2013
10.15

2013年10月15日 リハビリ室で

らかす日誌

「いやあ、体中痛くってさ」

リハビリ室の近くのベッドから、どっかの爺さんの声が聞こえた。

「休みの間孫が来ててな、それが疲れるんだよな。おかげで、体中痛くって。もっと電気をあげてもらわなくっちゃ」

私は、通いつけの整形外科のリハビリ室にいた。
リハビリといったって、患部に電極を貼り付け、

「はーい、これからあげていきますからね。ちょうどいいところで言って下さい」

という女性療法士の間抜けな声とともに、体に電気が流れる。すると体の神経が電気刺激に反応、筋肉がぶるぶると震え始める。
これが腰痛に効果があるのか、肩痛に効き目があるのか、いまだによくわからない。しかし、日本の診療報酬体系は不思議で、リハビリをバカにして診察だけ受けると、リハビリ+診察だと560円(530円だったか?)ですむ診察料が、とたんに跳ね上がる。間の抜けた女性理学療法士に呆れつつ、意味があるのかないのか分からない電気刺激を受け続けるのは、唯一、支払う金が少なく済むからである。

「孫が来てて」

の話し声が耳に飛び込んだとき、私は腹ばいになり、腰と肩に電極を貼り付けられて筋肉を激しく揺すぶられながら、

新・ローマ帝国衰亡史」(南川高志著、岩波新書)

を読んでいた。
どうでもいいことだが、たいして面白い本ではない。これまで読んだところでは、従来の説からそれほど離れているとも思えない新説を説くとのことだが、大局観のない時間軸に沿った記述で、著者が何にこだわっているのかがちっとも伝わってこない。細部にこだわりすぎる嫌いもあり、たいした論証もなしに従来の説を否定するやりかたも加わって、

「やっぱ、塩野七生の『ローマ人の物語』のほうが遥かにいい本だぜ」

と切って捨てたくなる。それでも読み続けるのは、単に読み始めたからに過ぎない。

ま、それはそれとして、

「孫が来てて」

の声が耳に入った私は、思わず活字を追う目を止めた。

「何をいってやがる! うちにだって、瑛汰と璃子が来てたんだぜ。たった2日の間に華蔵寺公園と黒保根の道の駅と、桐生が岡動物園に行ったんだぞ。あんた、何をして遊んでやった!?」

と怒りが沸き上がったからだ。いや、単なるライバル意識ではない。
孫が来て、去って、残ったのは節々の痛み。それは、あるかも知れない。だが、それを赤の他人にぼやくことはないだろ? ぼやくぐらいなら

「ジジイはな、お前たちが来ると疲れてしようがないから来るな!」

と宣言すればいいではないか。
孫が来て嬉しかったのなら、まず楽しかった話をしろ。

「いやあ、楽しくて、今まで生きてて良かったなと嬉しかったんだけど、孫が帰ったら節々が痛んでなあ。俺も歳だわ」

という話なら、私も共感を覚える。だが、ぼやくだけのジジイには

「だったら、さっさと死んだら?」

といいたくなってしまうのである。
先に来た世代には、後に来た世代を守り育てる責任がある。自分の体の心配をするより、後に来た世代の心配をせねばならぬ。
遊び相手となり、かじり甲斐のあるすねとなり、困ったときのラストリゾートとなり、善き相談相手となり、理想の大人となり、導き手となり、たまに世界で一番恐ろしい叱り手となる。

親の世代にも、ひょっとしたら祖父母の世代にも、自分たちが子供に対して果たさねばならぬ役割を自覚せぬ輩が多すぎる時代である。

近くのベッドにいた爺さんよ、あんたもその1人か?


というわけで、午前中は整形外科で過ごした。
戻ると、我が妻殿がいう。

「やっぱり病院に連れて行って欲しいんだけど」

妻殿は先週金曜日、膀胱炎を再発された。素直でないので、促してもすぐに医者に行こうとはしない。土曜日に瑛汰、璃子一家がやって来て、瑛汰用の抗生物質を分けてもらい、急場をしのぎ、日、月と様子を見ていたらしいが、とうとう音を上げたというところだろう。

送り迎えして夕刻、私はマッサージへ。
ほんの少しばかり仕事はしたが、本日も医者通いで時間がつぶれた。老夫婦ならではの充実した1日であった。

そういえば、先週金曜日に参加した褒賞受賞祝賀会。隣に座ったどこかの会長さんと雑談をしていて

「私も64になりましたから」

といったら、心から驚いた顔をしていた。私、いったいいくつに見えるのか?

50代後半で銀座に行くと、

「38?」

といわれた。まあ、商売柄のお世辞は、

「とーねんとって」

までだろう。とすると、当時は40代後半に見えていたか。
でも、いまはいくつに見える? と痛む腰と肩をかばいながらニヤニヤする私であった。