2009
10.16

2009年10月16日 心理が聴覚に及ぼす影響について

らかす日誌

夕刻、仕事を終え、「リン」をつれて散歩に出た。いや、昨日までは散歩だったが、本日からは駆け足である。

私は、血圧がやや高い。仕方なく、高い血圧に効果があるというアミールを飲んでいるのだが、あまりはかばかしくない。
そこで、血圧の本を読んだ。日本の高血圧判定基準は医者の懐が潤うように基準値が低く設定されており、心配しなくてもいい血圧までが高血圧として投薬の対象になっているとあった。しかも、血圧は低ければいいというのではなく、年齢とともにやや上がった方が長命だという。それだけでなく、薬で血圧を基準値以下に下げたところ、放っておいた人たちに比べて平均余命が短くなったとの統計もある、とのことだ。

読んだ私は、

「死んでも降圧剤など飲んでやるものか」

と心を決めた。

その本は、血圧が高くても降圧剤に頼らず、日常生活を見直すことで血圧を下げることを推奨している。まずは体重を減らすことだ。
これは、いわれなくても実行している。ポッコリと出た腹は、血圧の問題を横に置いても、それほど美しいものではない。啓樹や瑛汰にまで、

「ボス、メタボ!」

といわれるのは、どうせ娘たちがいわせているのだろうと裏事情は理解はするものの、心地よいものではない。それより何より、世の女性たちへのアピール性に欠けることは自分でも認めざるを得ない。
この腹で、若く見目麗しい女性に迫ることができるか?

そのような次第で、妻に

「夕食のメニューを減らすように」

と命じたのは、かれこれ1年ほど前のことである。あわせて腹一杯は食べないように注意もしている。腹八分目の原則を実行しているのである。
その効果は少しずつ出ており、ピーク時には85kg前後までいった体重も、最近は空腹時で81kg前後にまで落ちた。調子が良ければ80kgを切ることもある。鏡を見ても、顎がとがってきた感じがある。
ここまで来ると、

「さて、次の目標は恒常的に80kgを切ること? それとも、一足飛びに75kgを目指す?」

そんな途方もない計画を描く私なのだが、しかし、これほど体重が減ったにもかかわらず、加えてアミールを飲んでいるにもかかわらず、血圧はなかなか下がらない。次の手に訴えるしかない。

私が読んだ本が進める次の手は、運動である。しかも、やや息が切れるほどの運動がいいとある。血圧が高いのは末梢血管に血が流れにくくなっているためだから、強めの運動をして末梢血管まで無理矢理血液を運び、末梢血管の血の通りをよくすると血圧は落ち着く。確か、そんな理屈だった。水垢がたまって水が流れにくくなったパイプに、高圧水を送り込んで水垢を流してしまうのに似ている。

「やだよ。疲れることはやりたくない。汗もかきたくない」

と読んだときは思った。が、アミールを飲み続けているにもかかわらず、ずっと高めで推移する血圧に、やや心配になった。

「まっ、軽くやってみるか」

不埒にも、若い姉ちゃんへのアプローチを心密かに—あ、日誌で書くんだから公に、か—志す男がそう考えた。昨日のことである。
昨夕、スクワットを30回、腕立て伏せを25回やって疲れ果て、

「おかしいな。昔は腕立て100回なんて平気だったのに」

と繰り言をいいながら畳に突っ伏した。それでも全身からじみ出す汗に、

「おっ、末梢血管まで血液が流れてる!」

という充実感を満喫したのはいうまでもない。

今朝は、「リン」と散歩をしながら、駆け足をした。ジョギングと書かないのは、「リン」が排尿をすれば立ち止まり、疲れれば歩き、と、無理をしないことが前提だったからである。
だから、それほど息は上がらない。疲れもあまり感じない。
それでも、自宅に戻ると上半身に汗がにじんでいた。額には汗が玉になる。

「ほほう、この程度の駆け足でも、多少は効果があるわい」

とにんまりして今日の夕方を迎えた。
ああ、やっとこれで出だしに戻ることができた。

「リン」をつれ、駆け足で散歩コースをたどった。疲れない程度の駆け足ではあるが、それでもいつもの散歩に比べればスピードは速い。いつものコースでは、自宅に着くのが早すぎる。

「この信号を渡って遠回りするか」

車通りの多い県道の横断歩道で信号が変わるのを待った。車を運転するものの常として、私の目は正面の信号ではなく、右90度にある信号に注がれる。間もなく青が黄色に変わり、赤になった。ここで目線を正面の信号に戻すのが天性のドライバーだ。すぐに青に変わった。よし、横断歩道を渡ろう。足を踏み出そうとしたときだ。
私の視野の右隅から、黒っぽい軽自動車が飛び出してきた。

「えっ、お前、信号無視するのかよ」

出しかけた足を引っ込め、右足を引いた。無法ドライバーの軽自動車に蹴りを入れてドアの一枚でもへこませてやれ! 手前、危ねえじゃねえか!!

その時だ。パトカーのサイレンが高らかに鳴り響いた。音の方向に目をやると、私の反対側で、先頭で信号待ちしていたパトカーが赤い警告灯を点滅させている。勢いよく交差点に入ってマイクで呼びかけた。

「そこの軽自動車、左に寄って止まりなさい!」

馬鹿なドライバーである。信号待ちの列の一番前にパトカーがいることも知らず、赤信号を突っ切ってしまったのだ。そりゃあ、目の前で信号無視されれば、お巡りさんは怒るわなあ。最近は、率先垂範で交通違反をするお巡りさんもいるようだが、ひょっとしたら、このパトカーのお巡りさんもすねに傷を持っていたかもしれないが、それでも、面前で違反行為をされたら、メンツをつぶされた、と怒っちゃうだろ?
バーカ、交通違反をするんなら、TPOをわきまえんかい!

駆け足でぐるりと遠回りし、再び同じ道路に戻った。信号無視した車とパトカーはまだ道路脇に駐車していた。ドライバーとおぼしき30代の女性がパトカーのそばに立っている。スリムで、髪はひっつめにして頭の後ろで束ねている。

「ん? 美人?」

女性が美しく見える条件は3つあるという。

夜目
 遠目
 傘のうち

あたりは夜のとばりが降りていた。夜目、である。
彼女まで50mほどの距離があった。老眼である私には十分遠い。遠目、である。

雨は降っていなかったので「傘のうち」はなかったが、3つのうち2つをクリアすれば、まあ、多くの女性が美しく見えるのはありがたい。そのあとでライトをかざしたり、そばに寄ったりしなければ、

「今日は綺麗な女性を見た」

と、ほかほかした思いを持ちながら眠りにつけるのだ。

そういえば、中学1年生のときの数学を教えてくれた浅井先生は、

「100m美人」

といわれていたなあ。

そんな思い出にふけりながら、ゆっくり駆け足で自宅に向かった。
向かいながら、

「まったく同じ音なのに、自分が交通法規を破っているときに聴くパトカーのサイレンは心を凍り付かせる一方で、他人が交通法規に違反しているときに聴くサイレンは、どうして頼もしく聞こえるのか?」

心の持ち方次第で、音が違って聞こえる。人間とは不思議な生きものである。

自宅に着くと、いい汗をかいていた。明日も駆けよう。

目指すぞ! 脱高血圧!!