08.11
#23 : 青い戦慄 - こんな台詞で決めてみたい!(2005年2月18日)
東京電力の社長、会長、経団連会長と華麗なキャリアを持つ平岩外四さんを昨年、東京都内のレストランでお見かけした。当時89歳、いまでは90歳のご高齢にもかかわらず、オーナーシェフの話では、和食より洋食がお好みだそうで、そういえばおいしそうにワインを楽しんでいらっしゃった。
ご迷惑にならない程度に観察してみた。相手の心を柔らかくする暖かい笑顔、すっと伸びた背筋、年齢を感じさせないかくしゃくとしたお姿、いやあ、ちょっとかなわないなあ、と心の内で悲鳴を上げてしまった。
私、あんなおじいさんには、逆立ちしてもなれそうにない。
位階人臣を極められたことばかりが記憶に残るが、平岩さん、大変な教養人でもいらっしゃる。なかでも、その読書量は硬軟取り混ぜ、我ら凡人が及ぶべくもない圧倒的なものであると聞く。
そういえば、平岩さんのお好みの言葉は、確かレイモンド・チャンドラーだったと何かで読んだ。女に
「あなたみたいにタフな人が、どうしてそんなにやさしくなれるの」
と問われて男が答える。
「タフじゃなくては生きて行けない。やさしくなくては、生きている資格がない」
もとの英語で示せば、
”If I wasn’t hard,I couldn’t be alive.If I couldn’t ever be gentle,I wouldn’t deserve to alive.”
である。出典は「プレイバック」。
いやあ、格好いい! チャンドラーも格好いいが、経団連会長のポストにありながら、好きな言葉にこれをあげる人って、最高に格好いい!
どこかで、あの言葉の選択には演出家がいた、との噂も聞いたが、そんなことはどうでもよろしい。もしそうであっても、
「それで行きましょう」
と OK したのは、平岩さんに違いないのだから。
ということで、今回は「青い戦慄」である。いや、順序は逆である。この映画を書こう思って頭の中の引き出しを整理していたら、レイモンド・チャンドラーに引っぱられて平岩さんが出てきたのだ。
こいつは、そのレイモンド・チャンドラーが脚本を担当した映画なのである。ま、平岩さんがごらんになったかどうかはわからないが。
こんな格好いい台詞を聞きたかった、という映画があっていい。流石にレイモンド・チャンドラーだ。私がしびれる台詞を用意していた。「青い戦慄」は、そんな1本である。
一足飛びにその台詞に行くと、書くことがなくなってしまう。恒例に従って、まずはざっと粗筋を。
空軍のモリソン大佐が、軍隊で部下だったバズ、ジョージと一緒に故郷に戻ってきた。独身のバズとジョージは共同生活を始めるが、妻帯者のモリソンは妻ヘレンのもとに帰る。ヘレンは、ホテルが経営するバンガローで優雅な生活を送っていた。
モリソンを迎えたのは、ヘレンが主催するランチキパーティだった。おいおい、こちとら戦場で、命を張る毎日だったんだぜ。なのにお前は、こんな暮らしかよ。こいつは誰だってムッとくる。モリソンもムッと来た。
ムッと来ただけではない。なんと妻のヘレン、モリソンの留守中に男を作っており、そいつもこのパーティの客だった。エディー・ハーウッドといううさんくさい男である。なんで、こいつが妻の愛人と分かったかって? モリソンのご帰還を知ってその場を去ろうとしたエディに、なんとヘレンがキスしているのだ。どんなに鈍い男だって、そこまで見せつけられれば事態が理解できる。カッと来る。そう、モリソンはエディをぶん殴る。
だけならまだしも、であった。てめえ、何してやがんだ、と詰め寄るモリソンに、ヘレンは、それまで隠し通していた秘密を明かしてしまう。病気で死んだと聞いていた一人息子は、実は酒に酔ったヘレンが息子を乗せて車を運転していて事故を起こし、死なせてしまったというのだ。
これは、切れる。誰が止めようと、切れる。モリソンも切れた。軍隊で使っていた銃を取り出して妻に突きつけたが、
「殺してやりたいが、その価値もない!」
と言い置くと、銃をヘレンの足下に放り投げ、降りしきる雨の中、トランク1つを抱えて夜の街に出て行くのである。ヘレンを見限ったのだ。
(余談)
ヘレンからすれば、
「何よ、仕事、仕事って、私を放りっぱなしにしておいて。あんたは、そりゃあ立派なお仕事をされて空軍の英雄様におなりになったかもしれないけど、残された私はどうなのよ。この若い体が何年放っておかれたと思ってるのよ。もう、火照っちゃって火照っちゃって、狂いそうだったわ。あんたが毎日私を可愛がっていれば、酒なんか飲まなかったわよ。飲酒運転で事故を起こしたりしなかったわよ。息子を死なせたりしなかったわよ。ましてや、男を作ったりするはずもないでしょ! 私だけが悪いっていうの!」
である。
だが、古い映画は、このあたりは無視して進む。
男としては、心地よいこと、この上ない。
ところが、殺す価値もないと思ったヘレンが、その日、誰かに殺されてしまう。凶器はモリソンが置き去りにした拳銃。おかげで、ヘレンと激しく諍っていたモリソンが、容疑者として警察に追われる立場になってしまった。こいつは、自分で容疑を晴らす、つまり、我が手で真犯人を見つけ出すしかないではないか、という具合に話は進んで、戦場で頭に傷をおって精神的に不安定なバズが犯人に擬せられたり、ヘレンの浮気相手だったエディが、東部のニュージャージーで殺人の罪を犯して西部に逃げてきている札付きで、だったらヘレンを殺したのはこの男に違いないとモリソンが追いかけたりして、話は二転三転するのだが、最後は意外な犯人が浮かび上がる。
というストーリーである。
主役のモリソンは、変な女を女房にしたこと、その女房を留守中に寝取られてしまったこと、それにちっとばかり背が低いことを除けば、まあ完璧な男である。戦争で英雄になり、戦友から信頼され、頭も良く、度胸があって腕っ節も強い。言葉を操る術も身につけている。何よりも美男子だ。逃亡中にもかかわらず、彼のヘアは一本も乱れていない。いつでも、理髪店から出てきた直後のようである。
妻のヘレンは、典型的なダメ女。酒におぼれ、金には糸目をつけず、亭主の留守中に間男し、飲酒運転による事故で息子を殺す。おまけに、自分の落ち度を亭主に知られたくないばかりに嘘までつく。どうしようもない妻なのである。
ヘレンの浮気の相手エディは、逃亡中の殺人犯なのに、ナイトクラブを経営しているから金回りはいい。仕事柄か、にやけた感じが付きまとう。彼の仕事の部下は、一皮むけば人も殺しかねないような連中である。なかなかに魅力的な女房を持っていながら、ヘレンとの情事を繰り返す。ふん、うらやましい、あやかりたい、見習いたい、 典型的な悪役だ。
なのに、エディの妻、ジョイスは根っからまともなのである。エディの情事を知っても騒ぎもせず、フラッと家を出る。そして真っ当にも、豪雨の中を傘もささずに歩くモリソンを見かけ、車を寄せて乗せてやるのである。夜目遠目にもかかわらず、人間の善し悪しを一目で見抜く能力を持ち合わせているらしい。そして、車の中で交わす華麗な大人の会話。頭が良く、世慣れていて、遊び心も持ち合わせている。おまけに美人と来るから、エディと結婚してしまったことを除けば、理想的な女なのである。
単純なキャラクター設定ともいえる。だが、私のように複雑な人間は、ハードボイルドの登場人物としては似つかわしくない。人の持つ様々な局面の1つを肥大化する。そんな単純なキャラクターを複数用意して絡み合わせ、ドラマ化する。文芸作品ではない、娯楽作品では広く使われる手法である。
だから、しびれる台詞も忍び込ませることができる。
前に少し触れたが、妻のもとを去って雨の中を歩き回るモリソンは、家を出たジョイスの車に拾われる。
「乗りなさいよ(Get in.)」
がジョイスの最初の言葉である。
ジョイス : | 濡れたいなら別だけど。 |
モリソン : | 赤の他人だぞ。少し無防備過ぎはしないか? |
ジョイス : | どんなお友達でも最初は他人だわ。 |
こんな会話で始まる男と女って、どんな運命をたどるんだろう?
ま、最近は変な大人が増えたから、知らない人の車に乗ってはいけない、知らない人を車に乗せてはいけない、というのが鉄則なのだが、当時のアメリカはまだ古き良き時代だったのだろう。
ジョイスがモリソンの鞄を見つめている。「JM」のイニシャルがついている。
モリソン : | 鞄が何か? |
ジョイス : | JMって頭文字なの? |
モリソン : | ちゃんと名乗るさ。 |
ジョイス : | 当てるわ。ジャック・メイソンかしら? |
モリソン : | 結構な名前だがね。 |
ジョイス : | ジェレマイア・マクゴナグル? |
モリソン : | そんな名前あるもんか。 |
ジョイス : | 私は好きになれそうだわ。 |
モリソン : | きっと退屈な男だ。ジミー・ムーアさ。 |
ジョイス : | それがあなたの名前なの? |
モリソン : | 嫌いかい? |
ジョイス : | ジミーって男の子が好きだったわ。8歳の時よ。忘れなきゃね。 |
ジョイスは、一目でモリソンが気に入った。だからシートが濡れるのもかまわずに、濡れたモリソンを車に乗せた。会話の端々に、さりげなくメッセージを忍び込ませる。
「私は好きになれそうだわ」
「大道って男の子が好きだったわ」
なんて、私にいってくれる見目麗しき女性がいたら、もう、魂は天国の空を飛び回る!
やがてモリソンは車を降りる。その日の自分の宿を探すためである。どれほど好意を示されようと、名も知らぬ初対面の女性をホテルに誘ったりしないのが紳士のたしなみである。ありがとうといって去ろうとするモリソンに、ジョイスはいう。
ジョイス : | Why don’t you even say good night? (お休みもいわないで?) |
モリソン : | It’s goodbye. And it’s tough to say goodbye. (いや、さよならだ。さよならを言うのはつらいが) |
ジョイス : | Why is it? You’ve never seen me before tonight? (何故なの? 今夜初めて会ったばかりじゃない) |
モリソン : | Every guy’s seen you before,somewhere. The trick was to find you. (男は誰でも君と会ってるさ。夢の中でね) |
(お断り)
何度も聞き直しましたが、「The trick was to find you.」には確信が持てません。このように聞き取っても、意味がいまいち分かりにくい。「男は誰だって君に会ってるよ、どこかで。その幻覚って、君を見つけ出すためなのさ」とでもいうのでしょうか。こいつは、日本語字幕の「夢の中で」の方に軍配があがります。
いかがでしょう、このやりとり。亭主に愛想を尽かして家を出てきたジョイスがモリソンに強く惹かれ始めたこと、妻のもとを飛び出し、まだ妻の死を知らないモリソンは、ジョイスに惹かれながらも自分を押さえていること、ビンビンと伝わってくるではないか。
中でも好きなのは、
「男は誰でも君と会ってるさ。夢の中でね」
という日本語字幕である。あんたは男にとっては夢の女だよ。誰だってあんたみたいな女を夢見るのさ。こんなとろけそうな一言をささやかれて燃えあがらない女性は、耳が遠いのか、感性にも肉体にも人にいえない大きな問題を抱えているか、のどちらかである。
脚本を書いたチャンドラーも、この台詞がすっかり気に入ったらしい。最後のシーンで、同じ台詞を繰り返させる。
モリソンもジョイスもいるところで、真犯人が分かる。事件はすべて解決し、モリソンと分かれて帰宅しようとするジョイスから会話が始まる。
ジョイス : | We seem to be saying goodbye again. Won’t be so difficult this time,I guess. (またさよならね。今度はつらくないでしょ) |
モリソン : | Last night when I made myself walk out on you,remember? I said “every guy’s seen you before,somewhere.” (「夢の中で君に会ってる」といったのを覚えてるか?) |
ジョイス : | I remember. (もちろん) |
モリソン : | But the tricks was to find you. (「男は誰でも」と) |
ジョイス : | I remember that,too. Do you think I’d even forget it? (覚えてるわ。忘れるわけない) |
このときはすでに、モリソンの妻ヘレンも、ジョイスの夫エディも死んでいる。2人を遮るものは何もない。2人は、初対面で交わした言葉を繰り返して、お互いの思いが変わっていないことを確認するのだ。
うーん、いいね、いいね!
私も一度でいいから、こんな台詞で決めてみたい!
でもなあ、この歳になると、雨に濡れて歩いていたら風邪をひいて肺炎になりそうだし、そもそも、ずぶぬれの中年男のそばで止まってくれる車はいそうにないし、よしんば止まってくれたとしても、老眼鏡がくもって相手の顔がはっきり見えるかどうか分からないし。
第一、最初の出会いで話したことを、次の出会いの時まで覚えていられるかどうか……。そう、加齢というのは、脳の記憶装置に、回復不可能なダメージを与えるのですよ。ああ……。
世の中には、どんなに努力しても、喉から手が出るほどほしくても、絶対に手に入らないものもある。
この映画を見ると、妙にしんみりと我が身の来し方行く末を考え込んでしまうのは、私だけでしょうか?
【メモ】
青い戦慄 (THE BLUE DAHLIA)
1946年、上映時間99分
監督:ジョージ・マーシャル George Marshall
脚本:レイモンド・チャンドラー Raymond Chandler
出演:アラン・ラッド Alan Ladd = ジョニー・モリソン
ヴェロニカ・レイク Veronica Lake = ジョイス・ハーウッド
ウィリアム・ベンディックス William Bendix = バズ
ハワード・ダ・シルヴァ Howard da Silva = エディ・ハワード
ドリス・ダウリング Doris Dowling = ヘレン・モリソン
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