2018
10.03

2018年10月3日 光陰矢のごとし

らかす日誌

早いもので、カレンダーが10月になった。光陰矢のごとし、とは永久に変わらぬ真実であるとの思いを深くする。

昨夜は、桐生えびす講の準備のための集まりがあった。無信心、神様の御利益なんて絶対にない、と言いつのる私が、桐生西宮神社の催しであるえびす講の集まりに出るのは場違いな感じだが、何故かこの3年、毎年顔を出している。人生は不思議の連続である。

自宅まで来るまで迎えに来てくれる人があった。

「お久しぶり」

といいながら、ふと口について出た言葉があった。

「今年も、もうえびす講なんだね。去年のえびす講をつい1ヶ月前にやったような気がするなあ。こうして今年もえびす講、すぐに次のえびす講。棺桶が時速100kmで近づいているような気がするよ」

若い頃は、毎年の定例行事を

「まだか、まだか」

と待ったような気がする。
いまは、

「もう来たか、また来たか」

である。同じ物事を捉えるのにこれだけの差がある。齢を重ねるとはそのようなことらしい。

数日前から、ソ連・ロシアの映画を見ている。私のファイルケースには、「戦艦ポチョムキン」から始まり、「「ストライキ」「全線」「アレクサンドル・ネフスキー」と続く。意図したことはなかったが、なぜかセルゲイ・M・エイゼンシュテイン の作品ばかりだ。

エイゼンシュテインといえば、巨匠と呼ばれる旧ソ連の映画監督である。前記の4作品は、1925年、1929年、1938年の作品だから、革命直後のソ連、対独戦を控えた時期につくられた。だからであろう。古い作品はまるでプロレタリア文学で、旧支配層の暴虐と民衆の反抗を描き、社会主義体制のすばらしさを説く。「全線」では官僚主義の弊害が描かれ、

「ほう、ソ連ではそんなに早くから官僚主義が成立していたのか」

と驚く。1938年作の「アレクサンドル・ネフスキー」は戦意高揚を狙った映画だ。

見ながら思った。

「これで、どうして巨匠なの?」

つまらないのである。人間の描き方は単純。馬鹿か利口か。いい人か悪い人か。馬鹿は利口に導かれて徐々に善人に変わり、悪い人はいい人に打ち倒される。「アレクサンドル・ネフスキー」は彼が初めて素人ではなく、芸歴のある役者を使った映画といわれるが、30分も続いて最大の見せ場といわれる戦闘場面では、馬に乗った武人たちがただただ刀を右と左に振り回す。右に振れば左、次は右。

「おいおい、刀って切るだけじゃなく、相手の攻撃をかわす動きもしなければならないはずだが」

と、戦場に出たことがない私でもついつい口に出したくなる。リアル感ゼロの戦闘場面である。これで対独戦への士気を高められたソ連の民衆って、ありか?

この人の映画、まだ「イワン雷帝」(1944年)、「メキシコ万歳」(1979年)、「十月」(1928年)が我がファイルにある。せめて手元にあるすべての映画を見終えなければ、軽々に評価を下してはいけないのかも知れないが、私の気持ちは

「なんじゃ、凡作ばかり撮りおって」

に傾きつつある。
これはエイゼンシュテインの問題か。それとも、すでに地上から消えたソ連の体制がもたらしたものなのか。

とりあえず、歴史的映像として保存することにしたが、ふーむ、「戦艦ポチョムキン」を含めて、彼の映画をもう一度見てみようという気になるかどうか。

今夜は3時間10分もある「イワン雷帝」を見る予定である。