10.29
2008年10月29日 私と暮らした車たち・その4 トヨタ カリーナ1600STハードトップ
物心ついたころ、長男がいった。
「お父さん、うちの車、ウンコ色?」
私が初めて持ったマイカー、トヨタ カリーナ1600STハードトップは黄土色だった。しかも塗装の経年変化は激しく、しばらくするとツヤは完全に失われ、あちこちが白っぽくなった。確かに、見方によってはウンコの色に見えないこともない。
我が長男は色盲でも色弱でもなかった。情けない思いをしながら、なんだか安心した記憶がある。
私の最初の赴任地は、「グルメらかす 第7回 :年増女の味」に書いたように、三重県津市だった。県庁所在地であるこの地に居を構え、普段は津市とその周辺、何かがあれば三重県全域が担当区域となる。
公共交通機関が発達していない三重県では、車がなければ仕事にならない。
最初は会社に備え付けの車を使った。確か、トヨタのランドクルーザーだった。ほとんど町中を走るというのに、この車は大げさである。
なにしろ、運転席が高い。乗り込むたびに
「よっこらしょ」
と声が出る。
おまけに、ギヤを切り替えるシフトレバーがハンドルの横から生えているコラムシフトだ。格好悪い。まだ若いのである。格好いいスポーツカーに付いているようなフロアシフトの車に乗りたい。
最悪なことは、誰もこの車を掃除しないことである。なにしろ、私の車ではない。会社所有の車なのだ。どうして私が洗わねばならない?
と考えたのは私だけではなかったようだ。私が乗り始めた時、車はほこりまみれだった。車内には紙ゴミ、菓子の袋などが散乱していた。私の前任者が残したものであろう。
さすがに、車内だけはとりあえず清掃した。といっても、目に付くゴミを車外に放り出しただけである。洗車は、私もまったくする気にならなかった。だから、雨がありがたかった。少なくとも、ボディーに積もったほこりは洗い流してくれる。
2ヶ月ほどして、妻がやってきた。子ども連れである。長男は、私がこの会社に入る1ヶ月ほど前に生まれた。妻はずっと実家で暮らしていた。
ふむ、家族が来た。休日には家族で出かけることもあろう。車を使うこともあり得る。だが、プライベートな移動に、まさか会社の車を使うわけにはいかない。
あれこれ考えて、私は清水の舞台から飛び降りるつもりで車を買うことにした。
とはいえ、新車を買う金はない。当然、中古車である。車なんて、動けばいいのだ。妻も子もいる私は、車で女の気を惹く必要はない。
会社に出入りしていた自動車修理工場の親父さんに声をかけた。
「というわけで車を買いたいんだけど、いいのない?」
「そうですか。探しときますわ」
「急いでるんで、できるだけ早めにね」
1週間ほどして、親父さんが顔を出した。
「大道さん、この車、どうですかねえ」
外に止まっている車を見た。グレーのトヨタカローラだった。ギンギンの大衆車である。だが、歴代のカローラの中でもデザインは秀逸だったといわれるコークボトルライン採用車である。見た目はなかなかいい。
「うん、いいよ。しばらく乗ってみていいかな?」
「はい、乗ってみてよかったら買ってください」
その日から乗り始めた。初めてのマイカーである。走ればいいとはいうものの、嬉しくないはずがない。家の近くに駐車場も借り、通勤に仕事に、カローラを転がした。
1週間ほどして違和感を感じ始めた。何となく疲れるのである。
「なんだけど、どうしてかなあ?」
と自動車修理工場の親父さんにいった。
「そりゃあ、カローラは小さい車だからね。やっぱり大きな車に比べれば、運転してて疲れるわね」
いまなら、この解説は嘘だと断言できる。小さい車の代表、オースティン・ミニも、フィアット500も、運転して変な疲れを感じるという話は聞いた漕がない。運転手が疲れる車は、疲れるようにしか設計されていないのだ。設計力の不足である。
だが、当時の私にそんな知識はない。
「じゃあ、もっと大きな車の方がいいのかな?」
「そりゃあ、大きな車の方が疲れませんて」
「ある?」
こうして、私の前にトヨタ カリーナ1600STハードトップが姿を現した。確か、3、4年落ちの中古車である。ボディは黄土色。ハードトップのデザインがなかなか格好いい。一目で惹かれた。
センターピラー、つまり前席の窓と後席の窓の間にある柱がないハードトップボディは、実は安全上大きな問題がある。柱がない分ボディの強度が下がる。特に車が転倒した際に危険である。屋根がペシャンコに潰れやすいのである。
というのもずいぶん後になって知った。トヨタ カリーナ1600STハードトップに出会った時は、横から見た姿に惚れ惚れした。センターピラーがない窓は前から後ろまで続く大きな開口部を持ち、開放感に溢れる。窓を全開して走ろう! 気持ちいいぞ!
「これもしばらく乗ってみていい?」
「ああ、どうぞ」
数日後、私はこの車を買うことにした。カローラより一回り大きいこの車は、確かに運転していて楽だった。
「私もいつかはクラウンに」
というトヨタの CMが 実感を持って迫ってくる。そうか、車は大きい方がいいんだ。だから大きい車は高いんだ。
当時の私は、そんなたわいもない嘘にまんまと引っかかっていた。俺もいつかはクラウンが欲しい、と思わなかったのがせめてもの見識であった。
価格は確か60万円だった。新車に比べれば半値ではあるものの、そんな蓄えがない私は、月賦払いにしてもらった。さて、毎月いくら払っていたのか、ボーナス払いもあったのか。そんなことはまったく記憶にない。
そういえば、オヤジも爺さんも車は持っていなかった。私は、大道家開闢以来のカーオーナーになった。
いろんなところに行った。
津市から雲出川をさかのぼると、美杉村という美しい名前を持った村があった。時間を見つけては、この村を目指した。朝からワクワクした。途中の景色が素晴らしい。そんな日は妻に弁当を作ってもらい、雲出川の河原に車を乗り入れて食べた。真っ青な空の下で緑の木々に囲まれ、川のせせらぎを耳に受けながら弁当を開く。たった1人の遠足気分である。
ま、美杉村にたいした仕事があったわけではなかったが。
「グルメらかす 第7回 :年増女の味」に書いた国崎荘に行ったのもこの車である。津市を出て松坂、伊勢を通り、パールラインに乗っての快適なドライブだった。
車だから、酒が飲めなかったのが唯一の後悔である。
奈良公園にも家族を連れてたびたび出かけた。四日市まで出て東名阪自動車道に乗ると、案外近い。駐車場に車を止め、子どもの手を引いて公園に入る。すぐにシカが近寄ってくる。楽しくなってせんべいを買い、子どもに渡す。シカはせんべいに惹かれれて我が子の後を追い始める。私は、ベストショットを撮ろうとカメラを構える……。
せんべいを持った長男が、背後からニューッと首を差し出したシカに驚き、なんとか体をシカから引き離そうとした。が、足はすくんで動かないから、足を「く」の字に曲げてお腹を突き出すのが精一杯である。笑っていいのか、泣き出した方がいいのか、こちらに向けた顔は困り切っている。ジーパンと紺色のジャンパーに身を固めた坊ちゃん刈りの長男は、この時、確か3歳。いまの啓樹と同じである。この一瞬を見事に切り取った1枚の白黒写真は、私のこの時代のベストショットの名に恥じない。
ん? 白黒写真なのに、どうしてジャンパーの色まで分かるのか、って……。それは、分かるから分かるとしか……。
この時から、我が家と車は切り離せなくなった。
使えば便利な車だが、使い方を間違えると凶器にもなる。マイカーを凶器にしかかったのも、この時代の私である。
以下は、我が反省の弁である。これをお読みの方々は、絶対に私と同じことをしてはいけない。
先に書いたが、三重県は公共交通機関があまり発達していない。県庁所在地の津市も同様である。勢い、通勤はマイカーを使う。
それだけなら、たいした問題はない。問題は、私が酒をこよなく愛することである。同僚も酒を飲んでいたことである。
「大ちゃん、ちょっと行くか」
夕方になり、仕事が一段落すると、必ず誰かから声がかかった。
「……にいるんだけど、来ない?」
という誘いとも命令ともつかない電話もしょっちゅうだった。もちろん、私が声をかけたこともある。行き先は、もちろん「グルメらかす 第7回 :年増女の味」に出てきたおでんや「三宅」である。絶対に、ソープランド徳川ではない。
「三宅」の常連は皆顔見知りだ。そんなところに顔を出して
「ちょっと」
で済むはずはない。いや、それもいいのだ。自分のポケットマネーで酒を飲む。誰に憚ることもない。
憚るのは「三宅」を出た後である。
すっかりいい気分になって会社に戻る。誰かは残っている。夜の遅い会社なのである。一度事務所に顔を出し、残っている先輩、同僚に
「ご苦労様」
と声をかけ、再び外に出る。当然のようにポケットから車の鍵を取り出す。ドアを開け、運転席に座る。
そう、私は、というより、私の会社の先輩、同僚は、飲酒運転の常習犯だった。一度も事故を起こさず、警察沙汰にならなかったのは奇跡というほかない。
(余談)
その後、科学警察研究所に勤める知人と話す機会があった。
「おい、飲酒運転って、やっぱりいけないのかね?」
普段から気になっていたことを聞いた。彼は真面目な顔をしていった。
「いまから言うことは誰にも言うなよな」
私は頷いた。
「実は、我々の実験では、人体の反応は、少量のアルコールが体内にある時が一番早くなる。つまり、危険を察知して必要な動作を撮るまでの時間が一番短くなるわけだ。その限りで言えば、酒を少しだけ飲んで運転するのが一番安全だということになる」
ええーっ!
「ただ、体内アルコールの量がある数値を越えると急速に反応時間が長くなる。危険を感じ取っても、危険を回避する行動を起こすまで時間がかかるから、事故を起こすわけだ」
なるほど、それが飲酒運転か。
「それが科学的な実験の結果だ。だけど、警察としては『少し酒を飲んで運転するのが一番安全』とはいえない。反応時間が早くなるのはごく少量のアルコールの場合に限られるし、その量も人によって違うからな。だから、交通安全のためには、やっぱり飲酒はダメと言うしかない」
さて、私が主に「三宅」で体内に入れていたアルコールの量は、反応時間が短くなる量だったのか。急速に反応時間が長くなる域にまで達していたのか。
長女を身ごもった妻が臨月を迎え、実家に帰った。2歳になったばかりの長男も連れて、である。長男を残して行かれても、私には養育する時間も能力もないから致し方のないことだ。
だが、寂しかった。長男に会いたかった。だからであろう。長女を産んだ妻が3人で津市に帰ってきた夜、私は車に長男だけを乗せて夜の街に出かけた。
私が運転席に座る。膝の上に長男を抱く。そのまま街まで車を運転する。いま考えれば危険きわまりない行為である。だが、長男の姿を見て舞い上がっていた私の危険感知センサーは、完全に作動を止めていた。
夜は解放されていた市役所の駐車場に車を止めた。目的地は、時折行くジャズバーである。ガラードのターンテーブルにオルトフォンのカートリッジを装備し、マッキントッシュだったかマランツだったかで増幅してJBLのスピーカーを鳴らす。
クリスキットを聞いた後なら、
「酷い音だよね」
というかも知れないが、当時の私はクリスキットの存在すら知らない。小じゃれた店内の雰囲気もあって、時折ジャズを聴きに足を運んでいた店だった。
いや、それはどうでもいい。ここでのテーマは、2歳の子どもを膝に乗せて車を運転し、あろうことか、酒を飲みに行くアホな私なのだ。
その店で私は長男を膝に抱き、水割りを飲んだ。1時間ほどしかいなかったからたいした量を飲んだはずはない。
だが、いまでも思い出すと冷や汗が出る。子どもを連れて、車を運転して、酒を飲んだのだ。帰りも、当然車である。長男は膝の上だ。あれで事故でも起こしていたら、長男はどうなっていたか……。
長男が長じてバイクで事故を起こし(「らかす日誌 006年11月24日 息子の結婚、こぼれ話」をご参照ください)て入院したのは、あの時のアホな父親の行動に落とし前をつけたのか?
繰り返す。若かった私がしたような愚行は、お読みの方々には絶対に避けて頂きたい。私はたまたま無事に今日を迎えているだけなのである。
さて、様々な行動を共にしたトヨタ カリーナ1600STハードトップである。最後に、車の印象を語っておきたい。
排気量1588cc、最高出力100馬力、車両重量950kgの車であった。これだけ見ると、充分な動力性能を備えた車に見える。
ところが、走らない。ギヤをローに入れ、クラッチをつなぎながらアクセルを踏む。エンジンは回転数を上げ、ゴーッという咆哮をあげる。これだけ勢いのいい音がするのだから、後輪をスピンさせながら走り出すかというと、これがまた、ゆったりのったりと動き出す。ピラーレスハードトップのスポーティな姿形が艶消しになる瞬間だ。
高速道路をよく走った。妻の実家は横浜。家族揃って横浜に行くには、車で東名高速を走るのである。
アクセルを踏み込んでいれば、速度は上がる。なにしろ、カタログ上の最高速度は180kmなのである。しばらく踏み込んでいれば、100kmなんて楽に超す。
ある時思った。どこまで速度は上がるのか? 前方を見た。バックミラーで後方を確認した。パトカーの姿は見えない。覆面パトカーらしきものもいないようだ。私はアクセルをさらに踏み込んだ。
速度計の針は105、110と上がった。115を過ぎ、120に達した直後だった。
ダダダダダダダダダダ……
車内に騒音が響き渡った。
何事だ? 慌てて車内を見た。見えた。ダッシュボードが激しく揺れていた。いや、これは揺れではない。振動である。ダッシュボード全体が、中に電動あんま機でも入っているかのように激しく振動している。放っておけばバラバラになってしましまいそうな勢いだ。おい、この車、いったいどうなってる?
慌ててアクセルを離した。速度計の針がスーッと下がり、120を切った。ダッシュボードの振動がピタリと収まった。不思議な挙動をする車である。
私は、時折無謀である。この時もそうだった。突然、探求心に駆られたのだ。
速度が120kmに達しなければダッシュボードは振動しない。じゃあ、120km以上に速度を上げたらどうなる? 振動のしっぱなしか? 180kmまで? 試してみるか? 短い時間なら、ダッシュボードが分解してしまうこともないんじゃないか?
無謀にも私は、アクセルを強く踏み込んだ。
120kmに達した。振動が再現した。さらにアクセルを踏んだ。速度計の針は121、123,と上がる。125を超したな、と思った時、突然振動が消えた。あれほど激しく揺れ動いていたダッシュボードが、風がない日の湖面のようにピタリと動かなくなった。
どうやら、120km~125kmの速度域で、トヨタ カリーナ1600STハードトップのダッシュボードはエンジンの振動に共振してしまうようなのである。
おいおい、トヨタさん、なんちゅう車ば作ってくれっとかね!
私は内心、舌打ちした。やっぱり、技術の日産、販売のトヨタかね? 次の車は日産にするぞ!
だけど、トヨタみたいな大メーカーが、最高速度180kmを歌って市場に出している車が、こんな挙動をするかなあ。ん、ちょっと待てよ、これ、中古で買ったんだよな。ひょっとしたらこの車、事故を起こした車を修理したのか? 事故のために車体全体のバランスが崩れているから120km~125kmの速度域でダッシュボードが共振してしまうのか? ということは、あの修理工場のオヤジ、事故車であることを隠して俺に売りつけたのか?
そういえば、塗装にツヤがなかった。しばらくしたらはげてきた。それも、事故の後で塗り直したからではないのか?
冷静に考えると、こちらの方がありそうである。となると、クレーム先はあのオヤジだ!
と思いついた時は、もう遅かった。私は津市での3年半の勤務を終え、岐阜市に転勤していたのである。いまさらクレームをつけたところで、あの修理工場まで車を運ぶのは1日がかりだ。面倒くさい。いいじゃないか、120km以下か、125km以上で乗り回していれば特に問題はないのだから。
当時から私は、諦めがよかった。
こうして岐阜の地で暮らすようになった私は、すぐに次の車に出会った。
出会ったフォルクスワーゲンビートル、通称カブトムシは、私の車観を完全に変えた記念すべき車である。その後の私の車選びは、ビートルで知り得た世界からなかなか離れない。
それほど素敵な出会いだったのである。