02.07
あかりが文字に関心を持ち始めたそうだ。
私は3歳のころ、文字に関心を持ち始めた、と親から聞いたことがある。新聞を持って両親や祖父母のところへ行き、
「の、の」
と、自分が読める唯一の文字である「の」を次々と指さしたという。「の」を見つける速度は驚くほど早く、両親、祖父母は
「この子は天才ではないか」
と期待したらしい。なんのことはない、1つだけの作業なら、複合機よりも単機能マシンの方が効率よく仕事をこなすだけのことである。「の」を探す単機能マシンである私が天才であるはずはない。そのなれの果てが現在の私であることを見れば納得していただけるだろう。
さて、子どもは何歳ぐらいで文字に興味を持つのか。遺憾なことに、自分の3人の子供たちが文字を読み始めたのが何歳の時か、私には全く記憶がない。そもそも子育ては妻女殿にまかせきりで、私が子供たちに文字を覚えさせようとしたことがないのだから仕方がない。何でも、小学校入学を目前にした長男がひらがなすらも読めず、妻女殿が慌てて教え始め、何とか入学に間に合ったという話を聞いたことがある。我が家の家庭教育はその程度のもので、厳しい管理教育をしておれば1人ぐらい東大に進めたのかも知れないが、まあ、3人共にそれぞれ庭を持ち、それなりにやっているところをみれば、あれでも良かったか、と思わないでもない。
我ら夫婦のずぼらさ加減を基準にすれば、娘2人はともに緻密な教育ママである。啓樹、瑛汰、璃子、嵩悟の4人は、恐らく小学校に入るずっと前からひらがなを読んでいたような記憶がある。
一方、小学校入学直前にやっとひらがなを読み始めた長男は放任教育であるようだ。こいつが一番私に似たのかも知れない。なにせ、1人娘のあかりが来年小学校に進むのに、これまでひらがなを読めなかったというのだから、まあ、親に似たということか。
流石に私が心配になって、昨年11月末に桐生に来た時、
「おい、そろそろひらがなぐらい読めるようにした方がいいのではないか?」
と促したところ、
「教えようとはしてるんだけど、本人が全く関心を示さないんだ。ひらがな練習の本を開くと逃げていくんだからしょうがない」
といった。
ということは、かつての私に比べれば、長男は子どもの教育に力を注ごうとはしているようである。何もしなかった私からこの長男が生まれたということは、出藍の誉れ、というべきである。そして、文字に全く関心を示さないあかりは、3歳で文字に関心を示した私からの隔世遺伝には恵まれず、父親に似てしまったということか。
その長男から先週末、電話が来た。
「あかりのランドセルなんだけどさ、いつまでに申し込めばいいのかな?」
我がファミリーで最も早く小学生になったのは四日市の啓樹である。この時は、入学祝いとして2段ベッドを求められた。ランドセルは私が買うから、という長女の説明であった。
2人目に小学生になった横浜の瑛汰の際は、次女がランドセルの品定めに力を注いだ。桐生から横浜に戻ったある日、
「お父さん、今日新宿の伊勢丹でランドセルの発表会があるの。車で連れて行って」
というので、一緒に新宿・伊勢丹まで出かけた。瑛汰と璃子を私にまかせた次女は勇んで発表会場に歩を運んだ。出て来た次女に
「決めたのか?」
と聞くと、
「うーん」
という。新作ランドセルもどうやら気に入らなかったらしい。子どもに持たせる道具の選択にも心血を注ぐのが次女の特性である。
ま、気に入らなければ仕方がない。しかし、入学日は迫る。ランドセル無しでの入学式はありえない。
「どうだ、桐生にランドセルを作っているところがある。1、2度見たが、なかなか良かったぞ。あれにしないか?」
桐生にモギカバンはある。町の鞄屋さんだが、何故かランドセルはオリジナルブランドで製造している。何かの折に見たが、なかなかしっかりした作りで好ましい。あれでいいではないか、というのが私のアドバイスであった。
「うーん、一度見に行くわ」
次女は己が納得しなければ首を縦に振らないのである。
それからしばらくして、次女一家が桐生にやって来た。連れだってモギカバンに行った。私が勧めたのは上からかぶせる蓋(冠=かぶせ、というらしい)の裏(この部分は「冠裏=かぶせうら、というのだそうだ)まで革製のものだった。黒い革に紺色の糸でステッチを入れるなど見た目も好ましい。それに、この冠裏に焼きごてでネームを入れてくれるのも私の好みである。
即決ではなかったと思うが、とにかくそのランドセルに決まった。以来、璃子、嵩悟もこのモギカバンのランドセルをしょって小学校に通うようになる。もちろん、支払いは総て私である。
そして、あかりは私が買うランドセルの、最後のユーザーになる。子供たちが6年間背負い続けるランドセルは、私がモギカバンで買う。瑛汰以来の、それ側がファミリーの伝統なのである。
モギカバンに電話を入れ、いつまでに予約すればいいのか問い合わせた。5月の連休前まで、という。
「でも、大道さんなら遅くなってもいいですよ。何とかしますから」
とは店主殿の営業トークであろう。
ということを長男に伝えたついでに、
「あかり、まだひらがなを覚えないのか?」
と聞いてみた。昨年11月末、文字に関心を示さないというあかりを心配した私は、あかりを書店に連れて行って絵本を数冊買い与えた。ついでにジグソーパズルもプレゼントした。体を使う遊びだけでなく、頭脳を使う遊びも楽しいことに気が付いてくれたら、という親心、いや爺心である。多分、これを知育といううのだろう。
書店から我が家に戻ったあかりは、
「ボス、パズルしよう」
と積極的だった。24ピース、36ピース、48ピースの3つが入っていた。1回目、24ピースは私が手伝わねばできなかった。36、48ピースも同様である。だが2回目に24ピースはほとんど自分で組み上げた。子どもとは成長が早いものだ。
川崎に戻ったあかりは、それからしばらく、朝起きればパズル、昼もパズル、とすっかりはまったらしい。もちろん、総て自分一人での遊びである。少しは頭を使うことの楽しさを知ったのか。このまま文字まで進んでくれればいいと思っていたが、その後、璃子が使っていた公文のひらがな練習テキストを譲られたものの、これには全く関心を示さなかったと聞いたから気になっていたのである。
「それがさあ」
と長男はいった。ああ、まだ駄目なのか? と諦めかけた。
「ちょっと前から突然ひらがなに関心を持ち始めて書く練習を始めたんだよ。特に何かをしたわけじゃないんだけどね。まだ書ける字はほんの少しだけどさ」
ほう、そうなのか。子どもとの中では、ある時期になると、知的好奇心が突然芽を出すのか。面白いものである。
私が見るところ、あかりは自我の固まりのような子である。他人はほとんど眼中にない。聞くのは洋楽ばかり。大多数がJ ポップで育っている保育園仲間とはきっと話が合わないだろう。スター・ウォーズにはまりきっている保育園児も希ではないか。自宅に戻れば、テレビで見るのはスター・ウォーズとYouTubeのロック。飽きれば父親の側でエレキギターをかき鳴らす。あかりはいったい、保育園に仲のいい友だちはいるのか? そもそもどんな時間を過ごしているのか?
そのあかりが、自主的にひらがなの勉強に取り組み始めた。
「あの子、始めたらきっと速いわよ」
とは妻女殿のお言葉である。うん、私もそう思う。
珍しく夫婦の意見が一致した我が家で会った。