幕末の村娘にソクラテスを演じさせる無力な脚本家へ ―『雪の花』にのけ反る(2023.2.25)

シネマらかす」を書き継がなくなって長いが、でも映画は観ている。今晩は「雪の花 -ともに在りて-」だった。まじめな小説を書く吉村昭の本が原作というので期待したのだが…。

種痘を福井藩に広めた町医者・笠原良策の苦労話である。この人、実在の人らしい。それはいいのだが、冒頭だけで見続ける意欲がしぼんだ
シーンは天然痘が猛威を振るっている村である。次々と病に倒れる村人が出た、助けて欲しいと頼まれた笠原良策は急ぎ村に駆けつけるのだが、待ちわびる村人たちが何とも存在感が希薄なのだ。型通りのせりふを、型通りのアクションで演じているだけ。私は、高校の文化祭で演じられるできの悪い舞台劇を観ているような気分になってしまった。君たちはプロの演技者あるはずなのだが。
おいおい、最近の日本映画って…。

何より困ったのは、種痘に関する情報が与えられないことだ。当時の種痘はどうやったのか? という知識がないとなかなか話の展開に追いつけない。何でも、長崎から急送されてきたのはかさぶたが8枚。このかさぶた、牛にできたかさぶたなのか、それとも種痘を受けた患者にできたかさぶたなのか。
この8枚のかさぶたを、子どもの腕の皮膚に傷をつけて差し込む。ほう、当時の種痘はこんなやり方をしていたのか、とここまでは納得できる。だが、8枚のかさぶたは使いきった。種痘を行わねばならない子どもたちは数多い。では、長崎から子どもの人数分のかさぶたを取り寄せるのか? どうやらそうではないらしいが、じゃあ、どうするのかの説明がない。私のような、当時の種痘法に不案内な観客への配慮が何もないのである。この映画を観る前に原作を読めってか?

長崎から取り寄せたかさぶたによる種痘は京都で行われた。笠原良策はこの種痘の種を福井藩まで持っていかねばならない。当時、京都から福井までは7日の距離だった。映画によると、この「7日」という距離が問題なのらしい。京都で2人の子どもに種痘を施して京都と福井の中間地点まで連れて行く。その地点で福井から来た子どもに種痘をするのだという。ここまで来て、やっと私は

「そうか、種痘を受けた子どもにできた腫れ物の中にあるが種痘の種なのではないか」

と気がついた。そう考えれば、「7日」の距離の問題が解ける。子どもの腕にできた腫れ物は3、4日すれば引っ込んでしまい、膿がなくなるのだ。膿がなくては次の種痘ができないのではないか?
こんなことまで観客に「想像」させる映画って…。

それはないだろう! と情けなくなったのは、京都から福井へ種を運ぶ旅である。設定は冬の初めらしい。それなのに季節外れの豪雪に襲われ、一行は危うく遭難しかかる。もちろん、映画としては見せ場を作ったつもりになっているのだろう。だが、なぜその時期に京都から福井へ種痘の種を運ばなければならないのかの説明は皆無である。だから私などは、

「春の雪解けを待てば良かったんじゃない?」

と思ってしまったのだ。深い積雪の中で凍えるような思いをしながら演じた俳優さんたちには申し訳ないが。

いやはや、こんな映画しか作れないのか。というべきか、それともこんなにしか映画を作れないのか、といった方がいいのか?

ラストシーンでものけ反りそうになった。冒頭のシーンで天然痘の襲われた村で、1人だけ助かった娘がいた。何度か笠原良策と顔を合わせ、顔に残ったあばたを見せながら(実は、画面ではあばたを確認できない!)

「なぜ私だけが生き残った? みんなと一緒に死んでおけば良かった!」

と絶望感を吐き出していた女の子が、ラストシーンではすでに母親になっており、自分の子どもに種痘をしてもらう。その際のせりふにも脚本家の無力さが露呈している。メモをとっていないので再現できないが、

「私が生きることにも意味があると分かった」

みたいな、何とも哲学的な言葉を口にするのである。おいおい、この女性は幕末の福井の寒村で育った子だぞ。そんな哲学的な言葉を口にできる教養なんてあるはずがないだろうが! もっと、地に足がついた、素朴な、だが重い意味を持ったせりふを与えることはできなかったのか? それができていれば、もっとすてきな映画になっていたと思うが。

以上の理由をもって、この映画はディスクにして保管する必要は皆無であると判断した今日の私であった。

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