記者以前

私と朝日新聞

私と朝日新聞 入社試験の6 9月1日に繰り上げ入社となりました。

西鉄を7月31日付で退職した。8月9日、横浜市の妻女殿の実家に近い産院で長男が誕生した。すでに無職の身になっていた私は、産院のかたい椅子で、その瞬間を待った。「初産なので、ちょっと...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 入社試験の5 合格通知が思わぬ事態を招いた。

朝日新聞社から合格通知が届いたのは7月20日過ぎだった。2次試験で手応えを感じていたとはいえ、「これで俺は新聞記者だ!」と心から嬉しかった。2回目の受験の際、朝日新聞から新入社員募...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 入社試験の4 fake information

私は単に頭がいいのか、狡猾と評した方が適切なのか、あるいは一言の元に狡い、陰険と切って捨てた方がいいのか。大卒者の採用を決めるペーパーテストを作成せよ、ととんでもない課題を与えられ...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 入社試験の3 大卒採用担当に

実に困ったタイミングでの懐妊騒ぎである。思わず、「ホントかよ?!」とつぶやいてしまったのは私の本音であった。私は朝日新聞の記者になろうと決めた。ところがその年の入社試験に落ちてしま...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 入社試験の2 40数日の戦い

昨日までは落ちることしか考えていなかった入社試験を、今日からは乗り越えるべき目標にする。ゼロからの出発とはこんなことをいうのだろう。入社試験の1次は一般常識と英語、それに作文だとい...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 入社試験の1 若さ=馬鹿さ、である。

結婚生活が始まった。同時に朝日新聞の受験準備も進んだ。とはいえ、落ちるのを目的にした受験である。下手に一般常識や作文力、英語の読解能力を高めたら、入社試験に通ってしまう恐れがある。...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 記者以前の12 不合格志願

困り果てた。私は朝日新聞の記者などになる気は全くない。しかし、私を朝日派米少年に押し込んでくれたことを始め、飛永さんには大恩がある。その飛永さんを裏切るわけには行かない。二律背反。...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 記者以前の11 朝日新聞もよかばい!

「私たちの仲人をしていただけませんか?」当時、後の妻女殿は卒業を間近に控えた大学4年生、私は大学3年生である(なぜか、年齢は私が1歳上)。そんな2人の依頼を飛永さんはどう受け止めら...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 記者以前の10 来ちゃったんです!

.岩国での大工仕事を終えて福岡に帰ってしばらくしたら、「ほびっと」で私に住所、氏名を書かせた横浜の女性からも手紙が来た。「ほびっと」における私はそこそこ人気者で、私に手紙をよこした...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 記者以前の9 出会っちゃったのです

たまたま今日、岡林信康の「金色のライオン」というアルバムを聴いていたら、「ホビット」という曲が流れ出した。♪ホビットにいくのは死んでももう嫌だホビットにいくのは死んでももう嫌だ誰で...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 記者以前の8 ほびっとへ

私が通った大学は、最初の1年半を教養部で過ごし、2学年の後半から専門課程(私の場合は法学部)に進むシステムだった。そして私にも、専門課程に進む時期が近づいてきた。弁護士になるには法...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 記者以前の7 裁判所にデモに行った

入学した途端に始まった全学バリケードストライキは半年後に機動隊の導入でバリケードが撤去され、形だけは平穏な学園が戻った。しかし、バリケードを解かれたぐらいで一度燃え上がった火が消え...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 記者以前の6 学生運動

私は塾や予備校に通ったことがない。我が家の家計がそれを許さなかった。それに、塾に行かなくても別に痛痒は感じなかった。だって、受験勉強って、自分でやるしかない物だろ?話は逸れるが、朝...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 記者以前の5 大学受験に失敗

失敗した。現役での大学受験に失敗した。1968年3月、私はとある国立大学を受験した。高校の担任からは「お前、いまの成績では志望校は無理だと思うぞ」と何度か忠告を受けた。しかし、私は...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 記者以前の4 弁護士になろう

4年少々続けた朝日新聞の配達を、中学卒業と同時に辞めた。流石に高校では、新聞配達をしながら学業をするのは難しかろう、と考えた。もっとも、中学時代はほとんど自宅学習をしたことがない。...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 記者以前の3 初めての原稿

「さて君たち、これから新聞の原稿を書いてもらう。故郷の皆さんに、君たちがアメリカでどんな体験しているかを知っていただくのだから、念を入れて書きなさいよ」我々10人を引率していた長谷...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 記者以前の2 朝日派米少年

大牟田市の朝日新聞販売店は飛永和成さんという社長が取り仕切っていた。市内に数店の支店を持ち、私が務めることになったのはその支店の1つである。朝刊を配るには午前4時半、夕刊を配達する...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 記者以前の1 ファーストコンタクト

さて、いよいよ過去への旅を始めよう。私と朝日新聞の出会いは62年前に遡る。当時私は11歳、大牟田市立平原小学校の5年生だった。その年12月、私は新聞配達を始めたのである。我が家は貧...
私と朝日新聞

私と朝日新聞 前書き

しばらく原稿をサボっていたら、刺繍作家の大澤紀代美さんからショートメールを頂いた。「お体、大丈夫ですか? ラカスが大分ご無沙汰なので…」大澤さん、「ラカス」ではありません。「らかす...