06.15
2018年6月15日 明日は
高速道路交通警察隊に出頭する日である。緊張は、していない。ただ、気分は、良くない。なにしろ、警察に呼び出されるのだ。出来ることなら永遠に明日が来なければいい。
「俺、逮捕されるかな?」
と怯えるわけではないが、
「お小言の一つは食らうだろな」
と憂鬱になる。
明日、午前10時9分発の東武線りょうもう号に乗る。鬼が出るか蛇が出るか、怖々の上京である。
「お父さん」
と電話をしてきたのは横浜の次女であった。本日夕刻のことだ。
「東京まで出るんなら、うちに来ない?」
うち、とは横浜の次女宅である。本当は私の家であるのだが、次女一家はもう9年近く住み着いて離れない。そうそう、次女は結婚するまでこの家にいたから、合計すれば30年近く、ということはこの家が1984年に出来てほとんどの期間、この家にいることになる。
だからここは
「お父さんの家」
ではなく、いまや
「私の家」
であるらしい。
ま、それはそれとして。
「行ってもいいが、瑛汰は?」
私が横浜の家に行くのは、このところはもっぱら瑛汰の家庭教師が目的である。その目的がなければ、受験勉強を続ける瑛汰の邪魔にしかならない。
「うん、土曜日は塾で、日曜日は朝から塾のテストがある」
私は週明けの月曜日、桐生で仕事がある。日曜日のうちに桐生に戻らなければならない。瑛汰の予定がそのようであれば、瑛汰の勉強を見てやれるのは土曜日の夜だけ。
「緊急に、俺が見たほうがいいものがあるのか?」
「そういうわけではなさそうだけど、瑛汰はボスがいた方が、分からないところをすぐに聞けるから安心できるらしいの」
であれば、だ。いまは電話という便利な文明の利器がある。ましてや、お互いにiPhoneを常用機とする。FaceTimeを使えば顔を見ながら、問題を見ながら話が出来る。
「緊急の用がなければ、今回は見送ろう。必要があれば、次の週に行くわ」
ということにした。ために、明日は、高速道路交通警察隊と我が家を往復するだけの憂鬱な上京となる。
川崎に住む息子から、焼酎が2本届いた。何事ならんと思ったら、明後日は「父の日」らしい。そういえばしばらく前、桐生のO氏が
「これ、息子からもらったんだわ」
とポロシャツを自慢していた。
「何でもらったの?」
と聞いたら、
「父の日のプレゼントだよ」
という嬉しそうな返事が返ってきた。あの会話はもう3週間ほど前だから、父の日とやらはとうの昔に過ぎ去ったと思っていたのだが、そうか、今度の日曜日か。
とはいえ、私はコマーシャリズムに乗っけられることを快くは思わない。父の日なんて、父を持つ子供たちの財布の紐を緩めさせようという、商人どもの悪知恵の産物に過ぎない。贈り物をしたければそんなコマーシャリズムに乗らず、贈りたいものが見つかって贈りたくなった時に贈るものだと思う。
悪しきコマーシャリズムに乗る人を私が喜ぶのは、2月14日のバレンタインデーにやってくる、本命とおぼしきチョコレートだけである。もっとも、あの歓びから見放されてもうずいぶんになるが。
だから、まだ何も贈ってよこさない娘どもよ。父の日のプレゼントは無用である。いつでもいいから、私が舞い上がるほど喜ぶものを贈ってよこせばそれでよい。
以上、桐生の父より。