08.02
#2:華氏911 - ないものねだり?(2004年9月3日)
ふむ。
映画館を出て、何かがずーっと引っかかっていた。ストンと落ちないものが、頭の片隅を占拠し続けた。
いったい、何なんだろ、これ?
久しぶりに、妻と2人で映画館に出かけた。8月最後の日曜日である。何年ぶりのことだろう?
「華氏911」。
ほとんどの映画は、1、2年もすればWOWOWでやる。それまで待つ。残す価値ありと思えば、テープなり、DVDなりに落とす。
最近の、私の映画とのつきあい方である。
だから、WOWOWに加入している。デジタルビデオデッキも買った。HDDつきDVDレコーダーも購入した。
いや、その前に。
映画館まで足を運びたくなる映画が、いったいどれだけある?
こいつは違った。
なにしろ、「旬」のある映画なのである。
今年はアメリカの大統領選挙の年である。そいつにぶつけて、現職のブッシュ大統領をこき下ろし、今年11月の選挙での民主党・ケリー候補への投票を煽る映画である。選挙結果が出た後では、気の抜けたビールになっちまう。
というわけで、川崎駅前のTOHOシネマズ川崎に出かけた。
映画館を見終わって、同じビルにある本屋で、妻が珍しく本をお買い上げになった。待つ間、ずっと頭にあった。
私は、これも同じビルにあるDVDショップでダニー・ハサウェイの「These Songs for You, Live! 」を入手した。目的のCDを探しながら、ずっと頭にあった。
TSUTAYAにDVDを返却し、新たに2枚借りた。カウンターで手続きを待ちながら、ずっと頭にあった。
(注)
ちなみに、
返却分=「赤ひげ」、「用心棒」、「椿三十郎」、「山猫は眠らない」
新規レンタル分=「カサブランカ」、「ノッティングヒルの恋人」
ちなみに、「カサブランカ」は私の、「ノッティングヒルの恋人」は娘のリクエストである。念のため。
昼時だったので駅ビルでうどんを食べた。まずいうどんだと思いながら、ずっと頭にあった。
駅ビルの地下街で夕食の買い物をした。両手で荷物を抱えながら、ずっと頭にあった。
帰宅した。
「何なんだろ、これ?」
一夜明けて、引っかかっていたものが何となく見えてきた。
「ムーアさん、ちょっと脇が甘いんじゃあないの?」
である。
映画の主張は極めて明瞭である。
ブッシュ大統領はアホである。
フロリダ州で選挙操作をし、国民をごまかして大統領の座に着いた。
当選したら、仕事は半分、あとは遊び暮らした。
ブッシュ一家は、サウジアラビアの王室やビン・ラディン一家と、お金の関係を含めて極めて親密である。
極めてダーティな連中ばかりを取り巻きに選んだ。彼らは米国の安全などにはとんと関心がなく、もっぱら利権あさりをする輩である。
だから、911のテロを防げなかったし、その後の対応も遅れたし、やっと始めたと思ったら大間違いのコンコンチキを演じている。テロの犯人はサウジ人なのに、どうしてイラクに戦争を仕掛けるんだ?
どうだ、みんな。いつまでこんなヤツを大統領に祭り上げておくつもりだ? ブッシュを、大統領の座から引きずり降ろそうではないか!
一介の映画監督が、大統領選挙の年、世界で最大の権力を持つ男、現職のブッシュ大統領に、映画という武器を使って喧嘩を売ったのである。
痛快この上ない。
それに、面白い。
「もっと硬い映画かと思ってたけど、最後まで面白かった」
とは、政治向きのことにはあまり関心を示さない妻のコメントである。
フロリダ州の選挙結果の摩訶不思議さを、
ホワイトハウスに向かうブッシュ大統領を取り囲むデモの民衆を、
選挙結果を是認する最高裁決定を覆すことを阻む制度の不合理性を、
就任後、遊び暮らすブッシュ大統領を、
ブッシュ一族とサウジアラビアとの極めて親密な結びつきを、
イラクとの開戦を国民に伝える直前のブッシュ大統領の笑み崩れそうな表情を、
あれやこれやの映像をつないで、辛口のコメントを重ねながらブッシュ大統領を追いつめていく。いつもながらのマイケル・ムーア監督の職人芸である。うまい。
ハイジャックされた旅客機が世界貿易センターに突っ込んだ瞬間は、画面がブラックアウトする。凄まじい轟音だけが映画館を満たす。映画館の客席にいた私は、2001年9月11日午前9時前後、たまたまニューヨークに居合わせて、あまりのことに目を閉じて歩道に蹲ってしまった人間になってしまった。目を閉じても、音だけは容赦なく耳から流れ込む。
目を開けると、市民たちが、先ほどまで巨大なビルがあった方向に目を奪われている。あれほどの偉容を誇っていたビルが、この世から消えてしまった。信じられないものを見てしまった市民たち1人1人の表情が雄弁に事件の衝撃を語る。
旅客機がビルに激突し、ビルが崩れ落ちる映像は、テレビで何度も見た。我々の記憶にしっかり刻み込まれている。だが、こんな轟音は聞かなかった。市民たちの、魂を抜き去られたような表情は見なかった。改めてビルの崩壊を見せられるより、遙かに強く事件の恐ろしさが伝わってくる。
巧みである。
そして後半。イラクの爆撃で傷ついた子供たちやアメリカ軍の兵士、人間性を壊されていく駐留アメリカ兵、子供を戦争で失った遺族の悲しみ、怒り……。貧乏人が軍に入ってイラクに送られ、戦争で一儲けをたくらむ企業家は、商売繁盛を謳歌する。反戦映画、反戦ドキュメンタリーの常套手段ともいえる手法ではあるが、いま、この時代にイラクで、アメリカで起きている現実の映像には、やはり圧倒される。告発の矢は、ブッシュ大統領、ブッシュ政権に向けてまっすぐに飛んで行く。
いや、それにしても、ブッシュさんほど、就任直後から悪口を言われ続けた大統領を、私はほかに知らない。この映画にも出てきたフロリダ州の選挙疑惑は、日本でも大きく報じられた。最も大統領にふさわしくない知性の持ち主が大統領になったと、新聞紙上で書いた学者もいた。ブッシュ語録は、笑いの宝庫として本になった。
そして、大量破壊兵器の存在を理由にした対イラク戦争である。後になって、大量破壊兵器なんてなかったということになったが、大量破壊兵器があるからといって戦争を仕掛けるのも無茶だが、それがなかったとなると、いったいどういうことになるんだ?
いや、困った人が大統領をやっておるわい。アメリカに何が起きてるんだ?
日本人でありながら、私だってそんな思いにとらわれる。
そのブッシュさんに、現職の大統領に戦いを挑む。さすがにアメリカの民主主義は奥が深い。振り子が一方によってしまうと、すかさず修正する動きが出てくる。希望すら感じさせる。
だが、だからこそ、もっともっと脇を固めて挑んでほしかったというのはないものねだりかなあ?
貿易センタービルに旅客機が突っ込んだとき、ブッシュ大統領は小学校を訪問中だった。子供たちと一緒に絵本を読んでいる最中に事件を耳打ちされる。が、ブッシュ大統領は動かない。そのまま7分間、子供たちと一緒に絵本を読み続けた。
ムーア監督はこれを大統領の無能さの証の1つという。だが、このあとブッシュ大統領が何をしたかには触れない。
もしも、である。この7分が経過した後に、ブッシュ大統領が教室を出て、的確な指示を出していたらどうだろう?
瞬発力に欠けるという指摘はできるだろう。しかし、ブッシュ氏は、アメリカで最終決定を下す立場の人である。外見的には絵本を読んでいても彼の頭はスーパーコンピュータ並みに回転しており、7分間で彼なりの結論に達したので教室を出たのかもしれないではないか。いたずらに騒ぎまわる最高権力者より、はるかによくはないか?
という見方だってできる。
事件発生直後、ブッシュ政権はすべての飛行機の離陸を禁止するが、米国に滞在中だったビン・ラディン一家が自家用ジェット機で脱出するのは認めていた。
ワシントンDCにあるサウジアラビア大使館に出向くと、大統領の警護をするシークレット・サービスがガードに立っていた。米国民の税金で、何故に外国の大使館を守るのか?
こうした事実を積み上げて、ムーア監督はブッシュ大統領とサウジアラビア、ビン・ラディン一族との不可思議な関係を描き出す。
「ハイジャック犯の多くがサウジアラビア人だったのに、この特別待遇は何だ? サウジマネーに飼い慣らされてるんじゃないの?」
というのがムーア監督の主張である。
だが、的確な判断だったという見方もできる。犯人の多くがサウジアラビア人だったとしても、サウジが国家として関与したとまでは言えまい。ビン・ラディン一家についても同じである。しかし、短絡的に考えて在米サウジアラビア人に向けて無差別の復讐に出る米国民が現れないとも限らない。2次的な事件は阻止しなければならない。在米サウジアラビア人全員の保護は無理だから、まず、VIPである彼らの安全を確保する。
という説明は不可能だろうか?
実際、ムーア監督のいう通りなのかもしれない。教室でのブッシュ大統領は茫然自失していただけかもしれないし、国益よりも先に親しい友人に恩を売ろうと考えたかもしれないし、本当は警察に任せるべき大使館警護なのに、ちょっと権限を乱用してシークレット・サービスを派遣したのかもしれない。
その確率は高いだろう。
でも、だからこそ慎重に扱ってほしかったのである。
告発が、相手の一番いやがるところに肉薄していればいるほど、相手は細かな隙間を見つけ出して、告発全体を無力化しようとする。だから、相手が強大であればあるほど、隙を見せてはならないのである。
それに。
ドキュメンタリーを見たら、
「なるほど、そうだったのか!」
と心から納得して映画館を出たいではないか。
(余談)
インターネットで「華氏911」関連の情報を探していたら、この映画にネオコンが登場していないと指摘するページがあった。ネオコンといえば、ブッシュ大統領の陰にあって対イラク戦争を推進した人たちである。確かに、そう指摘されてみれば、映画にネオコンの影はなかった。このページを見るまで気がつかなかったなあ。
で、このページの著者は、ブッシュ大統領を見限ったネオコンがムーアと手を結び、責任を大統領に押しつけようとしているのではないかとの指摘がアメリカで出ているという。それに民主党のケリー候補がネオコン取り込んだともいうから、となると、ひょっとしたら、一番危険な存在かもしれないネオコンとケリー候補とムーア監督が握手をしてブッシュ大統領を引きずり落とそうと狙っているという図も描ける。政治とは様々な見方を生み出すものである。
これまでのムーア監督の作品からして、それはないと思いたいが……。
ねえ、だから脇を固める必要があるのですよ。
アメリカの大統領選挙も、ホームストレッチの戦いになってきた。「華氏911」は大ヒットしているというが、世論調査だと、ブッシュ候補、ケリー候補が競り合いは、この映画の公開前とあまり変わっていない。
アメリカは2005年からの4年間、再びブッシュ氏に国の運営を委ねるのだろうか?
(余談)
でも、大統領をすげ替えたからといって、アメリカは変わるのかなあ。だって、ベトナムへの直接軍事介入を決断したのは、あの、アメリカの良心の象徴みたいになっているケネディ元大統領だし、さかのぼれば、ほとんど戦闘能力がなくなった日本に原子爆弾を2つも投下してたくさんの非戦闘員を殺したのもアメリカだもんなあ。
悪いのはブッシュさんだけ?
ブッシュさんを大統領に選んだアメリカの有権者は免罪されるわけ?
というか、ブッシュさんが大統領に選ばれてしまうようなアメリカ社会の構造が、実は問題なんじゃないかな。2時間弱の映画にそこまで求めるのは無い物ねだりだろうけど、さ。
素敵なところはたくさんあるけど、なんだか怖い国でもあるのである、アメリカは。
まあ、ブッシュさんに協力してイラクに自衛隊を派遣し、国会では大量破壊兵器などで苦しい答弁を繰り返し、
「華氏911? 偏向しているから見ない」
といってのける首相を持つ国の国民として、あまり他国のことは言えないなあ、という気もする今日このごろではある。
(余談)
このあと、世界は何者にも例えようがないとんでも大統領を見ることになる。そんなこと、あの頃は考えても見なかった。=2017年8月3日
【メモ】
華氏911 (FAHRENHEIT 9/11)
2004年8月公開、上映時間112分
監督:マイケル・ムーア=Michael Moore
出演:マイケル・ムーア=Michael Moore
アイキャッチ画像は角川映画のホームページからお借りしました。