらたっぷり予習をして授業に臨んだ。
いや、たっぷり練習してかなり弾けるようになって授業に臨んだというのではない。時間だけはたっぷり使ったという意味である。少しできるようになったのは、わずか8小節の伴奏だけである。あの、聞かせどころのソロ演奏は、挑んでも挑んでも跳ね返される。
この曲の最初の授業では、ベンディング奏法を教えてもらった。左手の指で弦を押し上げる。音程を1音上げるのだそうだ。これができなければ、Wonderful Tonightを弾きこなすなんて夢のまた夢である。
まあ、これを単体だけで取り上げれば、それほど難しいことではない。難しいのは、流れの中でベンディングを使いこなすことである。
指が違ったフレットを押さえる。音が十分上がりきれない。上がりすぎて変な音になる。
その上、Claptonの演奏というのは、いやになるほど1音が短い。3連符がやたらと出てくる。おまけにハンマリングやらスライドやら、いくつものテクニックが組み合わされている。覚えようと思いっきり演奏速度を落とすと、そもそも音楽にならない!
Clapton、恐るべし!!
さて、今週も木曜日にはまた教室に向かわねばならない。Claptonへの道は遠い、と思い知らされるながらの道をたどらねばならない。
まあ、だからClaptonはフェラーリに乗れるんだな、と思うしかない。
頑張ろう……。