09.28
2018年9月28日 選択
昨夜、1通のメールが飛び込んだ。まだ朝日新聞で働いていた頃、前橋にいた後輩である。彼の性格をそのまま現したような丁寧な文章で、今月いっぱいで朝日新聞を辞める報告がしたためてあった。10月からは広告代理店で働くとある。
なんだか嬉しくなった。
嬉しさの一つは、わざわざ私にメールで報告をよこしてくれたことである。
私が朝日新聞の仕事を終えてから、私のもとに連絡をよこしてきた人はほとんどいない。経済部で一緒に働いた後輩たちからは必要があれば連絡が入るが、常日頃は交流がない。桐生に来て群馬県の取材の一端を担うようになってから付き合った後輩、同輩は、いまウルグアイに行っている一人を除けば、何があっても挨拶はおろか、何の連絡もない。完璧な無視である。
桐生の仕事を引き継がねばならなかった後輩は、私が仕事をしている間は
「是非、一度呑みながら桐生のことを教えて下さい」
と顔を合わせるたびに繰り返した。
「いつでもいいよ。どうせ桐生にいるし、暇だろうから」
とそのたびに応えたが、私が仕事を離れると何の連絡もない。巧言令色少なし仁、を地でいく男である。
クラシック音楽の愛好者で、CDが増えすぎて困っているという同輩がいた。ネットワークオーディオを教えてやり、ラズベリーパーを使った安価なネットワークプレーヤーを勧め、volumioの初期設定まで教えてやって、感謝された同輩も、いつの間にか仕事を辞めたようである。彼からも何の連絡もない。
まあ、私の不徳の致すところ、ということもあろう。私は未完成の人間であり、欠点をたくさん持つ人間であることは自覚している。私を嫌う人間がたくさんいてもおかしくはない。
あるいは、高年齢者というのは若者から見たら近寄りがたい、敬遠すべき物なのかも知れない。だから、仕事仲間であるうちは仕方なく付き合うが、私が社を退いたあとは、やっといやなヤツがいなくなってくれたと胸をなで下ろしている。
それでも、である。
何度も前橋から桐生まで酒を飲みに来たではないか。熱く語り合ったではないか。で、挙げ句の果ては無視か?
ま、世の中とはそうしたものなのだろう。怒りはない。ただ、ほんのちょっぴり寂しさを感じるだけである。
それだけに、重大な決断をし、新しい人生を切り拓こうというときに、私にまで連絡を暮れた後輩が嬉しかったのである。
嬉しさの2つ目は、彼が新しい道を見いだしてくれたことである。
彼は朝日新聞の記者としては不幸な出発点に立たされた。上司、職名でいえば前橋総局長がとんでもない男だったのである。長く警視庁を担当し、中でも暴力団担当が長かったという男だった。暴力団を担当する刑事たちは徐々に暴力団に似てくるといわれる。この男は、その暴力団担当の刑事を相手に取材を続け、刑事に似ればまだしも、それを飛び越えて暴力団そっくりの顔つきになっていた。いや、顔つきだけではない。しゃべり方、考え方、どれをとっても
「ああ、暴力団の皆さんはこんななんだろうなあ」
と思わせる男であった。
それにしても、暴力団とは、自分の立身出世を第一に考える人たちなのだろうか。この男は部下の育成より、自分が東京本社社会部から高く評価されることを望んだようである。警察を長く担当したため、警察庁の幹部に知り合いが多い。それを背景に、群馬県警本部長に会う。察庁幹部とナアナアの仲だといわれれば、真偽は別として、警察庁人事で動かされる本部長である以上、軽視できない。ついついリップサービスをする。まあ、これも取材ではある。
一方で、警察担当の若い記者は、この総局長のような背景など持たない。他社が知らない話を聞き出すには、努力の上に努力を重ね、朝、夜とお巡りさんにまとわりつくしかない。そんな難行を何度繰り返してもネタが取れることは希である。それなのに、総局長は昼間チョイチョイと県警に出かけ、どうして俺が取れない話を聞き出してくるのか。
総局長には長いキャリアがあるからだ、と頭では理解していても
「俺は能力がないんじゃないか」
と悩みだし、抜かれでもしたら、例の暴力団チックな口調で
「手前! 仕事する気はあんのか!?」
と怒鳴りつけられる(現場に立ち会ったことがないので、ここは想像の産物である)。仕事に嫌気がさすだけならまだしも、鬱病を発症してもおかしくない。そして、現に鬱病患者が続出した。
総局長に、取材をするなとはいわない。しかし、それは若手の手助けをする取材であって、
「俺にはネタが取れるのに、お前は何で取れないんだ? 仕事をしてるのか?」
と怒鳴りつけるための取材であってはならない。若手に何故ネタが取れないのか。自分の若い時を思い起こし、自分が5年かかって道を切り拓いたのなら、2年できちんとした取材力が身につくよう指導するのが総局長の役割である。この男のやり方は、どう見てもまともではない。
まともでないのは、前橋で自分が取材した中身を、いちいちメールで東京社会部に送っていたことである。俺は前橋でもこれだけ警察の取材が出来ている。早く東京に戻せ。警察担当にしろ、というアピールであろう。若手に責任を持つ立場にいながら、頭にあるのは自分の事だけ。人間、そこまでは落ちたくない。
もっとも、ある同僚の話によると、東京社会部では
「おい、また前橋からメールが来たよ。あいつ、何やってんだろうね」
と嘲笑の対象であったらしい。知らぬが仏、を絵に描いたような話である。
昨夜メールをくれた後輩は、最初の職場でこの男に仕えることになった。悲惨である。
「いやな上司も、2,3年すれば必ずいなくなる。それまで辛抱すれば、次は多少ましな上司に仕えることになるはずだ。いまは我慢しろ」
何度か忠告をした記憶があるが、しかし、日々下らぬ男の圧力の下にあるストレスは大きい。はたして我慢できたのかどうか。
「○○が落ち込んでいる」
という話が前橋から流れてきた記憶もある。
このような総局長を何とか排除しようという動きもあった。が、会社の人事とはなかなか思ったようには動かない。結局、この後輩を含めた若者たちを劣悪な職場環境に置き続けたのには、私を含めた年寄り連中にもいささかの責任がある。
だから、彼がにこやかに次の仕事を選んだことを心から喜びたいのである。
さらにいえば、紙面を見る限り、朝日新聞はたいした新聞ではなくなった。朝刊、夕刊を必ず開くが、読みたくなる記事がほとんどない。目がいくのは、ほんの一握りの記者が書くコラムを除けば、社外筆者の原稿ばかりである、群馬版など最悪で、役所が垂れ流す話ばかりが紙面を埋める。批判精神も見受けられない。役所の広報誌みたいである。
町に出て、世の中の新しい動きの兆しをキャッチしたり、思わす頭が下がってしまうような市井の人を取り上げた記事などはどこにもない。役所が出してくるペーパーを記事に仕立てるのは誰にでも出来る。取材力を磨くにはどんどん町に出て、出会う人と雑談に雑談を重ねるしかないのだが、そんなことを考え、実行する記者、それを指示する上司が払底しているらしい。
そんな体たらくだから、この後輩が朝日新聞に見切りをつけ、新しい道に踏み出したことを喜んでやりたいのである。
広告代理店もメディアに絡む仕事である。新聞記者をかつて志した彼は、やはりメディアへの思いが強いようだ。が、代理店の世界だって甘くはない。いま、メデイアの経営環境は激動している。新聞はメディアの王の座を滑り落ちた。テレビはまだ健在だが、世の中ではテレビ離れが進み、いったん録画してコマーシャルを飛ばしてみる習慣も定着しようとしている。広告主は、そんな動きはとっくにご存じである。ではインターネット広告が主流になるかというと、この世界も広告手法がいまだに確立していない。
広告代理店は、新聞、雑誌、テレビ、インターネットなどメディアの広告を差配する仕事である。激動しているメディアの世界で収益を上げるのが日を追って厳しくなる世界だ。そこで彼は実績を上げなければならない。旧来の手法から脱し、新しい広告の世界を切り開けるかどうか。
まだ若い彼には是非成功して欲しい。
「たいしたことは出来ないでしょうが、私に出来るお手伝いがもしあればいつでもいってください」
そんなメールを返した私であった。