08.27
#59 : 偽りの花園 - 魑魅魍魎の勝利(2005年11月25日)
天国。極楽。西方浄土。
善行を積めば、神を信じれば、南無阿弥陀仏と唱えれば、死後、そこへワープする。悲しみもない、苦しみもない、飢えもない世界。
そこへ行く資格がない私のような者は? 汝は地獄に堕ちる。舌を抜かれ、焼かれ、煮られ、干され、血を流す。阿鼻叫喚の世界に永遠に閉じこめられる。
さて、あなたはどっちを選びます?
と宗教家は問いかける。ま、いってみれば、宗教独特の、飴と鞭を使った普及策ではないか。脅しとすかし、といってもいい。さあ皆さん、だから清く正しい生活をしましょう。神を信じましょう。仏を称えましょう。我が宗派へどうぞ。
まあ、いい。いかなる商売にもキャッチコピーは必要である。現代マーケティング理論など存在しなかった太古から、キャッチコピーに気がつき、比較広告の有効性を知り抜いて使いこなしていたなんてところは、時代を超越した偉大な才能、アイデアマンの存在を感じさせる。
(謝罪)
ひょっとして、お読み頂いている方の中に宗教関係の方はいらっしゃいます? いらっしゃったら、お怒りを買うかもしれませんですなぁ。
「お前の宗教理解は浅薄である。悪魔の、閻魔大王の手先である」
なんて怒鳴りつけられますよね。 ま、そのあたりは、阿呆が阿呆なりに考えている、荒唐無稽な話としてお見逃しいただきたく存じます。
だけど、どうしてなんだろう。これまでに描き出された天国・極楽・西方浄土のイメージと地獄のイメージを比べると、地獄の方がはるかにリアルだ。
天国といえば、妙なる音楽が流れる。ビートルズやクラプトンはおろか、モーツアルトやベートーベンさえいない時代から流れている音楽って、さて、聞いて楽しいのかな? いや、私が敬愛するミュージシャンの音楽が流れているとしても、たまには静寂も欲しいはずだ。
天使が宙を舞い、優れた聖者が暮らしの心配などない、ストレス・フリーの暮らしをなさっている。その中に加えてもらうわけだが、だけど、何もしなくて安楽な暮らしができてしまうって、楽しい?
ちっとも楽しそうではない。行きたいとは思わない。
西方浄土といえば、蓮の上で皆さん、結跏趺坐されておる。ここにも妙なる音楽が流れる。アジア生まれの宗教だから、きっとアジア風の音楽なのだろう。私は好きではない。
建物も樹木も金銀宝珠というから、そこいら中で金銀や宝石がうなる。でも、それを拾っても交換価値はない。商品経済は西方浄土と無縁である。だとすれば、金銀は単なる金属で、宝珠は単なる石ころにすぎない。
スケスケルックの女性に取り巻かれているというが、いや、私は大好きだけど、でも、気が散る。煩悩に突き動かされて不埒な真似などしようものなら、いや、やってしまうに違いないのだが、たちどころに偉いさんに怒られてしまいそうである。なにせここは、清浄の世界なのだ。場合によっては地獄に突き落とされることもあろう。手を出せない薄衣の美女に取り囲まれるなんてのは、立派な拷問である。
こいつも、ちっとも魅力がない。
とにかく、人間が思い描く理想の園なんて、ろくなものではない。想像力の限界を思い知らされる
それに比べれば、地獄のイメージは強烈である。閻魔様に舌を抜かれる。冗談ではない。痛いではないか。それとも、麻酔をしてから抜いてくれるのか? 賽の河原で石積みをさせられる。目的がない労働ほど過酷なものはない。針地獄、血の池地獄、炎熱地獄、どれもこれもご免被りたい。逃げまどう我々を赤鬼、青鬼が追い回すというのも、なにやらいまの会社人生を思い出させてくれて辛い。
痛み、精神的拷問、呼吸困難、灼熱……。何としてでも避けたいものばかりだ。イメージが極めて具体的である。ここには、死んでも行きたくない。あ、死ななきゃ行かないところか。
茫漠たる天国・極楽・西方浄土像しか思い描けなかった人類が、どうして一方では、限りなくリアルな地獄像を作り上げてきたのだろう?
簡単だ。人の世に天国はなく、人の世に地獄は厳然として存在するからである。
地獄図は、この世の地獄を拡大すれば描ける。人類が舐めてきた辛酸を、いま目の前にある現実を、あるものはそのまま、あるものは膨らませて1つの世界像を作れば、立派な地獄になる。
天国・極楽・西方浄土は? これらは、この世の地獄の反対概念である。貧困、飢え、差別、虐待、どん欲、裏切り……、この世に悪は五万とある。その悪がない世界を天国・極楽・西方浄土と呼ぶから具体性がない。
「大きい」の反対語を「大きくない」、「小さい」の反対語を「小さくない」と書いたのでは、試験で○は貰えない。同じように、現世「ではない」ものしか描き出せなかったところに、天国・極楽・西方浄土の貧困さがある。
(謝罪)
先ほどの謝罪をもう一度繰り返しますです、はい。ごめんなさい。
「偽りの花園」は、この世の地獄の1つを見事に描いた。人の心の内に巣くう貪欲さという地獄である。
1900年の米国・南部の街。信託銀行を営むホレイス・ギデンズは従業員だけでなく、自宅で家事を任せている黒人奴隷からも慕われる人格者だ。いまは心臓を患い、自宅を遠く離れたボルチモアで入院中の身である。
悪妻の持ち主だったというソクラテスの昔から、人格が高潔なことと女を選ぶ目とは別物らしい。ホレイスの妻、レジーナは貪欲を絵に描いたような女だ。
レジーナの兄弟のベン、オスカーは、製紙工場を誘致して一儲けすることをたくらむ。だが、2人の有り金をすべてはたいても、まだ7万5000ドル足りない。その分の出資をレジーナに持ちかけた。それが始まりだった。
相手が兄弟でも、レジーナは抜け目がない。出資の見返りに割り増しの配当を要求する。オスカーの取り分の一部を自分に回せというのだ。私が出資しなければ成立しない話でしょ? だったら、それくらいの見返りは当然じゃない。オスカーの一人息子レオと、私の一人娘アレグザンドラが結婚すれば問題ないでしょ?
投資を決断する時期が迫った。レジーナの出資にはホレイスの承諾がいる。ホレイスがこよなく愛する一人娘、アレグザンドラを迎えに出した。
ホレイスは4時間おきに飲む薬と、激変時に飲む薬の2種類の薬を携えて戻ってきた。後者が水薬であったことが後に悲劇を生むのだが、当然、ホレイスはまだ知らない。
ホレイスが自宅に到着するのを待ち受けたかのようにベンとオスカーが訪れ、レジーナと3人で説得を始めた。
“Horace, I don’t like to worry you when you are tired. Ben has the very important business to talk over with you.”
(ホレイス、疲れているとき申し訳ないけど、ベンがどうしてもあなたと大事な仕事の話をしないといけないの)
自宅にやっとたどり着いた病弱の夫に一休みする暇も与えず、この仕打ち。欲にとりつかれたレジーナは、ホレイスが具合の悪さを訴えても一顧だにしない冷酷さを持ち合わせている。
説得は繰り返された。知事に賄賂を渡したから工業用水は問題ない。週給8ドルで労働者を雇っても、マサチューセッツより安い。それどころか、このあたりなら週給3ドルでもみな喜んで働く。こんな儲け話はない。
だが、ホレイスはどうしても首を縦に振らない。
「労働者を酷使する工場で金儲けして何が楽しい? 君らのような人間が社会を悪くするんだ」
ホレイスが認めなければ儲け話はフイである。いや、外から投資家を連れてくればいいのだが、欲の皮が突っ張った3兄妹は、利益の一部たりとも、ファミリーの外に流れ出すことは許せない。儲けは全部自分たちのものにする。そのためには、どうしても身内だけで全額を用意する必要がある。
ベンとオスカーは焦った。その時、頭の足りないレオが朗報をもたらした。ホレイスの信託銀行で働くレオは、ホレイスが銀行に、9万ドル分の債券を保管しているのを知っていたのだ。
レオ、でかした! 7万500ドル分盗み出してこい。なあに、しばらく借りるだけだ。工場が稼働すればすぐに返済する。気づかれるものか。これでレジーナの出資はいらない。儲けは2人のものだ。
役に立たなければ血を分けた兄妹でも捨て去る。貪欲さとは、非情なものだ。
だが、ホレイスはベンたちの盗みに気がついた。自分の死期を悟っている彼は、それをレジーナへの復讐に使う。盗まれた7万5000ドル分の債券だけをレジーナへの遺産とし、あとはすべて愛娘アレグザンドラに渡るよう遺言を書き換えたのだ。そしてレジーナにその事実を告げる。
結局は、製糸工場に出資することになったよ。
レジーナ: | What are you talking about? Haven’t seen Ben? Why did you change your mind? (何の話をしてるの? ベンに会わなかったの? どうして気持ちが変わったのよ?) |
ホレイス: | I didn’t change my mind. I hadn’t invested the money. It was invested for me. (私の気持ちは変わってない。私は投資していない。私に代わって誰かが投資したのだ) |
レジーナ: | What are you talking about? (何ですって?) |
ホレイス: | I had ninety thousands dollars Union Pacific Bond in this box in the bank. And they are not there now. Come an look. Only fifteen thousands dollars left. Seventy five thousands are gone. (私は銀行の貸金庫のこの箱に、9万ドルのユニオン・パシフィックの債券を持っていた。それがここにないんだ。こっちへ来て見てみたらどうだ。1万5000ドル分しかない。7万5000ドルが消えている) |
レジーナ: | Kind of a joke are you playing now? (何かの冗談なの?) |
君の7万5000ドルは、君の兄弟に貸しているわけだ。投資した金は利潤を生むが、貸した金は返ってくるだけ。残念だったな。
レジーナは激怒した。7万5000ドルは100万ドルにもなるはずだった。それが、たった7万5000ドルぽっち?
レジーナ: | Oh, I see. You are punishing me. I won’t let you punish me. If you won’t do anything about it. I will. (分かったわ。私を罰しようというのね。そんなことはさせない。あなたがそうしようとしても、私がなんとかする) |
ホレイス: | You won’t do anything, because you can’t. (君は何もしないのだよ。何もできないのだ) |
なぜなら、私が債券を彼らに貸したというからだ。そうすれば、お前には何もできまい?
その時である。ホレイスが突然の発作に襲われた。水薬を自分で飲もうとするが、手が震えて容器を倒してしまう。2階にもう1つある。レジーナ、取ってきてくれ!
レジーナは動かない。ホレイスが生きていたら、ホレイスが言った通りになる。それはイヤだ。死んでちょうだい!
彼女は苦しみ悶えるホレイスに、凍り付くような冷たい視線を投げるだけである。その夜、ホレイスは死んだ。
それから5分もたっていなかった。レジーナが動き出した。ホレイスの死を、債券を貸したとしゃべる前に息を引き取ったことを、自分の利益のために利用し始める。
ベン、オスカー、あなたたち、債券を盗み出したのよね。告訴しないでいてあげるから、私に工場の利益の75%をちょうだい。いやですって? じゃあ、盗みを通報するわ。刑務所に行けばいい。それでいいのね?
共謀、脅し、裏切り、悪用……。「偽りの花園」は金銭欲に駆られた人間たちが、身内同士で繰り広げる凄まじいまでの地獄図である。
欲に捕らわれた魑魅魍魎どもが踊る。心正しき人々が翻弄される。地獄を見る。
ホレイスは、間違った女を妻にした。ために、ついには非業の死を遂げる。
悶死の地獄。
オスカーの妻であるバーディは名家の娘であったために娶られただけ。家庭内では虐待され、酒で憂さを晴らす。いまでいえばキッチン・ドリンカーである。自分の腹を痛めた息子であるレオを愛することすらできない。愛するには、オスカーに似すぎている。
“I don’t like Leo. My very own son, and I don’t like him.”
(私、レオが嫌いなの。私がお腹を痛めて産んだ子なのに、彼が好きになれないの)
自分の子供を愛せない地獄。
アレグザンドラは、母の影響を受ける驕慢な少女だった。父を病院に迎えに行った帰り、父の疲れを少なくするためにホテルに投宿する。父を疲れさせてはいけないんだから、1階の部屋にしてちょうだい。あいにく、1階の部屋はふさがっておりますが。だったら、出ていってもらったらいいじゃないの。すぐにそうしなさい。
母レジーナ張りの嫌な女である。
そのアレグザンドラも地獄を見る。
愛する父を母が殺した。アレグザンドラは、最初に気がついてしまったのだ。
父は、2階に上る階段の途中で倒れていた。
アレグザンドラ: | What papa was doing on the staircase? (パパは階段で何をしていたの?) |
レジーナ: | Go and rest. Alexandora. (もうお休みなさい、アレグザンドラ) |
アレグザンドラ: | I wanna talk to you, mama. (ママと話がしたいの) |
レジーナ: | Not now. (いまはダメよ) |
アレグザンドラ: | I’ll wait. I’ve plenty time. (待つわ。時間ならいっぱいある) |
おかしい。母はおかしい。疑う。やがて確信に変わる。そして……、
レジーナ: | Would you like to talk with me, Alexandora? Would you like to sleep in my room tonight? (私と話がしたいの、アレグザンドラ? 今晩、私の部屋で一緒に寝る?) |
と持ちかける母親に対して言い放つのである。
アレグザンドラ: | Why, mama? Are you afraid? (どうして、ママ? 恐いの?) |
あなた、パパを殺したのね! 辛辣な一言が地を切り裂いた。アレグザンドラは突然全てを悟ってしまった。
アレグザンドラ: | I’m going away from you. Because I want to. Because my papa want me to. (私、出ていく。そうしたいからよ。パパが私にそうして欲しいと思っているからよ) |
と言い残して、恋人デイビッドとともに家を出る。魑魅魍魎の予備軍であった少女が、一気にワープして地獄を脱出する。この映画の唯一の救いだ。それまでこわばっていた肩の力が、スッと抜ける。
肩の力は抜けた。では、それで気分が晴れるだろうか? 勧善懲悪の物語を見たあとのような高揚感を感じ取れるだろうか? 私の場合、何度見ても気分は晴れない。
善と悪が単純に分離されている映画の多くは、最後に善が勝つ。やっぱり、悪者、卑しい者、欲深い者は破滅する。正義は不滅である。一種のお約束である。
だが、「偽りの花園」で、善は勝たない。ただ、逃げ出すだけである。
善が姿を消した偽りの花園では、レジーナ、ベン、オスカーが欲深き闘争を繰り広げるはずだ。誰が勝とうと負けようと、様々な駆け引きのあとで3人にどのような妥協が成立しようと、3人は富を手に入れ、豊かな我が世の春を謳歌するのは疑いない。報い? 3人にいずれ訪れるかもしない。訪れないかもしれない。
一方、逃げ出したアレグザンドラには、あの母の血をひいていること、正面切って戦わずに逃げ出してしまったことが、トラウマとなって生涯残る。
アレグザンドラのワープでカタルシスを感じながらも、よくよく考えると、勝者は偽りの花園を離れない3人なのである。
脚本のリリアン・ヘルマンとウィリアム・ワイラー監督は、勝利を悪の側に与えて映画の幕を閉じる。現実を見れば、自分の心の奥底をのぞき込めば、この映画をハッピーエンドで終わらせては、嘘をつくことになる。この映画には、人間に信頼を寄せられなくなった2人の、深い絶望が埋め込まれているように見えてならない。 あんたたち、とんでもないペシミストやなあと、できれば笑い飛ばしたい。だが、どうしても笑い飛ばせない絶望である。
我が敬愛するJohn Lennonは歌った。
Imagine no possessions | 自分のものなんて何もないのさ |
I wonder if you can, | そんな風に思えないか? |
No need for greed or hunger, | 強欲も飢餓も無縁さ |
A brotherhood of man, | 人をつなぐのは兄弟愛 |
Imagine all the people | ほら、想像してみろよ。すべての人が |
Sharing all the world… | 世界を分け合ってるって |
You may say I’m a dreamer, | 夢想家だっていうのかい |
but I’m not the only one, | でも、僕はひとりぼっちじゃない |
I hope some day you’ll join us, | 君も仲間になれよ |
And the world will live as one. | そうすりゃ世界は1つになるんだ |
(かの名曲「Imagine」より)
John Lennonよ、お前さん、やっぱり単なる夢想家か?
いつになったら、そんな世界が来るのかねえ。私の中にも、レジーナ、ベン、オスカーは立派に住み着いているもんなあ……。
【メモ】
偽りの花園 (THE LITTLE FOXES)
1954年8月公開、上映時間116分
監督:ウィリアム・ワイラー William Wyler
出演:ベティ・デイヴィス Bette Davis = レジーナ
ハーバート・マーシャル Herbert Marshall = ホレイス
テレサ・ライト Teresa Wright = アレグザンドラ
リチャード・カールソン Richard Carlson = デイヴィッド
パトリシア・コリンジ Patricia Collinge = バーディ
ダン・デュリエ Dan Duryea = レオ
チャールズ・ディングル Charles Dingle = ベン
カール・ベントン・リード Carl Benton Reid = オスカー
アイキャッチ画像の版権は大映にあります。お借りしました。