2024
04.18

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の22 朝日ホールの独立を志す

らかす日誌

親のすねをかじっている間は気楽なものだが、独立するとなれば金がいる。それが世の常識である。
中でも、朝日ホールは朝日新聞という親を持つ。この親は、なかなかに頑固である。子どもの主張に耳を貸し、

「ああ、いいよ、いいよ。お前の思う通りにおやり」

と猫なで声でしゃべるような甘い親ではない。
ましてや、いまだに自活する金も稼いでいない子が、

「俺、家出るぜ」

などと突然言い出せば、その考えがどれほど理にかなっていようと、この親が首を縦に振るはずはない、とは私の見立てであった。

独立するには、まずホールの収支を整えなければならない。少なくとも、運営赤字をトントンにしなければ、独立話を切り出すきっかけさえ見つけるのは困難である。

いや、いまは2億円を超す運営赤字を出している。

「毎年1億5000万円で、この新会社にホールの運営を委託しないか?」

という話の仕方もあるだろう。それでも朝日新聞は6000万円ほどの経費削減になるのだ。
しかし、相手は変化を嫌う大企業である。その論理は通じにくかろう。話に説得力を持たせるには、

「ただでホールの運営を引き受けてやる!」

と啖呵を切るにまさるものはない。

さて、ホールはどれくらい稼げるのか?
就任したとき約3億3000万円あった運営赤字は、主催公演の収支改善、ホールの稼働率の向上で2億1000万円程度にまで縮んでいた。多分、この年度(2007年度)は2億円を切るか切らないかまで行くはずだ。

・担当員のがんばりで、赤字が当たり前だった主催公演を15000万円前後の黒字にした
・超一流の演奏家の出演でホールの知名度が上がり、貸しホールとしての浜離宮ホールの稼働率が向上した
・朝日建物管理の仲間たちが営業活動に力を注いでくれた

の3点が、私が総支配人に就任してから成し遂げた、私にいわせれば快挙である。

わずかの期間にここまで収支を改善できた。しかし、それでも毎年巨額の赤字が出る。この路線を進めていって、この赤字幅をどこまで縮めることが出来るのか。

捕らぬ狸の皮算用をしてみた。人件費を現在のままとして、ホールの稼働率をギリギリまで上げてみる。ホールはメンテナンスが必要で、そのために週に1日は空けなければならない。そうすると、ギリギリの稼働率は85%ほどになる。そんな数字を入れて計算してみても、どうしても1億5000面円ほどの赤字が残る。
では入場料や貸しホール代金の値上げをするか? いやいや、競争相手がたくさんあるのだから、それは難しかろう。それに、引き上げたところで年間の増収は1000万円に達するかどうか。

つまり、このままホールを運営していけば、永遠に赤字が続くのである。これでは、ただでも頭が固い親を説得出来るはずがない。ため息が出た。

金がいる。新たな収入源がいる。でも、ホールの機能は100%使っているはずだ。新たな収入源なんてどこにある?
そんなことをボンヤリ考え続けていた。

「これしかない!」

というアイデアが浮かんだ。コンテンツのマルチ活用である。浜離宮ホールが音響の良さで高い評価を受けているのなら、それを使わない手はないじゃないか! 音楽。それは、浜離宮ホールの中だけで聴かねばならないと決まったものではあるまい? ホールの客の独占物にしなければならない理由はあるか?

デジキャスでテレビ朝日系列のテレビパーソンといろいろな話をしたのが役立った。
テレビの世界では、コンテンツのマルチユースというのは常識である。例えば2時間ドラマを創る。2000万円の制作費がかかったとする。1回しか放映しなければ2時間の時間を埋めるコストは2000万円になる。だから、再放送をする。こうして、2時間当たりのコストを下げる。さらには、CSに放送局を持ち、そこでも数回放映する。すっかり使い古した、といっては失礼かも知れないが、評判が良かった番組は海外のテレビ局にも放映権を売ればいい。さらに評判が高ければ、映画館で上映する道もあるだろう。最後はDVD、Blu-rayにして売る。
こうして、2時間2000万円のコストを、2時間500万円、2時間100万円に下げる。いってみれば、金をかけたコンテンツは骨の髄までしゃぶり尽くすのである。

であれば、ホールにその経営手法を取り入れてもいいのではないか。ホールでは毎日のように、音楽というコンテンツが創られている。それをマルチ活用する。

まず、音楽ホールにハイビジョンカメラを入れる。1階下にある小ホールに大画面のデイスプレーを設置し、音楽ホールの音と映像をリアルタイムで流す。小ホールにも客を入れるためである。
音楽ホールだと生で演奏を楽しめる。だから、ここの入場料を8000円としよう。リアルタイムで同じ音楽を大画面で楽しめる下のホールは、ミュージシャンのすぐ近くにいるとはいえ、生ではない。だから、入場料は半額の4000円とする。小ホールの収容数は約400人だから、音楽ホールの200人分の収入になる。552席しかない音楽ホールが、752席のホールになり、収入が増える。

小ホールにリアルタイムで流すのなら、インターネット環境が良くなるのを待って、全国にリアルタイムで配信する。地方の映画館、ドーム、野球場などと配信契約し、金を取る。
たとえば、サザンオールスターズのコンサートを浜離宮ホールで開くことが出来たとする。小ホールも使うから、浜離宮で楽しめる客は最大で約750人。しかし、リアルタイムで全国の映画館や野球場、サッカー場に配信すれば、数万、数十万人のファンがリアルタイムで楽しめる。
しかも、浜離宮ホールで出来るのはアコースティックコンサートだけである。アコースティックで聴くサザンオールスターズの音楽の数々。遠くて浜離宮までは足を伸ばせないという地方のファンも、リアルタイムで同じ音楽を楽しむことが出来れば、随喜の涙を流してくれるのではないか?

その準備として、私は予算要求に「ハイビジョンカメラ」を滑り込ませた。せっかく演奏をハイビジョンで撮影するのなら、まずロビーでその映像と音を流したいと思い、50インチだったか60インチだったかの、プラズマディスプレーも買うことにした。音は、クリスキットマルチアンプシステムで出すことにし、これも予算に組み込んだ。組み立ては私が引き受けたことはいうまでもない。
すべては、音楽ホールのコンテンツを配信するための準備である。

しかし、私の大構想を実現するには、当時のインターネット環境はまだ不十分だった。やがて来るネット全盛時代に備えた準備をしたに過ぎない。おそらくいまなら、浜離宮ホールのネット会員を募り、定額制で浜離宮の音楽をネットで配信することも考えたはずである。

さて、ネット利用がまだ出来ない環境下で、コンテンツを使い倒す方策はないか?
私は、自分で始めた「朝日いつかは名人会」に目をつけた。せっかくの落語ブームである。これを利用しない手はない。
「朝日いつかは名人会」をテレビで放映する。テレビで放映すれば、映像資産が残る。これを使おうというのである。

テレビは、朝日新聞と少し関係のある「スカイ・A」というCS局が話に乗ってくれた。まず放送する。終われば、その映像資産を朝日ホールに渡す。

私はアップル社を尋ねた。そう、iPhoneやiMacのアップルである。アップルの動画配信サイトで「朝日いつかは名人会」の動画コンテンツを売る。

アップルの若い担当者はこの話に興味を持ってくれた。

「面白いですね。是非やりたい」

ところが、では、いつから始めましょうか、と突っ込むと、

「正直、分かりません」

アップルはすでにアメリカでは動画有料配信サービスに乗り出していた。やがて日本でも始めるはずだと計算してのアップル訪問だったのだが、彼によると

「アップルは、新しいサービスを始めるときは一気に行きます。動画配信も、手に入ったコンテンツから少しずつ、というやり方は採らず、数万、場合によったら数十万のコンテンツの用意が出来てからドンと出ます。日本でもいずれは動画配信を始めるのは間違いないのですが、残念ながらコンテンツの用意がなかなか進みません。日本のテレビ局などはまだネット社会に不慣れなのか、なかなかコンテンツを出してくれないのです。残念ですが、今のところアップルはこの話に乗ることが出来ません」

なるほど、さようなことか。これも時を待たねばならないらしい。

しかし、捨て去るには惜しいアイデアである。
改めて尋ねたのは、あのIT会社を経営するS君である。彼の会社は「耳で聞く本」をネットで販売していたからだ。耳で聞くのは本だけではないだろう。もともと耳で聞く落語を配信して何が悪い?

「面白い、大道さん。それ、やりましょう!」

数ヶ月後、「朝日いつかは名人会」のネット販売が始まった。確か、「オーディオブック」といったような記憶がある。
私の、ニュービジネスの最初だった。さすが落語ブームの時代である。驚くほど売れた、と書きたいのだが、売れ行きはそこそこだった。このビジネスはホールから引きはがされ、朝日新聞のほかのセクションが担当した。あまり伸びない販売に、そこの担当者はやる気をなくしたらしい。終幕を迎えたのは、確か私が支配人から外れたころだった。

ま、最初からうまく行くニュービジネスはないということか。