2023-08

名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の26 加藤さんの話

名古屋を離れる前に、どうしても触れておきたい人がいる。スーパー、ユニーの広報室長だった加藤さんである。もとは老舗百貨店、オリエンタル中村の専務取締役だった。業績不振に陥って三越に買...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の25 血の気が引いた話

一瞬にして血の気が引く経験など、そう滅多にあるものではない。私が真っ青になったのは1982年3月8日のことである。その頃私はすでに東京経済部への転勤が決まり、日本の中枢で仕事をする...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の24 特ダネ街道

工販合併へ、のl記事を書いたころ、私は絶好調だったようである。その話も、工販合併の話を少しでも煮詰めようと、トヨタ系列の部品メーカーの幹部に時間をとってもらい、話を伺っている間に転...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の23 余震はまだまだ続いた

余震は、それからも続く。まず、日本経済新聞のトヨタ担当記者が1人から4人に増えた。記者会見場、パーティ会場、トヨタの首脳が顔を見せるあらゆる場所で、4人の少年探偵団(当時、日経の記...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の22 特ダネとその波紋

新聞には「早版交換」という習慣がある。印刷所から遠いところに届ける新聞を早版という。早く送り出さねばならないので、締め切りが早く、刷り上がりも早い。この新聞を各社で交換する。だから...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の21 「両社長の談話をとって来い」

名古屋本社経済部でデスクと顔を合わせたのは昼過ぎだったろうか。「それで、大道。詳しい話を教えろ」取材の細部まで説明した。「ということは、聞き出せたのは分かれているメリットがもうなく...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の20 分かれているメリットがもうなくなった。

東京での宿は、今回も横浜の妻女殿の実家である。ここに泊まれば出張費が浮くのだから、これはやめられない。だが、東京に着いてすぐに私が向かったのは朝日新聞東京本社だった。妻女殿の実家に...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の19 悲壮な覚悟

12月に入った。取材は遅々として進まない。いや、遅々でもいい。少しでも進んでくれればなにがしかの手応えはあっただろう。現実には、これほど取材を重ねても、相変わらず私はスタート地点に...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の18 ブランデーに酔い痴れてしまった

新聞記者は足で稼ぐ、といわれる。机の前に座っていてもネタは集まらない。とにかく歩く。歩いて人に会う。それが記者の「A」であり「Z」である、という教えである。私は工販合併の取材でずい...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の17 工販分離のメリット

トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売は合併するのか、しないのか。そういえば、記者連中の間では合併熱が盛り上がっていた。新車の発表会、中間決算の発表会など、トヨタの記者会見があるたびに...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の16 工販が合併するって?!

「ねえ、大ちゃん」私は余程親しみ易い性格らしい。大道君、という人もいたが、少し親しくなると「大ちゃん」と呼ばれた。トヨタ自動車販売の広報課長氏も、「大ちゃん」組である。「工販合併の...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の15 東京モーターショー

10月30日、第24回東京モーターショーが東京・晴海で始まった。トヨタ担当は、自動車ショーは見に行くことになっている。私なんぞ、見ても「へえ、こんなスタイルの車が近々出るのか」程度...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の14 幻のセラミックエンジン

前回、記者は記事を「書かされる」と書いた。情報源と読者を繋ぐのがメディアである以上、それは避けられないことである。警察の広報はいかに自分の組織が手柄を上げたかをメディアを通じて国民...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の13 トヨタ自動車という会社

トヨタ担当は、トヨタ自動車だけを取材するのではない。デンソーなどトヨタグループの会社も取材対象だし、東海地方の製造業はすべて私の担当だった。だから、記事はよく書いた。というか、次か...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の12 私がトヨタ自動車の担当になった

名古屋経済部で最重要とされる仕事はトヨタ自動車担当である。ほかの企業ニュースは名古屋圏ローカルで報道されることがほとんどだが、トヨタの一挙手一投足は全国的な関心事となる。そのため、...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の11 本が読めない

本が読めない、と自分で自分に驚いたのは名古屋経済部に行ってからである。企業の決算書を理解したくて入門書を読み始め、まったく頭に知識が流れ込んでこないことに愕然とした話は前に書いた。...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の10 ソアラという車

1981年、トヨタ自動車工業は高給クーペ「ソアラ」を発売した。「ソアラ」はトヨタとしては画期的な車だった。それまでトヨタは、コスト重視の車作りを続けてきた。車毎にマーケティングで店...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の9 正月の災難・朝日新聞についての新しい知見

松本部長が東京経済部長に転出した。栄転である。代わりにKa氏が名古屋経済部長として着任した。あれはKa氏の着任早々だったと思う。NHKが夜7時のニュースで、トヨタ自動車工業と米・フ...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の8 東海銀行の事件

1年ほどで私は流通、証券、東海のくらし担当から金融担当となった。銀行が取材先である。そのころ名古屋には、都市銀行の東海銀行があり、地方銀行、相互銀行があった。それがすべて私の担当と...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の7 さて、私が経済記者ねえ……

松本経済部長は時折、記者クラブに私を訪ねてくれた。あれほど経済部を嫌っていた男のその後が気になっていたのだろう。すぐ近くの喫茶店で話をした。「どうかね、仕事は」といった当たり障りの...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の6 中内㓛さん

ある日、スーパー、ダイエーの創業者、中内㓛さんにお目にかかるために神戸の本社まで出かけた。名古屋の経済記者である私の担当範囲はダイエーにまでは及んでいない。出かけたのは、ダイエーの...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の5 私のヒラ時代

名古屋本社経済部で「私のヒラ時代」という連載が始まったのは、確か1980年の春ごろではなかったか。いまは会長、社長、専務、常務、取締役とサラリーマンとしての出世を極めている人たちも...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の4 オリエンタル中村百貨店

もう解散してしまったが、「憂歌団」というブルースバンドがあった。まだ津支局にいたころ、町の若者たちが「本物のブルースを聴きたい!」とこのバンドを津に招き、自力でコンサートを開いた。...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の3 東海のくらし

私が書くことになった生活情報は「東海のくらし」といった。毎週月曜日の朝刊に掲載された。野菜、果物、鮮魚、肉・卵について、その週の価格見通しを書く。食料価格の予想? そんなこと、駆け...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の2 知恵熱

自宅から会社に直接出勤したのは初日だけである。翌日からは会社には行かず、直接取材先、あるいはたまり場に行く。それが新聞記者の生態である。名古屋初のたまり場は名古屋の繁華街、栄にある...
名古屋経済部編・1回目

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の1 取材先はお年寄りばかり……

名古屋で住まったのは東名高速名古屋インターからほど近い千種区星ヶ丘の朝日新聞借り上げ住宅だった。5階建てのマンション(アパート?)の1階端の部屋で、近くに三越星ヶ丘店(当時はオリエ...
岐阜支局編

私と朝日新聞 岐阜支局の28 私は岐阜が大好きでした。

「松本さんから電話があったわよ」夜10時半頃帰宅すると、妻女殿がそういった。1978年の暮れか79年はじめのことである。松本さん? つい5分か10分前まで、支局で松本デスクと一緒だ...
岐阜支局編

私と朝日新聞 岐阜支局の27 無理編にげんこつ

岐阜支局の上司の話を書き留めておきたい。支局長は足立健夫さんといった。私たちは「健夫」を「たけお」とは読まず、「けんぷ」と読んだ。それだけ支局員に愛された支局長だった。ふだんはボー...
岐阜支局編

私と朝日新聞 岐阜支局の26 ゆりかご幼稚園

岐阜に転勤した1978年4月、長男が幼稚園入園の年齢に達した。その2歳下には長女がおり、子どもの成長、妻女殿の負担軽減、両方の目的から、長男を3年保育の幼稚園に通わせることにした。...