2023-12

東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の58 ウイークエンド経済は楽しい!

福岡で起きたことは「編集部調査報告第2弾」で読者に伝えた。それで終わっても良かったのかも知れない。だが、ウイークエンド経済編集部内には何だか物足りないという空気が漂った。これだけで...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の57 福岡のマンション狂想曲

フロント面で中古マンションの価格動向を特集したことがある。このころ、中古マンションは全国的に値下がりしているといわれていた。本当だろうか? というのが私たちの思いだった。「編集部調...
らかす日誌

桐生が突然の停電に見舞われた

桐生が突然の停電に見舞われた。27日午後1時35分の出来事である。ブチッという音とともに家の中の電気が全て消えた。パソコンもその1つである。このような時にまず疑うのは電気の使いすぎ...
らかす日誌

えっ、俺、ここで死ぬのかな? と思った話

「私と朝日新聞」の連載を中断して、最近私に起きた事故を書いておく。事故が起きたのは24日未明、時間でいえば午前2時か3時ごろだったと思う。時計は確認しなかったが、あれこれ付き合わせ...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の56 ウイークエンド経済

ここまで書いてきて、大変な間違いをしでかしていたことに気が付いた。2度目の東京勤務のことである。実は最後に担当したのは経済企画庁ではなかった。そのあと「ウイークエンド経済」の担当に...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の21 東京の部長には嫌われていたらしい

2度目の名古屋勤務は3年半の長きにわたった。長男はこの間に高校を卒業し、みごとに1浪の身となっていた。長女は国立音楽大学附属高校の2年になり、次女は地元の公立中学生である。月に1度...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の20 それにしても、加藤会長という人は……

それにしても、である。加藤東海銀行会長に対する周りの評価は驚くほど低かった。「だが、名古屋財界のトップと言われる名古屋商工会議所の会頭になっていたではないか。評価は高かったのでは?...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の19 忘れていたが、東海銀行にはもう一つ事件があった

年末に次女一家がやって来た。ファミリーレストランで一緒に食事をするだけの短い滞在だった。両親、つまり我々夫婦の老い方を観察に来たらしい。なししろ最近は、妻女殿が子どもたちの来訪を拒...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の18 見た目にも気をつけないと

名古屋では、意図した訳ではないが、クリスキットの普及にも一役買った。「えっ、このスピーカーはどこのですか?」と問いかけたのは名古屋経済部で一緒だったYa君である。その日、確か「俺の...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の17 父親不在の家庭

単身赴任中、私は月1度の割で横浜に帰省した。移動はマイカーである。当時の愛車は紺色のホンダ・アコードだった。初めて買った「新車」で、5グレードのうちのちょうど真ん中、上から数えても...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の16 採用面接で素敵な青年に出会った

この若者となら、是非一緒に仕事がしてみたい、という受験生が1人だけいた。名古屋大学の男子学生だった。志望動機、朝日新聞を選ぶ理由、入社後の希望、どんな記者になりたいのか。入社面接な...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の15 入社試験の面接官になった

仕事といえば、これも仕事である。ある年、私は入社試験の面接官を仰せつかった。私が入社試験を受けた時の話に書いたが、朝日新聞は筆記試験で足きりをした後、面接で最終選考する。私が受験生...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の14 News That’s Fit to Print.がない時は

All the News That’s Fit to Print.これはニューヨークタイムズのモットーである。国際金融の取材でニューヨークを訪れた時、確か新聞輸送用のトラックに書い...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の13 トヨタ自動車の飲み友だち

トヨタ自動車広報課長のYaさんと飲み友だちになるのにたいした時間はかからなかった。私はできるだけトヨタ自動車に人脈を作りたい。広報課長であるYaさんは逆に、記者に人脈を築くのが仕事...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の12 技術者の率直さ

「あ、みんな気が付いてはいるんだ」技術者たちとの、まずは名刺交換、おずおずとした自己紹介で始まり徐々に熱が高まって約2時間ににもわたった懇談を一言に要約すれば、そうなる。私がトヨタ...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の11 渡辺捷昭さんと仲良くなった

トヨタ自動車取締役の渡辺捷昭(かつあき)さんと初めてお目にかかったのは、野村證券名古屋支店の若手に示唆されて間もなくだったと思う。まずは豊田市の本社で会い、すぐに「飲みましょう」と...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の10 足首が半年間も痛かった話

ここまで書いてきて、名古屋に2度目に赴任してから後しばらくの記憶が曖昧なのに気が付いた。名古屋には3年半いて東京経済部に戻るのだが、名古屋時代、そして東京に戻ってからしばらくの間、...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の9 松永亀三郎さんのこと

私が2度目の名古屋在勤時代、中部電力会長だった松永亀三郎さんのことを書いておきたい。東海銀行の不正融資事件が起きた時、中部経済連合会会長も務めておられ、財界人としてこの事件をどう見...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の8 最高権力者の出処進退

長期戦だった東海銀行不正融資事件もほぼ終幕が見え始め、朝日新聞は連載を始めた。事件の総まとめである。取材チームがそれまでに集めた情報をまとめ、全体像を描くのが主旨だったと記憶する。...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の7 敵と味方

私たち、朝日新聞チームの取材が進み、東海銀行の恥部ともいえる話が紙面を飾ることが重なると、敵が増えてきた。東海銀行幹部が朝日新聞幹部に善処を申し入れに来たことはすでに書いた。それだ...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の6 阿呆なデスクがいた話

名古屋経済部には2人のデスクがいた。デスクとは記者が書いてきた原稿を、新聞に掲載するに足る商品に仕上げる仕事である。だから、立て前としては記者以上に優れた原稿を書く能力を備え、記者...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の5 今度は名古屋経済部長と喧嘩をした

東海銀行秋葉原支店の不正融資事件の取材はずいぶん長く続いた。3ヵ月? 6ヵ月? 記憶ははっきりしないが、やがて長期戦で取材チームが疲弊してきた。それはそうである。この取材に取りかか...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の4  東海銀行の不正融資事件

それにしても、私は東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)とは、何か不思議な縁で結ばれていたようである。1回目の名古屋勤務では札幌支店長が外国銀行に頼まれ、融資の紹介状を書いた事件を追いか...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の3 独り暮らしの基礎が出来た

昼食はスパゲティが多かった。まずは麺を茹でなければならない。うどんやラーメンの麺と、スパゲティの麺には基本的な違いがある。うどんやラーメンは麺に塩を練り込んであるが、スパゲティに塩...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の2 朝食は作りダメルことにした

確か、ちょうどその頃だった。書店を散策していた私は1冊の本に出会う。「丸元淑生のシステム料理学」という文庫本である。宮沢りえちゃんのヌード写真集「サンタフェ」が書店に並んだ日だった...
名古屋経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の1 独り暮らしの基礎は食事である

前回の名古屋勤務は家族を伴っていたので、名古屋市千種区に会社が借り上げている3DKのマンションに入ったが、今回は私1人である。鶴舞公園近くのワンルームマンションが会社が用意した住ま...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の55 私が「忙しい」を口にする人間を信用できないわけ

再び東京を離れることになった。行き先は名古屋である。しばらく前に、経済部長と喧嘩をしてしまったことは前回書いた。東京経済部から名古屋経済部。何となく左遷の臭いがある人事である。さて...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の54 実力部長と喧嘩をしてしまった……

記者会見が始まった。経済部長の友人は大学教授(確か、筑波大学だった)を連れていた。この教授の研究を発表するらしい。地価を引き下げる方策——それは、不動産を小口の証券にすることだった...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の53 記者クラブというもの

「大道君」と経済企画庁の記者クラブに電話をよこしたのはHa経済部長だった。部長直々の電話、何事ならんと身構える。「実は、ちょっとお願いがあってね」業務命令ではなく、お願い、ってか?...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の52 高天原景気

民間出身初の女性閣僚として高原須美子さんが経済企画庁長官に就任したのは、記録を調べると1989年8月のことである。記者クラブでの就任会見に出た記憶があるから、当時はすでに経済企画庁...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の51 日本経済の曲がり角

バブルといわれた時代、日本の株価は天井知らずの上昇を続けていた。日経平均株価は1989年12月29日。38,915円87銭の史上最高値をつけた。「まだまだ上を行く。目標は5万円だ」...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の50 ワープロの話

経済企画庁は経済官庁である。その活動で、もっとも注目されたのは四半期別GDP速報(当時、QE=Quick Estimateといっていたように記憶するのだが、ネットでQE、Quick...