東京経済部編・2回目

東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の70 朝日新聞の珊瑚礁事件

申し訳ない。またまた「2度目の東京経済部」に舞い戻った。書きわすれていたことを思い出したのである。朝日新聞が激しいバッシングにあった「珊瑚礁事件」である。思わずバッシングと書いてし...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の69 ウイークエンド経済ではこんな記事も書いたのです

そろそろ「ウイークエンド経済」におさらばしようと思っていたら、「ああ、こんなこともやったな」という記事が切り抜きから現れた。ご紹介したい。1つは1990年7月2日に、東西ドイツの通...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の68 宮路年雄という人

足繁く、とまではいわないが、私は結構頻繁に城南電機を訪ねた。宮路社長がいればすぐに社長室に入って雑談を始めるが、たまに社長が外出中のことがある。そんな機会を重ねるうちに、事務方の女...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の67 城南電機は安い!

「ビジネス戦記」は、いわゆる聞き書きで作り上げる。私たち記者が取材先から話をうかがい、取材先に成り代わってその話を原稿に起こす。もちろん、どんな話から始めるか、話の流れをどう構成す...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の66 宮路社長を我が家にお招きした

宮路社長にはよくご馳走になった。「お返しを」といっても、応じてくれる人ではない。飲んだ後の支払いは必ず宮路社長だった。これはいけない。取材先と仲良くするのは記者のイロハだが、ご馳走...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の65 防弾仕様のロールス・ロイスが中古車になった

城南電機、宮路年雄社長のロールス・ロイスの話を続ける。「お父さん」と私に声をかけてきたのは、確か長男だった。「城南電機の社長さんはロールス・ロイスに乗ってるんだよね」ほう、私は息子...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の64 ロールス・ロイスの後部座席に乗った

そんなことを繰り返しながら、だが、私と宮路社長の仲は急速に接近した。どうやら私は宮路社長のお眼鏡にかなったようだった。「大道(ダイド)さん、飲みに行こ」そんな誘いを何度も受けた。行...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の63 宮路社長を記事にした

家電品の価格のからくり、流通の問題は是非記事にしたいテーマだった。どんな仕組みがあるから販売店によって小売価格が違うのかを暴露したメディアは、私が知る限りそれまでなかった。それを書...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の62 城南電機の宮路年雄社長に会った

この頃私は、家電製品の価格のからくりを知りたくて仕方がなかった。同じメーカーの同じテレビで、量販店と町の電気屋では価格が違う。そりゃあ、小さな町の電気屋と量販店では売れる台数が違う...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の61 カタログ、というコーナー

「カタログ」というコーナーも、ウイークエンド経済の定番だった。故花森安治氏を真似たわけではないが、商品を自分たちでテストしてその結果を記事にしようというのである。聞くところによると...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の60 桝谷英哉さんにコラムの連載をお願いした

クリスキットの桝谷英哉さんにコラムの執筆をお願いしたのも、ウイークエンド経済だった。もちろん私が話を持ちかけ、了解を頂いて始めた。桝谷さんはクリスキットを設計した人である。自分で作...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の59 「マイポケット」の話

ウイークエンド経済の紙面はフロント面だけではない。ほかにもいろいろな趣向があった。その1つが「マイポケット」である。著名人に財布の中身を入口にして経済観念を語って貰おうという主旨だ...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の58 ウイークエンド経済は楽しい!

福岡で起きたことは「編集部調査報告第2弾」で読者に伝えた。それで終わっても良かったのかも知れない。だが、ウイークエンド経済編集部内には何だか物足りないという空気が漂った。これだけで...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の57 福岡のマンション狂想曲

フロント面で中古マンションの価格動向を特集したことがある。このころ、中古マンションは全国的に値下がりしているといわれていた。本当だろうか? というのが私たちの思いだった。「編集部調...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の56 ウイークエンド経済

ここまで書いてきて、大変な間違いをしでかしていたことに気が付いた。2度目の東京勤務のことである。実は最後に担当したのは経済企画庁ではなかった。そのあと「ウイークエンド経済」の担当に...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の55 私が「忙しい」を口にする人間を信用できないわけ

再び東京を離れることになった。行き先は名古屋である。しばらく前に、経済部長と喧嘩をしてしまったことは前回書いた。東京経済部から名古屋経済部。何となく左遷の臭いがある人事である。さて...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の54 実力部長と喧嘩をしてしまった……

記者会見が始まった。経済部長の友人は大学教授(確か、筑波大学だった)を連れていた。この教授の研究を発表するらしい。地価を引き下げる方策——それは、不動産を小口の証券にすることだった...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の53 記者クラブというもの

「大道君」と経済企画庁の記者クラブに電話をよこしたのはHa経済部長だった。部長直々の電話、何事ならんと身構える。「実は、ちょっとお願いがあってね」業務命令ではなく、お願い、ってか?...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の52 高天原景気

民間出身初の女性閣僚として高原須美子さんが経済企画庁長官に就任したのは、記録を調べると1989年8月のことである。記者クラブでの就任会見に出た記憶があるから、当時はすでに経済企画庁...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の51 日本経済の曲がり角

バブルといわれた時代、日本の株価は天井知らずの上昇を続けていた。日経平均株価は1989年12月29日。38,915円87銭の史上最高値をつけた。「まだまだ上を行く。目標は5万円だ」...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の50 ワープロの話

経済企画庁は経済官庁である。その活動で、もっとも注目されたのは四半期別GDP速報(当時、QE=Quick Estimateといっていたように記憶するのだが、ネットでQE、Quick...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の49 こんな訂正もありました

思わず、「ウッソー!」と言いたくなる訂正記事の話をご紹介しよう。経済企画庁担当の間に起きたことである。「大道さん、こんなペーパー、関心ある?」ある局長の部屋に入り込んで雑談をしてい...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の48 3回連続で訂正を出してしまった

次の担当は経済企画庁(現在は内閣府の一部)だった。就任したのは1990年前後だったと思う。実質はともあれ、経済企画庁は国の経済政策全般を司る官庁である。つまり、数字いじりを仕事とす...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の47 「銀座のクラブにご招待しよう」とMoさんは言った

そろそろ証券業界担当から離れなければならない。その前に、1つだけ書いておきたいエピソードがある。最初のキャップ、Moさんの話である。ある土曜日だった。その日は私が出番で、ひとりで記...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の46 落ちこぼれる?

証券業界を担当した2年ほどの間、私は結構身を入れて仕事をしたと思う。ところが、あのインサイダー取引事件を除けば、あまり記憶に残る仕事がない。多少記憶に残るのは新規上場株の問題ぐらい...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の45 インサイダー事件の報道合戦に圧勝した

朝日新聞が先鞭をつけ、新日鉄幹部の株取引手口をすっぱ抜いて盛り上げたインサイダー取引事件は、その後も取材競争が続いた。そして朝日新聞は先行逃げ切りを達成した。事件の節目節目で特ダネ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の44 インタビューは出来なかった

「そんな! あなたは取材を受けると約束したじゃありませんか!」といってみたところで、どうにかなるものではないことは分かった。しかし、ではどうする? 脅すしかない。「そうですか。では...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の43 インタビューのアポイントを取り付けたのだが

インタビューをするには相手の協力がいる。口を開く気がない相手ではインタビューは成り立たない。つまり、私が書きたい記事を書くには、インサイダー取引をした新日鐵幹部に連絡を取り、インタ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の42 インサイダーを特定できた!

「新日鉄の本社って、丸の内でしょ。提携の担当者だったら本社にいるはず。だから、山一証券で株を買ったのなら丸の内支店だと思ったのね。具合のいいことに、丸の内支店には可愛がっている後輩...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の41 「大道さん、ちょっと来ませんか?」

しかし、である。新日鉄と三協精機の提携にからんでインサイダー取引(当時はまだ犯罪ではなかったが)があったことは、すでに報じられている。では、この後何を取材して書いたらいいのか?考え...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の40 キャップに抜かれた!

さて、仕事の話を書こう。いや、田淵さんと仲良くなることも大事な仕事だったが、ここから書くのは仕事らしい仕事である。1988年の8月のことだった。私は1週間の夏休みをとっていた。その...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の39 野村證券のあれこれ

私が証券業界担当になったとき、「野村證券に食い込むのは無理!」と、お節介にも私にアドバイスした先輩諸氏がいたことはすでに書いた。「そんなものなのか」と思いながら、とにかく田淵社長に...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の38 どうしてコンサルなんかを使うんですか?

そろそろ、田淵さんの話を終わられねばならない。田淵さんを追い回していた証券担当のころ、私はカバンに小さなノートを入れていた。田淵さんの言葉を記録するためである。書き込むのは田淵邸を...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の37 次女の結婚式に参列していただいた

東京・駒沢の田淵さんのマンションに我がファミリーが初めてお招きいただいたのは、確か正月だったと思う。「大道君、先日は御世話になった。家族の皆さんでうちに来てくれないか」私たちがお招...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の36 田淵さんと「割り勘」で飲むようになった

浪人になった田淵さんに久々に電話を入れたのはいつだったろう?「田淵さん、お元気ですか。たまには一杯飲みませんか?」電話口からは田淵さんの元気が声が聞こえてきた。「おお、大道君か、久...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の35 田淵さんと塩野七生さんを繋いだ話

田淵社長には文化に貢献したいという夢があった。社長在任中、世界中の音楽家の卵を札幌に集めてPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)を立ち上げたのである。野村證券が財団を...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の34 野村證券支店長研修に1日とちょっとだけ参加した

田淵さんの話を続ける。ある時、田淵さんが突然いいだした。「俺は野村證券を理想の会社にしたい。目先の売り買いしか考えない株屋の集まりではなく、常識、良識を供えた金融の専門家集団にした...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の33 田淵さんに人事の話を聞いた

時間軸を無視して、田渕社長の話を続ける。ある夜回りの日、私はずっと気になっていた人事の話を持ち出した。「副社長のSaさんですが、私の目には、副社長になるような能力の持ち主ではないと...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の32 ミッションを達成した

「大道君、先日はご馳走になったな。今度はこちらがご馳走そうする番だ。いつがいいか?」いつもの夜回りで田渕社長宅に上がり込んでお酒を頂いていたら、田渕社長がそういった。4人で鳳仙花で...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の31 田渕社長と飲み友だちになった

「田渕さん、飲みに行きませんか」と私が初めて誘ったのは、1988年3月だった。この年1月14日から、「週に1回はこの人の顔を見る」という原則を貫き続け、この頃には親しみが増していた...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の30  「長男に会ってやって欲しいんだ」

最初に。昨日書きわすれたことがあった。私は田淵社長に向かって「私はあなたの訃報を書く記者になりたい」といったような気がするのである。経済界の著名人が亡くなると、経済面で評伝を書く。...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の29 「梅原猛は革命家だから好きだ」

野村證券の社長、会長から電話1本で情報が取れる体制を作る。許された時間は3ヵ月。1987年末、そんな難題を課せられた私は、どうすれば課題をクリアできるかを考え続けた。どう考えても、...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の28 野村證券にあいさつに行った

新しい業界、企業を担当する。まず行うべきは、あいさつである。そして、企業を知るにはまず社長を知らねばならない。翌23日、私は野村證券の広報部に足を運び、「今日から証券業界担当になっ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の27 野村證券の社長、会長に食い込め!

「Tokyo Money」の連載が終了したのは1987年12月21日・日曜日である。札幌から東京に帰任したのが5月。それから8ヵ月の長丁場がやっと終演した。この間、ほとんど休みも取...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の26 長男はスター・ウォーズで英会話を学んだそうだ

そろそろ、私の世界一周の旅も終わりである。ニューヨークで重いスーツケースを引きずりながら歩いた空港がラ・ガーディアだったかジョン・F・ケネディだったかは忘れた。当日、もう一つ忘れて...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の25 CNNはニュースをエンターテインメントにした

東京とニューヨークの時差は13時間である。ニューヨークで6日午後6時の時、東京は7日午前7時ということになる。朝日新聞東京本社はまだ目覚めていない。やっと目覚め始めるのは東京時間午...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の24 ブラックマンデーに飛び込んだ

私がニューヨークに着いたのは1987年10月18日の日曜日である。この日付は明瞭に記憶にある。ニューヨーク証券取引所で株価の大暴落が起きたブラックマンデーの前日だったからだ。ニュー...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の23 ワシントンで体力回復に努めた

米国の首都ワシントンには、経済部の先輩Taさんが特派員としていた。テレビ朝日・ニュースステーションの解説者として活躍した時代もあるから、顔を見れば思い出される方もいらっしゃるかもし...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の22 グランドケイマンでパーパーカンパニーを見た

グランドケイマンで取材に訪れた先は、カナダ・インペリアル銀行(CIBC)ケイマン支店である。これは、記事を引用した方が話が早いだろう。「キューバ島上空を南に突っ切って間もなく、米テ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の21 グランドケイマンでの亀料理

グランドケイマンに到着したのは夕刻だった。まず、予約してあったホテルにチェックインする。次はお腹を満たさねばならない。メキシコシティから続いていた腹痛は、旅の途中で服用した「ワカ末...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の20 グランドケイマンへの飛行機ですこぶる付きの美女に会った

今回は、激痛を発し続ける腹を抱えて私がグランドケイマンにたどり着くまでの経緯を書かねばならない。そこで「グルメらかす」を見た。いま改めて書き起こすより、こちらの方がはるかに詳しく、...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の19 メキシコの空港で激しい腹痛に襲われたのです

しかし、である。入国の際のゴタゴタから始まって、メキシコは思い出深い国である。メキシコシティ市内でタクシーに乗った。車はあのかぶと虫のような形をしたフォルクスワーゲン・ビートルであ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の18 メキシコシティで公債局長にインタビューした

メキシコシティを訪れたのも、「キャピタル・フライト」の取材の一環である。そもそも、金が逃げ出す国、メキシコの政府はいったい何をやっているのか? 通貨安を招くキャピタル。フライトにど...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の17 メキシコシティの空港で恐喝された

サンディエゴ空港であんな出来事があったのである。私の旅、無事に済むわけがない。ロサンゼルスの空港から乗った飛行機がメキシコシティに降り立つと、今度は私に災難が襲ってきた。恐喝にあっ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の16 サンディエゴ空港でのハプニング

サンディエゴからメキシコシティに行くのは、ロサンゼルス経由である。この乗り継ぎ便で一騒動あった。「グルメらかす」からコピペすると、こんな騒ぎであった。乗り継ぎ便の出発予定は午前10...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の15 サンディエゴでは遊んだ記憶しかないのです

サンディエゴでは、国境の検問所を見た。アメリカからメキシコへ、メキシコからアメリカへ、人や車が行き来していた。国境が海の上にある日本では絶対に目に出来ない風景である。東京銀行の方々...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の14 サンディエゴで遊ばせて頂いた

サンディエゴについては、やっぱり「グルメらかす」で書いている。ここも読者の手を患わせることがないよう、コピペで私のサンディエゴをお読み頂こう。サンディエゴは砂漠の仲にできた街だった...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の13 キャピタル・フライト

次の目的地は、アメリカ・サンディエゴである。ここでは「キャピタル・フライト」を取材する。キャピタル・フライトとは、お金がより有利な投資先を求めて国境を出入りすることをいう。サンディ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の12 ミュージカル

そろそろロンドンを離れなければならない。ロンドン最終回の一部はコピペ、残りは『確か、まだ書いてなかったよな」という組合せにする。思いつくままのオムニバスになるが、お許し頂きたい。コ...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の11 ロンドンの日曜日

ダブリンで1泊した私は、再びロンドンに戻って「プロジェクト金融」の取材を続けた。ロンドンでの滞在は2週間ほどになった。その2度目のロンドン、日曜日に戻ったロンドンを私は次のように書...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の10 ダブリンに足を伸ばした

実は、ここまで書いてきてある障害にぶつかった。私の「Tokyo Money」世界一周の旅は、以前書いた「グルメらかす」で結構書いているのだ。これまでも何度かリンクを張ったり、コピペ...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の9 プロジェクト金融

その頃、東京で膨れあがったお金は国内では使い切れなかった。米国の金融市場、不動産市場に流れ込み、それでも運用し切れなくて海外の大型プロジェクトにも注がれていた。これを「プロジェクト...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の8 ロンドン到着

ロンドンはもちろん初めて足をおろす町である、確か、ヒースロー空港に着いたのだと思う。私は行く先々でトラブルに恵まれるらしく、到着早々の騒ぎは、「グルメに行くばい! 第36回 :番外...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の7 香港での路上ナンパについて

「パンダとクマ」の原稿を仕上げた私には、もう香港に用はない。次の目的地、ロンドンを目指すばかりである。香港を発つ日のドタバタは、「グルメに行くばい! 第35回 :番外編1 香港」に...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の6 同文同種の話

もちろん、香港では買い物ばかりしていたのではない。ちゃんと取材もした。ところが、どんな人に会って、どんな話を聞いたのか、トンと思い出せない。私の記憶はホントに頼りにならない。ただ、...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の5 内外価格差

「Tokyo Money」の旅は、私にとって「内外価格差」の実情を知る旅でもあった。取材が入っていない時間、私は香港のデパートに出かけ、アクアスキュータムが陳列されているコーナーに...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の4 香港・Excelsior Hotel

私が世界一周の旅に出かけたのは1987年9月のことだった。香港からロンドンに向かい、アイルランド・ダブリンへ足を伸ばす。再びロンドンに戻り、取材が終わればアメリカ・サンディエゴ、メ...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の3 バイリンガルの苦労

「Tokyo Money」の連載は7月から始まった。まず2回目が私の担当だった。掲載されたのは7月13日である。タイトルは「東京トライアングル」。東京の兜町、大手町、内幸町を結んだ...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の2 「A級債」⇔「永久債」

「Tokyo Money」はYaさんと私でまとめる連載である。Yaさんは、直前は確か金融担当だった。この企画も、多分彼の提案だったのだろう。私と違ってYaさんは時代を見抜く鋭い目を...
東京経済部編・2回目

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の1 私が国際金融の取材なんて……

東京に戻ってきた。時は1987年5月である。横浜の我が家では長男が公立の中学校1年生となり、娘たちは自宅すぐそばの市立小学校に通い始めていた。長女は5年生、次女は1年生である。1ヵ...