2014
08.03

2014年8月3日 逆転現象

らかす日誌

我が国の場合、平日に汗を流して働き、終末は平日の疲れを癒すためにゆったりと過ごすのが普通である。
私が物心ついたころは、6勤1休が当たり前で、やがて土曜日が半ドンとなって5.5勤1.5休となり、いつしか週休2日と変わった。いまやそれに国民も休日が加わり、夏休み、冬休みが取れる。

いまになって思えば、 

「1週間に1日しか休みがなかったころ、よく体が持ったものだ」 

と思う。あの頃は週に1日の休みが当たり前で、別に苦にしていたわけでもないのに。 
とすれば、人間とは、甘やかせば何処までも甘える生きものである。差し詰め、私がその右代表であろう。 

なにしろ、小学5年生の終わりから中学3年まで新聞配達をした。当時は日曜日も夕刊があり、新聞配達が休めるのは1年に3回だけの休刊日。1月1日の夕刊と2日の朝刊(2日に夕刊があったかどうかは記憶がない)、5月5日の夕刊と6日の朝刊、秋分の日の夕刊と翌日の朝刊だけであった。つまり、1年365日のうち、362日、ひょっとしたら363日は働いていたわけである。 
苦にはなった。が、そんなものだろうと思っていた。 

就職して働き始めたころは、週1日の休みも不確かだった。日曜日に働き、平日に代休を取れるはずが、仕事ができれば代休など吹っ飛ぶ。 
仕事とはそういうものだと疑いもしなかった。幸い、 

「仕事と私と、どっちが大事なんですか!」 

などというアホな女は当時、私の知る限りいなかった。まあ、その分、家族を犠牲にしたという人もいるかも知れぬが、 

「何をいう。犠牲になったのはまず私であって、家族はそのとばっちりを食ったに過ぎない」 

と私は思う。仕事中毒の旦那を悪者にして楽しもうという風潮は、いったい誰が創り出したのか? 映画やドラマでは、その旦那が 

「俺が悪かった」 

などと反省しきりだが、旦那にしたって家族を放り出して女遊びやゴルフにうつつを抜かしているわけではない。勤め先の人間関係は、より嫌な思いをするのを避けようと追えば、いまのいやな思いを堪え忍ぶしかないから身を粉にするのである、という側面があることも、女子どもといえども理解すべきである。 

いや、話がそれた。 
いまや、我が職場も年間の休日は、何と100日以上。しかも、基準の休みに達しないと 

「もっと休みなさい」 

と会社からお叱りを受け、そのような部下の勤務ぶりを放置した上司は 

「部下の管理能力に欠ける」 

と減点の対象になる。 
そのような時代になると、この私ですらが、 

「よくもまあ、あんなひどい勤務形態で我慢できたものだ。週休2日でも休み足りないのに」

と思う、甘やかされた豚になった。 
大丈夫か、日本? このままで……。 


と思っていたが、最近の私の暮らしぶりを見ると、私は亡国の民である。 
何故か。 
週休2日制のもとでは、月曜日から金曜日までみっちり働いて、終末はゆったりと体と心を休ませる。そうして、週明けの闘いに備える。 
それが普通である。 
それなのに。

どうやら私は、この秩序が逆転しているようなのだ。 
つまり、私は終末に体を酷使して、平日に休息をとる。 
極めて不自然な生活のリズムなのである。 


例えば今日。 
朝目覚めると、最初の仕事は録画されている映画やドラマの整理であり、1週間先の録画予約であることは平日も終末も変わらない。 
今朝もこの日常業務をこなし、ディスクにダビングするものはダビングすると、何故かP.P.M.を聞きながら新聞各紙に目を通した。目覚めるのが遅かったので、目を通し終えると、10時近かった。 

天気がいいので布団を干す。 

次は買い物である。 
録画済みのディスクを整理するためのフォルダーがいる。磁石付きのテーブルタップがあれば事務室がもう少しは片付く。 
それだけなら、平日に買い出しに行ってもいい。が、ついでにもうひとつ買うものがあった。西瓜である。 
行きつけの、農協直営店の店長によると、新鮮な果物は毎週末に入荷する。美味しい西瓜を食べたいのなら終末に買い物に行かざるを得ないのだ。フォルダやテーブルタップは、そのついでともいえる。 

加えて、生姜と銀だらを買い求め、自宅に戻ったのは午前11時前。すぐにテーブルタップを取り替えたのはいうまでもない。が、もうひとつ大きな荷物がある。ディスクが48枚、72枚、96枚入るフォルダである。 

「買ってきたんだから、やるしかないか」 

と、録画済み、印刷済みのディスクの整理に取りかかる。データベースを整理し、区分けされたフォルダにディスクを納める。24枚用フォルダでは収まりきれなくなった区分はすべてを48枚用に移し替える。48枚用ではみ出した区分は、72枚用に、と次々とフォルダを移し替える。 

新しく登場したフォルダには、当然背書きがいる。 

「あ ①」 
「落語研究会 ①」 
「フランス ④」 

てなものだ。 
背書きはパソコンでつくり、プリントアウトして貼り付ける。貼り付けただけでは剥がれるので、その上から透明の接着テープを貼る。貼る、貼る、貼る……。

前日たてた今日の予定はこうではなかった。 
朝買い物に行くのは予定通りとして、ディスクの整理はするものの、昼過ぎには終えて、まず高校入試数学を解く。すでに勉強分野は立体図形まで進んでおり、 

「この立方体を、点A、L、Mを通る平面で切る。点AとGを結ぶ直線とこの平面の交点をNとするとき……」 

昨日1時間考えて分からなかった問題である。今日は正解までたどり着くはずであった。 
それを終えると、ギターを練習する。指弾きによるアルペジオの技術を磨き、人前でも立派に弾きこなせるエンタテイナーを目指す。 
はずだった。 

ところが、ディスクの整理が一段落すると、時計の針はもう午後4時を回っていた。そして、エアコンをかけた部屋で作業をしていたはずなのに、体中汗だらけである。 
途中、TSUTAYAからレンタルCDが届き、それをリッピングして直ちに返送した。クソ暑い中を郵便ポストまでア早足で歩いたためか?
いずれにしても、時計を見ると同時に何となく疲れた。しかも、この時間である。風呂に入ってビールにするか……。

私、こんなにみっちり働く平日を持った記憶が、最近はない。で、 

「ああ、疲れた。この疲れは、月曜日から金曜日の間に癒さなくちゃ」 

と決意するのである。 
だって、終末が来れば、また忙しくなるに決まっているのである。 


というわけで、折からの桐生八木節祭りにも行かずじまいであった。まあ、あれ、行ってもそれほど楽しくないもんなあ。だって、道路に並んだ屋台と、その屋台に挟まれるようにして、組織ぐるみで踊り狂っている連中しかおらず、見物人の居場所が何処にもない祭りを、どうやって楽しめってか? 

というわけで、終末の疲れを癒す明日からの日々が待ち遠しい私である。