2013
10.17

2013年10月17日 アンチ原発?

らかす日誌

私が嫌いな、心の底から嫌いな、根っから軽蔑する小泉元首相が、またまた不思議なことを言い始めた。

「日本は原発ゼロを目指すべきだ」

ん?
何故だ?

「一番の理由は高レベル放射性廃棄物の処分場が日本にないことで『核のゴミ』の捨て場所もないのに原発を再稼働すればゴミはどんどん増えていく」

んん??

困ったことに、ヤツが理由としていることは正論なのだ。
日本は核燃料サイクル、つまり核燃料を使いながら、そこから出る廃棄物を最終処分するまでの道筋がない。やむなく、原子力発電所から出る核廃棄物はフランスに送って再処理、つまりまだ使える部分と使えない部分に分離し、送り返してもらっている。
ま、使える部分は再利用を工夫すればよろしい。しかし、使えない分、いわゆる「死の灰」はどうするのか。これも、いまだに決まっていない。

つまり、日本は、核燃料を使えるだけ使う。その後の処理は外国に任せ、最後に出る灰はほったらかし。

これが現状である。だから、小泉の言うことには一理ある。

だけどさ、と心ある人は考えるだろう。私もその1人である。

そんな無理を承知の上で、日本に原発を入れたのは自民党政権だぜ!
あんたは、ごく最近、その自民党の総裁であり、首相だったんだぜ!!
日本で最高の権力を握っていた首相の時代、あんたは原発への疑問を一言でも口にしたか?!
自分に権限がなくなってからそんなことをいうのは、無責任の極みではないのではないか??!!

いまの世で、ツイッターなどをやろうという輩に、ろくなヤツはいない。140文字の中で何が語れるというのか。何が伝えられるというのか。
いや、ツイッターとは、何かを伝える手段ではない。空気感を共有するための仕組みである。世を、共感するヤツと、共感しないヤツに2分する下らないメディアである。

そして、日本でツイッター政治を始めたのが小泉であった。これが、私の嫌悪感の根っこである。

ツイッター政治とは、常に多数派に立って世をまとめようという政治である。そこに理屈はない。論理はない。あるのは、ただただ、

「何となくいいんじゃない?」

という空虚な空気感である。
だから、ツイッター政治は、衆愚政治となる。小泉は、日本に衆愚政治を具現化した首相であった。

その小泉元首相が、脱原発を言う。
はあ、この人、相変わらず

寄らば多数の陰

を、年甲斐もなく実戦しているアホウであり続けているのか。
まあ、霞ヶ関の脱原発キャンプにのこのこ出かけ、脱原発の演説を試みて

「帰れ!」

コールを浴びたアホ菅より、少しはましかも知れないという気がしないでもないが。


そんなポピュリスト=小泉の発言を後生大事に持ち上げ、

「ほら、やっぱ原発だめなんだよ」

と解くメディアの見識やいかに。

朝日新聞よ、東京新聞よ、真摯に考えて欲しい。
自らと同じ主張をしているからといって、かように無責任、無定見な男の発言を、元首相だからと言って取り上げ、自らの主張の裏付けとする。君たちは、ヒトラーの主張が己の主張と同じだからと言って、ヒトラーの発言を後ろ盾にするか?
つまらぬ輩はつまらぬ論理の立て方をするというほかない。

ということに気がついて欲しいのだが、当面、無理か?

あ、追記。
ヒトラーは世界で初めてタバコの害を説いた政治家でもあった。