2008
10.27

2008年10月27日 私と暮らした車たち・その3 前史その3

らかす日誌

予告通り、24日から26日まで、四日市に行ってきた。往復800km弱。この長距離を、あのタイヤは無事に乗り切った。
当面、タイヤの心配はしなくて済む。ホットした。

が、25日の朝9時から夕方4時半前を費やして開催された啓樹の運動会には、かなりむっとするシーンがあった。
幼稚園の運動会だというのに、何と、次の四日市市長選挙に立候補を予定している政治家が挨拶に立った。名前なんぞ、覚えてもいない。お昼休み、みんながお弁当を開いておにぎりを頬張っている時間である。
そのおじさんは、若い女を引き連れて演壇に立った。えっ、市長選に立とうというヤツは、自分の秘書を引き連れて人前に出るのか?
と思っていると、その女が演壇に立った。えーっ、何でお前が「高いところに}上るわけ?
聞くともなしに聞いていると、この女、先日の北京五輪にシンクロナイズドスイミングの選手として出場したという。ますます分からん。ま、この女、地元出身で、市長候補が人寄せパンダに連れてきたのか?

「違うのよ。あの女の人、自民党の政治家と結婚したんだって。だから引っ張り出されたんじゃない」

娘が解説した。そうか、そういうことか。でも、幼稚園の運動会が、どうして選挙運動の場になるのだ? あろうことか、このおっさんが作ったというマニフェストというパンフレットを、幼稚園の職員が父兄に配布までするではないか!
おいおい、あんたたちは幼稚園を、運動会を政治活動の場にしてしまうのか?
私は思わず言った。

「啓樹、あそこのマイクがあるところまで行って、『うるさい! うるさい!』って言っておいで」

無論、啓樹は行かなかったが。

だが、啓樹が私の子どもだったら、私が主催者に怒鳴り込む。演壇に立ったのが自民党をバックにしたヤツではなく、民主党を背景に市長になろうとしている男であっても同様である。
この幼稚園に息子を通わせたからといって、私がこの園の経営者の政治的信条に付き合う必要はない。彼の政治信条に同意しなければならないいわれは皆無である。
親として、どうしてもそこにいなければならない運動会という場で、特定の政治家に選挙運動をやらせる偏向した経営者に、どうして自分の子どもを預けなければならないのか? 親の中には、無論自民党支持者もいるだろう。だが、民主党支持者だって、共産党支持者だっているはずだ。一番多いのは無党派層だろう。
それがどうして、このオヤジの選挙演説に付き合わねばならない? 子供を人質にとって、自民党推薦候補の政治ショーに父兄を付き合わせるのは、幼稚園の経営者として許されるのか?

と怒ったのは、私だけだったのかなあ。皆、何事もなくパンフットを受け取っていたし、シンクロナイズドスイミングと談笑してたし。
そうか。私が青臭いだけで、ほかの人達は適当に付き合っていただけなのか。自宅に戻るなり、パンフレットはゴミ箱行きだし、きっと候補者の名前も覚えていないに違いない。
私と違って、みんな大人なんだ……。

 

さて、そろそろ私が最初に乗った女、ではなかった、最初に乗った車にたどり着きたいものだが、前回までの話のついでに書いておきたいことが出てきた。
最初の車は、次回までお待ち頂きたい。

運送会社で私を可愛がってくれたのは、賄いのばあさんだけではなかった。最初に私の指導係になった酒井さんも可愛がってくれた1人である。

「おい、大道! 中洲に行ったこつぁあっとや?」

 「貧乏学生ですけん、なかですよ」

 「よし、ほんなら俺が連れてっちやるばい。今日は暇やろ?」

中洲とは、博多の夜の繁華街である。クラブ、キャバレー、スナック、バー。男を誘う夜の蝶が派手に鱗粉を振りまきながら飛び回る。
私も健康な男であった。である以上、あの鱗粉を浴びてみたいと思わないはずはない。だが、数ヶ月に1回程度、友人と連れだって学生相手の安スナックで薄い水割りをすするのがせいぜいの貧乏学生が足を踏み込める場所ではない。なにしろ、博多きっての高級繁華街なのである。
そこに連れて行ってくれる? あんたの金で? 否も応もない。

「はい、暇です!」

声が少々大きすぎたかも知れない。

その日の仕事を終え、一風呂浴びてさっぱりした様子の酒井さんと、中洲を目指した。

「そうか。大人の男は、中洲に行く前に風呂を浴びるのか」

新しい発見であった。私は実行したことはないが。

酒井さんが慣れた様子でドアを押した。薄暗い照明が灯って、小さくBGMが流れている。ん? これは、スナックじゃないぞ。

「いらっしゃいませ」

3、4人の女性の声がした。

「あら酒井さん、久しぶり!」

うち1人が笑いながら近付いてきた。ということは、酒井さん、初めてじゃないんだ。体にぴったりフィットした短めのワンピースの下に伸びたムッチリした足、丁寧に施された化粧でメリハリがついた顔に目が釘付けになる。あ、そばによるとなんかいい匂いもするなあ。そうか、これが中洲の女か。いいなあ。ゾクゾクする。中洲っていいなあ!

ボックス席に案内された。してみると、ここはスナックではない。芸人が立つ舞台もないからキャバレーでもなさそうだ。ということはあれか、夜の世界でも最高にランクされるクラブというヤツか!? 酒井さん、安月給で支払い大丈夫でしょうね?
いずれにしても、誘ったのは酒井さんである。私が支払いの心配までする必要はない。いいことである。

席に着いた。あの女性は当然のように酒井さんの隣に座った。向き合って座った私の隣にも女性が来た。頭の芯がカッと熱くなる。

「こんヤツは学生でくさ、今日が中洲は初めてやけん、ちゃーんと遊んでやらんとでけんばい」

酒井さんがそういってくれた。それはありがたいのだが、私は遊び方が分からない。隣の女性はいろいろと話しかけてくるが、情けないことに、どう受け答えしたらいいのかまったく頭に浮かばないのである。

「はい」

 「いや」

としどろもどろにしか言えない私は、目の前に置かれたウイスキーの水割りを飲むしかない。飲み過ぎたせいか膀胱が膨らみ、トイレに行きたくなった。
ドアを開けて小便器の前に進む。

「ええっ!」

最初は見たものが信じられなかった。小便器に四角い氷が敷き詰められている! 我が股間から出た黄色い液体が氷に当たり、当たったあたりは溶けて角が丸くなる。いったいなぜ、こんな所に氷があるんだ?
いま考えれば簡単である。臭い消しだ。加えて、贅の演出である。夜の街は、これがいくら、あれがなんぼと計算せざるを得ない昼間の世界から男たちを解き放つ夢の世界なのだ。氷の1kgや2kgで夢が買えるなら安い物ではないか。
えっ、と驚くのは支払いの時だけでいい。えっと驚きながら、

「そうか、大量に氷を溶かしちゃったもんな」

と客に諦めてもらえれば、それに越したことはない。

それを目にしたのは、氷の感動から覚めやらないまま席に戻る時だった。
酒井さんの背中が見えた。その左に、あのミニワンピースの女性が座っている。それはいい。私が席に着いている時からずっとそうだった。だが、正面に座っていては見えないものが見えた。酒井さんの左手である。
酒井さんの左手は彼女のヒップに張り付いていた。いや、張り付いていただけではない。微妙にうごめいている……。

目が吸い付けられた。見てはならないものを見た気がした。
そりゃあ私だって女性のヒップに憧れないわけではない。いや、いまもって憧れている。欲望は人並み以上にある。
でも、こんなところで、人目も気にせず正々堂々と憧れの部位を弄り回していいのか? 女性のお尻を弄り回すって、もう少し恥ずかしいことで、人目がないところで恥じらいながら、でも抗いがたい欲情に駆られて、生まれてきてよかったと感謝しながら手を動かすものではないのか?

店を出て、酒井さんにおずおずと聞いた。

「酒井さん、さっき、あん店で、そのー、あん人の尻ばですねえ……、なんちゅうか、左手で、こう……」

 「おう、撫で回しよったたい。気持ちんよかろが。お前、せんやったとや?」

 「いやー、僕は、ちょっと……」

 「女ん方もキャーキャーいうて喜ぶとぞ。何でせんやったとか」

 「……」

労働者の感性とは逞しいものである。

(その後)
私も社会人になってからは、クラブというところに出入りする機会は増えた。が、あまり好きではない。なぜあんなところに行って、高い金を出して水割りなんか飲むんだろう?それに、金の力で欲望を剥き出しにする、ってのも趣味ではない。同じ結果を求めるにしても、もう少しロマンティックな雰囲気作りはできないものか?だが、あちらさんにも勘違いしている人がいる。
「私、初めてのお客さんとお話しするって、滅多にないのよ」
名古屋のクラブで私に付いたホステスの一言である。おいおい、それってないだろ! 所詮、金で買われた立場ではないか。話さないんだったら、あんたは、客の横に座って何をするのかね? 客が黙って手をヒップに伸ばすのを待ってるのか? 俺、そんな気ないぜ。彼女としては、私が気に入ったというメッセージを発したかったのかも知れないが、だったら違った表現の仕方があるだろう。その店には2度と足を踏み入れなかった。ここ10年あまり、クラブというところには足が向かない。きっと死ぬまで向かぬままだろう。

 そんなこともあった日々を繰り返すうち、重大事件が持ち上がった。
私の勤め先、運送会社が倒産したのである。大型・小型あわせて20台ほどのトラックを使っている会社だった。なぜ倒産したのか、はよく分からない。が、ある朝突然、私を含めた全従業員が事務所に集められ、私を採用した常務さんだったか、専務さんだったかが悲痛な顔をして、倒産を告げた。

「みんなの働き先は何とかするけん」

ともいった。

地面を踏みしめているはずの足が、なんだかフワフワして頼りなくなった。しっかりと私を受け止めていた地面が、突然グズグズに溶けていくような感覚だ。自分と世の中を結びつけていたロープが突然消え去り、糸の切れた凧になったような感覚でもあった。私はどこに流されていくのだろう?

不思議な感覚である。
私は資本主義体制を打倒する革命派に属していたはずだ。資本主義とは強者が弱者から収奪することで成り立つ体制である。打ち壊すしかない。企業とは打倒する対象なのだ。打ち倒すべき敵の1つが、まあ、無視してもいいほどちっぽけな運送会社かも知れないが、倒産した。慶賀すべき事態ではないのか?
それに、である。資本主義を受け入れるとしても、私はこの運送会社に一生を託したわけではない。1年間、先の生活費を貯めながら、人生を、職業選択を、学ぶことをじっくり考えたいと身を寄せたに過ぎない。私の本分は、この運送会社の運転手ではない。本籍は大学生なのである。戻る場所はある。大学だ。働く場所もあるはずだ。アルバイト先を変えるだけのことではないか。

と頭では考える。だが、感覚が頭についていかない。裸で町中に放り出されたような、何とも頼りない思いが沸き上がってくる。

へーっ、俺ってそんな感じ方をするんだ。新しい発見だった。私の中にあるマルクス主義って、いったい何なんだ?
それに、アルバイト先の倒産でこれほど動揺するとしたら、就職先が倒産したらどうなるんだろう?

(そういえば)
幸い、私の勤め先はまだ倒産していない。勤め先が倒産して放り出されたのは、我が息子のの方だった。「事件らかす #5  年賀のご挨拶 」をご参照頂きたい。

 私や、私と一緒にロッテのガムやチョコレートを運んでいた先輩たちはは、ロッテに直接雇用されることになった。
古き良き時代である。いまと比べれば、決して豊かな時代ではない。だが、勤め先が倒産して途方に暮れる労働者を何とかしてやりたいという情けがまだ生きていた。いまなら、ほかの運送会社を使うか、あるいは派遣労働に切り替えてコストの圧縮を図るか。
経営は合理化した。だが、合理化とは人間を幸せにする手法ではない。人を無視し、世の中を無視し、自分の会社さえよければすべてよし、というのが経営の合理化である。
我々は、本当に進歩しているのだろうか?

かくしてロッテ社員となった私は、女子社員によくもてた。お茶に誘われ、ディスコに誘われた。

「大道君、君、女の子たちの間で評判いいよ」

といってくれたのは、配送で相乗りすることが多かったロッテ社員の大塚さんである。大塚さんは子供がいながら奥さんとの折り合いが悪く、いつも離婚を口にしていた。

「○○さんはどうなの?」

大塚さんは、具体的に女性の名をあげて私の反応を見た。

「いやあ、○○さんは、ほら、どっちかというと出っ歯じゃないですか。あの娘とキスしたら歯がぶつかってガチガチ音を立てちゃいますよ」

てな受け答えで2人で大笑いした。

「じゃあ、××さんは?」

 「うーん、あの子はマキシが似合うと思いますよ。でも、いつもマキシ姿なのは脚の線が人前に出せないほどいびつだからでしょ?」

私が貞操を守り通せたのは、あまり魅力的な女性がいなかったからに過ぎない。
いや、素敵な女性もいた。記憶によると、白石さんといった。1つ年上だった。二重の大きな目と視線が絡むと、いつもドギマギした。少しとがり気味の口元には、吸い付きたくなる魅力があった。
困ったことに、私が素敵だと思う女性は、私に鼻も引っかけなかった。それも貞操を守り通せた理由である。

かくして私は、無事に1年間働き通し、翌年の秋に大学に戻った。
休学した時に自分に課した課題は何も解決していなかった。私は本当に弁護士になりたいのか? 脇目もふらずに法律を学べるのか? 労働者とはいったい何なのだ?
でも、1年間働くと、何となく勉学意欲が高まっていた。
人間とは、と一般論にしてしまっては、私以外の方々に失礼である。ここは厳密に行こう。
私は、割といい加減な人間である。

こうして大学に戻った私は、法律書に埋まろうと思った。しばらくは埋まることができた。が、半年後、後に妻となる女性と知り合う。さらに1年後、大学3年生にして結婚する。
こうして私は司法試験受験を先延ばしするうちに、違った仕事をしたくなった。望んだ仕事に就いた時、車を持つ必要が出てきた。
私と暮らした車の1号車がやってきた。中古のトヨタカリーナ1600ST ハードトップだった。