2024-02

東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の43 経済同友会夏のセミナー

経済同友会は毎年夏、軽井沢でセミナーを開いていた。会員である経営者の勉強会である。我々財界担当記者も、このセミナーを取材するために軽井沢に出向いた。軽井沢は避暑地である。標高900...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の42 記者会見は公の場である

記者には様々なタイプがある。記者会見で質問しない記者がいる。このタイプは2つに分かれる。1つは、「俺の関心事を他社の記者に知られてなるものか!」という記者である。夜討ち朝駆けを繰り...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の41 帰国の2

〈ポーランド = あれこれ〉 ワルシャワの町を見る暇がない。取材で人に会いに行く車の窓からながめる程度。だからワルシャワという町については何もわからない。分かったのは車の多さだけ。...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の40 帰国の1

ここから先はワルシャワでパソコンに入力しながら送信の時間がなく、帰国後に送ったメールを元にしているようである。中欧取材旅行の断片的な印象記のようなものだ。✖️     ✖️    ...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の39 小林一茶

今回は、中欧取材旅行報告の山場であります。名付けて「日欧文化比較論」。もちろん、掘り下げた考証を重ねる知識などありませんが、中欧を旅して感じたままを書き連ねたものです。【10月15...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の38 シュコダ社での取材

【10月13日】6時前に目が覚めた。メールを書き、荷物をまとめ、7時半頃朝食を取りに町に出た。ところが、どの店も開店は8時。それを待っていては予定に間に合わない。仕方なく、本日も朝...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の37 クッ、クッ、クッ

【10月12日】昨日の続き。このホテルは、ゴクミ(国民的美少女=後藤久美子)とアレジも泊まったそうだ。だから何だということもないが。(解説)あの国民的美少女は、いま、どこで、何をし...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の36 国立オペラハウス

私は、ブダペストで経団連の一行から離れ、独自取材の旅を始めた。「折角旧東欧に行くのなら、独自取材してさ、ソ連のくびきから離れた国々が、いまどうなっているかを書きなよ」と勧めてくれた...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の35 マイケル・ジャクソンの新婚旅行

【10月10日】まず、ルーマニアで書き残したことを少々。ここもパトカーの先導で、バスで移動した。いや、実に速い。ちなみに、パトカーはフォルクスワーゲン・ヴェント。これが先頭に立ち、...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の34 トイレットペーパー

【10月8日】 P.S.(解説)P.S.=追伸迎賓館のトイレットペーパーは博物館ものだ。新聞紙ほどではないが、固い。不揃いでもある。丸くロールし、下上でカットすれば、両端はきれいに...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の33 ルーマニアの迎賓館

【10月8日】7日は午前5時半起きだった。6時にラゲッジダウンして、7時にホテルを出てフランクフルト空港へ。ドイツの朝は遅く、8時をすぎても夜が明けない。真っ暗な中での移動である。...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の32 なぜか、ワーゲン

【10月6日】 ドレスデンのホテルから、バスで南西に走り、フォルクスワーゲンの工場があるツヴィカウへ。工場を視察。新型パサートの組立工程を見る。ゴルフIVもこの工場で作るというが、...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の31 プラハを歩く

【10月4日】 まず、昨日。午前中、プラハ城、カレル橋を見学。ゴシック様式の壮大な城、内部の造作、ステンドグラスに西洋の感性を見て取った。金閣、銀閣を美の極致とする日本人の感覚から...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の30 チェコのビールは美味かった!

財界担当は2〜3年続いたと思う。経済部記者としての最後の担当になり、50歳にして取材現場から外されるまではずっと財界担当だったのだから、その程度のはずである。その財界担当記者として...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の29 平岩さんは色っぽい爺、であった

平岩さんの会長室の執務机の上には、常に10数冊の本が平積みしてあった。恐らく、これから読もうという本なのだろう。私が会長室に入ると、平岩さんは眼鏡をかけながら立ち上がり、「大道さん...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の28 平岩外四さんと親しくなった

もう一度平岩外四さんに触れておきたい。東京電力会長で、第7代経団連会長だった平岩さんである。前に書いように、私が平岩さんを初めて訪ねたのは、豊田経団連会長の後継人事が取り沙汰されて...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の27 経団連会長に必要なお金

歴代の経団連会長を並べてみよう。初代:石川 一郎 (日産化学工業社長)第2代:石坂 泰三 (東京芝浦電気社長)第3代:植村 甲午郎 (経団連事務局)第4代:土光 敏夫 (東京芝浦電...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の26 夏の経団連フォーラム

経団連は毎年夏、御殿場の経団連ゲストハウスで夏のフォーラムを開いていた。会長をはじめとした幹部が揃って出席、講師を招いての勉強会である。財界担当記者はそのフォーラムを取材するのも仕...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の25 神田取材センター

少し矛先を変える。財界を担当している間、私のたまり場は神田取材センターだった。取材先に部屋と電話を提供されているのがほとんどの記者クラブである。その記者クラブへの批判は年々高まって...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の24 名社長の条件

財界を担当して、最大の仕事は経団連会長人事だったのかもしれない。いろいろと経済団体の提言などを記事にしたが、あまり記憶に残っていないところをみると、それほどたいしたものではなかった...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の23 今井さんは引き受けてくれるでしょうか?

抜かれた。抜かれたら、追いかけて記事を書かなければならない。だが、外はまだ真っ暗。草木も眠る丑三つ時である。なにしろ、まだ午前3時半である。電話をかけていい時間ではない。取材先の目...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の22 私は経団連会長人事を抜かれた

豊田章一郎さんからバトンタッチを受けて第9代経団連会長になったのは、新日鐵会長の今井敬さんである。私はこの会長人事を抜かれた。取材は重ねた。財界人と呼ばれる人たちに会い、何となくの...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の21 鉄は産業の米か

経団連会長の任期は1期2年である、豊田章一郎さんが2期目に入った1996年からは、誰が次の財界総理になるかが関心を集めた。私も財界担当記者の端くれである。人事などにはあまり関心はな...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の20 財界と企業献金の話

財界を取材する上で、企業の政治献金の話は是非ものである。経団連は長い間、政治献金の取りまとめ役だった。経団連が各業界団体ごとに献金額を割り振り、それを受けた業界団体が傘下の企業にさ...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の19 豊田経団連会長の追い出しコンパ その2

追い出しコンパ当日。私が提案し、私が企画し、私が動き回って実現した宴会である。進行役も当然私の仕事になる。追い出しコンパ、別命送別会の決まりものは、送別の辞である。ここは記者クラブ...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の18 豊田経団連会長の追い出しコンパ その1

勢いに乗って、豊田章一郎さんの話を続ける。豊田章一郎さんが、平岩外四・東京電力会長のあとを継いで経団連会長に就任したのは1994年5月のことである。1998年5月まで2期4年務めら...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の17 豊田章一郎はプロレタリアートか?_

前回は、豊田章一郎経団連会長の発言を批判した記事について書いた。新聞記者には批判精神は是非ものである。しかし、良いものを良いと認めるのも新聞記者には必要だと私は考える。今日は、豊田...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の16 規制緩和と車検制度

規制緩和が当時の流行語だったことは前回書いた。そんな時勢柄、経済団体の記者会見では、規制緩和がらみの質疑応答が繰り返された。日本は規制が多すぎる、というのが財界の主張だった。国が、...
東京経済部編・3回目

私と朝日新聞 3度目の東京経済部の15 私は財界担当になりました

私は財界担当になった。取材対象は、経済団体連合会(経団連)、日本経営者団体連盟(日経連)、経済同友会、日本商工会議所である。これを経済4団体といったが、経団連と日経連は2002年に...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の14 また建設省担当にになった

経済部長は約束通り、6ヵ月で私を経済部に呼び戻した。新しい担当職場は、再び建設省だった。「またかよ!」と思わぬでもなかったが、私にはどうすることもできない。そういえば、1回目の建設...