09.06
#79 オール・ザ・キングスメン ― ニヒリズムの極地(2007年8月26日)
大学は法学部を目指した。社会は2科目選択である。日本史と世界史を選んだ。
味気ない暗記作業に励んだ。作業に励みながら、いくつか
「何で?」
といいたくなる謎にぶつかった。例えば――。
ローマ帝国が突然キリスト教国家になっちゃった。始まりは皇帝コンスタンティヌスである。紀元313年、ミラノ勅令を発してキリスト教を公認したのだ。仕上げは皇帝テオドシウスで、391年に国教とする。
おいおい、ちょっと待てよ。キリストを迫害して磔にしたのはローマ帝国だったじゃない。そりゃあ、キリストの血はもう乾いていたかもしれないけど、どうしてそうなるわけ?
皇帝だけではない。ローマ帝国の市民諸君、あなたたちはずっと、ユピテル、アポロ、ミネルバといった多くの神々と仲良くしてきた。なのに、どうして唯一神を担ぐキリスト教に鞍替えするのか?
だって、ローマの神々はおおらかじゃないか。主神ユピテルは愛人を何人も持つ果報者だし、その妻ユノは旦那の浮気でヒステリーを起こしちゃう。あなた方だって、同じような暮らしを享受し続けたはずだ。
キリスト教って姦淫を絶対許さないんだよ。仕方なく我慢してると、情欲を抱いて女を見る者は心の中ですでに姦淫をしたものだ、なんて突っ込んでくる。健康な男子なら仕方がないじゃないか、などという言い訳は通らないのだよ。心理的サディズムにも似た厳しい宗教。諸君は何故に禁欲主義者となりしか。
ローマ帝国がキリスト教を国境にした悪影響は後世にまで残る。
もし、国教になっていなかったら――。
現地の人々にとっては天災でしかなかった十字軍はなかった。私は暗記項目が減った。
中世の魔女狩りも異端審問もなかった。私は暗記項目が減った。
宗教改革は起きなかった。私は暗記項目が減った。
ユグノー戦争、30年戦争など宗教戦争はなく、ヨーロッパは平和だった。私は暗記項目が減った。
現代アイルランドは平和な国だった(「シネマらかす #51 : ブラディ・サンデー - テロルの土壌」をご参照ください)。私は暗記項目が減った。
ガリレオ・ガリレイは
「それでも地球は動く」
と呟かずに済んだ。地球はもっと早くから太陽の周りを回っていた。従って、暗記項目が減った。
塩野七生さんの「ローマ人の物語13 最後の努力」(新潮社)を読んだ。
キリスト教世界でコンスタンティヌスは大帝と呼ばれる。キリスト教興隆への大いなる貢献を評価されてのことである。
彼はローマ軍の将軍と居酒屋の娘の間にできた。たいした出自ではない。ところが親父が、当時東西に分けて統治されていたローマ帝国の、西側の正帝にまで上り詰めた。才覚もあったろう。だが、そのようなことが起きうるまでに、帝政末期のローマからは秩序が失われていた。
親父が死んだ。親父が率いていた軍団が息子のコンスタンティヌスを後継者に押した。何のことはない。彼がローマ帝国のトップに上り詰めたのは親父の七光りなのだ。
才覚は彼にも受け継がれたらしい。コンスタンティヌスは、なんだかんだとやってるうちに全ローマ帝国の再統合を実現、唯一の皇帝になる。彼がキリスト教を公認したのは、その12年前のことだ。
塩野七生さんによると、当時のキリスト教は取るに足りない、ちっぽけな宗教団体だった。ローマ帝国内での普及率は5%以下である。日本における創価学会の半分程度の存在でしかない。
それにコンスタンティヌス自身は死の直前まで洗礼を受けなかった。
信じてもいない、それほど力を持っていたとも思えないキリスト教に、どうして皇帝として肩入れしたのか?
ローマ皇帝の権力の源泉はローマ市民と元老院だった。そして任期は終身だった。帝政末期になると、この2つが矛盾を起こす。元老員、市民の意向に添わなくなった皇帝はどうすればいいか? 死ぬまで我慢を続けるか? 彼らは我慢しなかった。殺したのである。3世紀になると次々に皇帝が殺された。政局不安が国家の弱体化を進めた。
これではいかん。コンスタンティヌスは考えた。殺されるのはいやだ。帝国の弱体化も困る。何か方策はないものか?
混迷の原因は権力の源泉が人であることだ。権力の源泉を人から奪い、人が触れられないものに置き換える。
長年付き合ってきたローマの神々は愉快な奴らだが、威厳に欠ける。愛人を作って女房に嫉妬されていたのでは、羨ましがられることはあっても崇拝はされない。だが、キリスト教なら? 聞けばキリスト教は、唯一至高の神を信じる。統治、支配の権力を皇帝に与えるのが唯一至高の神なら、人は皇帝権力に指一本触れることができない。
政治家として至極真っ当な論理である。こうして、キリスト教会がすべての権力の頂点に立つ中世の幕が開いた。後に「神」が暴虐をふるい始めることまで、コンスタンティヌスが覚悟したかどうかはわからないが。
神がすべての上に立つシステムも人を幸せにするものではなかったことは、歴史が雄弁に物語る。だから人々は権力の源泉を神の手から取り戻す戦いに立ち上がる。民主主義は、清教徒革命、アメリカ独立革命、フランス革命などで流れた血の上に築き上げられた。
それからずいぶん時間がたった。そして、また思う。人間というものは、人民の、人民による、人民のための政治をちゃんと運用していく能力を備えているのか?
「オール・ザ・キングスメン」の主人公、ウィリー・スタークが多少知られたのは、カノマ郡の財務担当官選挙に立候補したからだ。彼は郡の不正が許せなかった。正そうと決意した。小学校も出ていないウィリーは正直な正義感である。
だが、地盤もカバンも看板もない新人が当選できるほど選挙は甘くはない。見事に落選したウィリーは方向を変え、こつこつと勉強を重ねて弁護士になった。社会の底辺に置き去りにされている弱者を助ける正義の弁護士が生まれた。
小学校の避難訓練で事故が起きる。非常階段が子供たちの重みに耐えきれず落下、たくさんの犠牲者が出たのだ。ウィリーが不正を指摘していた改修工事でできた階段だった。多くの人がウィリーの主張を思い出した。
ウィリーを思い出したのは大衆だけではなかった。この事故で再選が危うくなった州知事は、ウィリーを知事選に出馬させる。後継候補、ではない。ウィリーが立てば、現職知事批判票が2つに割れ、自分が当選すると踏んだのだ。
事情を知らぬウィリーは意気込んだ。今度こそ当選する。大衆のための政治を確立する。だが、選挙対策本部は現職知事の取り巻きが固めた。沸き立っているウィリー人気を沈静させるのが彼らの役割である。
ウィリー、演説の要諦は facts and figures だ。淡々と事実と数字を語れ。
事実と数字。現代日本でも、国会での官僚答弁は退屈だ。有権者も退屈した。
(余談)
ふんだんに数字を散りばめた演説で聴衆を惹きつけた故田中角栄氏は、やっぱり天才だったか。
取材でウィリーに同行していたクロニクルの記者、ジャック・バーデンは我慢ができなくなった。郡の財務担当官に立候補したときから取材している。この男は正義感だ。この男を当選させたい。腐敗しきった州の政治を変えたい。なのに、この男は利用されていることすら知らない。ジャックも正義感なのだ。
まず、目を覚まさないといけない。あんたは現職批判票を割るための当て馬なんだ、と事実を告げた。それだけにとどまらず、ブン屋として出過ぎた真似をした。
ジャック: | All right, Willie. Look, you tell ‘em too much. Just tell ‘em you’re gonna soak the fat boys and forget the rest of the tax staff. (いいか、ウィリー。あんたはしゃべりすぎだ。金持ち連中をやっつけてやるといいさえすればいいんだ。税金問題なんか忘れちまいな) |
大衆の心をとらえる演説法の指南である。
だが、ウィリーは荒れた。あおるように酒を飲んで酔いつぶれた。
翌日は遊園地での演説会だった。酔いが残っていた。現職知事にまんまと利用された憤りがあった。どうせ当選できないのなら、との開き直りもあった。
ウィリーは取り巻きが書いた原稿を捨てた。思いの丈を聴衆にぶつけた。飾りのない生の言葉に大衆は酔った。我らが仲間、俺たちの代表ウィリーを知事に! 波は全州に広がった。現職を猛追した。
だが、僅差で負けた。結果がわかると、ウィリーはジャックたちがたむろする飲み屋に顔を出した。惜しかったな、気分はどうだ?
ウィリー: | I feel fine. You know, Jack, I’ve learned something. (いい気分さ。ジャック、俺は得るものがあった) |
ジャック: | Now, what? (いったい何だい?) |
ウィリー: | How to win. (勝ち方さ) |
4年後。ジャックにウィリーからのお呼びがかかった。知事選の参謀になってくれ。ジャックは前回の選挙の際、ウィリーを支持する記事を握りつぶされてクロニクルを辞めていた。一も二もなく引き受けた。
だが、久々に見るウィリーは別人だった。
農民層の支持は厚い。だが、それだけでは選挙は危うい。
セイディ、ダフィ、ピルズベリーを側近に抱え込んでいた。4年前は現職知事の取り巻きで、権力のおこぼれに預かっていた連中だ。
選挙事務所にはいかがわしい連中が出入りしていた。今回は最有力候補だ。黙っていても、取り入ろうという連中が集まる。権力は利権の臭いがプンプンするのだ。ほんの少し約束する。金はいくらでも集まる。その金を惜しげもなく選挙運動につぎ込む。
ウィリーは、How to win を実行していた。
圧勝した。ウィリー時代の幕が開いた。ウィリーはすぐに動いた。
役所から古い職員を一掃した。
道路を造った。農産物の出荷を楽にするためだ。
学校を建設した。貧農の子供にも教育の機会を与える。
農業には水がいる。ダムの建設にも着手した。
治療費タダの大病院の建設に着手した。
貧者を課税対象から外した。
正義の人、弱者の味方。ウィリー知事の人気は沸騰した。
だが How to win を身につけたウィリーは、かつてのウィリーではなかった。選挙戦の中で、ジャックの人脈をたどって有力者の抱き込みを図ったウィリーは、ジャックの質問に答えていう。
ウィリー: | Do you know what good comes out of? Out of bad. That’s what good comes out of. Because you can’t make it out of anything else. You didn’t know that, did you? (良きものがどこから生まれるか知ってるかね? 悪から生まれるのさ。悪が良きものの源泉なのだ。ほかものもからは良きものは生まれない。知らなかったろう?) |
知事ウィリーの周りには、常に悪の臭いがあった。
知事公邸では、州内の有力者を招いたパーティを日々催した。
金の力でマスコミを従えた。
新聞記者出身のジャックに政敵や有力者の弱みを探らせた。
着々と手を打った。いまやウィリー帝国は盤石である。だから、女好きの本性が現れた。秘書のセイディを愛人にした。シカゴにもセントルイスにも、ウィリーを待つ女がいた。ウィリーは帝王になった。
大きな悪が自分1人で実行できるなら、露見する恐れはない。だが、大きな悪には仲間、手下が必要だ。だから、秘すべきものやがて露見する。
ピルズベリーが助成金を着服した。辞表を書かせてもみ消した。だが、計算違いが1つだけ生まれた。検事総長のスタントンがこの事実を知り、怒って辞任したのだ。スタントンは正義の人として名高い。選挙戦のさなかにジャックの縁で抱き込み、当選後すぐに検事総長のポストに就けていたのだ。
正義の人は不正と戦う。司法で裁けないのなら、ほかにも手がある。もみ消しの事実を新聞にぶちまけたのだ。州議会はウィリー弾劾に動き出した。なんとか大衆の人気を後ろ盾に乗り切った。
いかん。スタントンは危険だ。スタントンの弱みを探れ。ウィリーはジャックに命じた。
次は養子のトムだった。泥酔運転で事故を起こし、同乗していた女性が死んだ。ウィリーは警察に手を回し、飲酒運転をもみ消す。
それで一件落着のはずだった。ところがウィリーの面前で、亡くなった女性の父ベイルに、トムが飲酒運転を認めて謝罪した。ぶちこわしである。
トムは、尊敬していた義父ウィリーの変節が許せなかったのだ。自暴自棄の暮らしぶりも、元はといえばウィリーへの反発である。
ウィリーは慌てた。おもわず、How to win が顔をのぞかせた。
ウィリー: | The man in the tracking business had a contract with a state, big one. That will be pretty good, won’t it? (運送業務で州と契約を交わす。でかいやつだ。いいと思わないか?) |
運送業を営むベイルへの、露骨な買収提案だった。だが、ベイルきっぱりという。
ベイル: | I remember when you first started talking, in a place called Upton. You did a lot of talking then and the things you said made sense to me and a lot of other people. I believed in you, I followed you and I fought for you. Well, the words are still good, but you are not. And I don’t believe you ever were. (あなたが初めて演説されたのを覚えています。アップトンというところでした。あなたはいっぱい話された。聞いているうちに、もっともだと思うようになった。私だけじゃないですぜ。私はあなたを信じた。あなたを支持し、あなたのために動いた。はい、いまでもお話はすばらしい。でも、あなたは違う。もうあなたを信じない) |
こいつもスタントンと同じだ。放ってはおけない。ウィリーはある手を打った。
ウィリーが2期目に向けた選挙運動を始めた。マスコミを引き連れ、ほとんど戻ったことがない家族のもとへ行った。良き息子、良き父、良き夫、良き家庭人の演出である。父にはラジオを土産にした。使い方を教えようとした。臨時ニュースが流れ出した。
We interrupt this program to bring you a special announcement. This afternoon, the body of Richard Hale, father of the girl who died in the automobile accident involving the Governor’s son, was found. A medical examination revealed that he was beaten to death. The ugly charge of official murder has been hurled at the administration by a coalition of Stark’s opponents led by Judge Stanton, lately an outspoken critic of the administration. Thus, an almost forgotten incident provided the spark that might set off the explosion needed to rock Willie Stark out of power. The latest report is that impeachment proceedings may be instituted…
(放送を中断して臨時ニュースをお伝えします。今日午後、知事の子息が絡んだ交通事故でなくなった少女の父、リチャード・ヘイルさんが遺体で発見されました。検死の結果、殴り殺されたと見られています。このところ州政府に対する批判の声を強めているスタントン元判事率いるスターク知事反対派は、公による殺人だと州政府への批判の声を上げています。遺体の発見で、ほとんど忘れ去られていた事故が、ウィリー・スターク知事の立場を危うくすることになりました。最新の情報によりますと、現在訴訟が準備されており……)
これが「ある手」の結果だった。絶体絶命のピンチだ。
ジャック、スタントンの弱みはまだ見つからないのか?
必死の延命工作が始まった……。
監督・脚本のロバート・ロッセンは元共産党員である。彼の時代、アメリカの共産主義者は理想主義者と読み替えても、それほど違和感はない。と思う。断固として貧しい者、虐げられた者への側に立つ。John Lennon風に表現すれば、Power To The Peopleを実践する。
共産主義者は、本来楽観主義者のはずである。彼らが信奉するカール・マルクスによると、資本主義社会は共産主義社会へ移行する。それが歴史の必然だ。未来は、いま搾取を受け、抑圧されている労働者大衆のものなのだ。これほど明るい未来があろうか!
だが、この映画を見る限り、ロッセン監督が楽観主義者とは思えない。この作品には希望の芽がない。あるのは、政治と人に対する深い絶望である。ロッセン監督、本当はニヒリストなのか?
ウィリーは労働者大衆の中から生まれたヒーローだ。貧農の出で、満足に学校に通えなかった。暮らしが安定したので周りを見ると、かつての自分と同じ大衆がたくさんいる。権力者にだまされ搾り取られる人々だ。何とかしたい。だから政治を志した。
大衆を味方につけた。権力を握った。さて、これから資本家と、資本家と手を結んだ政治家、官僚をグチャグチャにやっつけてやる。という具合に話が進めば、楽観主義の物語である。でもウィリーは、資本家と手を結び、私事で権力を乱用し、私腹を肥やしもする。何のことはない、ミイラ取りがミイラになるのだ。道路もダムも学校も病院も、支持の見返りとして、あるいは支持をつなぎ止める手段として大衆に投げ与える餌でしかない。
ウィリーというアンチ・ヒーローは、決して共産主義的楽観主義の産物ではない。
そもそもロッセン監督は、民主主義という政治制度も全く信じない。民主制度には、有権者が選んだ代表者に問題があれば、その地位から引きずりおろす仕組みがビルトインされている。それが選挙である。
だけど、最悪の指導者を持ったら、そんなものが機能するか? ロッセン監督はそう主張するのだ。
ウィリー知事が殺人に関与した疑いが濃厚になった。解任動議は州議会を通る勢いだ。
ウィリーは猛然と反抗に出る。
貧農たちを煽った。デモを組織した。議会を人民の波で十重二十重に取り囲め。議会の連中は、君たちと共に歩むこの私が邪魔なのだ。我々の力を見せてやろうではないか
さあ、どうだ。これだけの大衆がウィリーを支持している。それでも私を解任できるか? これだけの大衆を敵に回すのか?
そしてとうとう、ジャックがスタントン判事の遠い過去の汚点を探り出した。忘却の彼方にあった古傷を突きつけられたスタントン判事は恥じ、自ら死を選ぶ。
議会の腰が砕けた。解任動議は否決される。ウィリーの、悪の勝利である。
勝利を手にしたウィリーは、議会を取り囲む大衆に向かって演説をぶった。
ウィリー: | They tried to ruin me but they are ruined. They tried to ruin me, because they did not like what I have done. Do you like what I have done? Remember, it is not I who have won, but you. Your will is my strength, and your need is my justice, and I shall live in your right and your will. And if any man tries to stop me from fulfilling that right and that will, I’ll break him. I’ll break him with my bare hands, for I have the strength of many. (奴らは私をつぶそうとした。だがつぶれたのは奴らの方だ。奴らは私がやったことが気にくわなくて私をつぶそうとした。皆さんは私のやったことを評価してくれますか? これだけは記憶してほしい。今回勝利したのは私ではない。皆さんなのです。皆さんの意志が私の力であり、皆さんの求めるものが私の正義なのです。私は皆さんの権利と意志のために生きます。皆さんの権利と意志を実現するのを妨げる者がいたら、私がたたきつぶします。私がこの手でたたきつぶしてやる。私は多くの人々に力を与えられているのです) |
美しい。だが、どれほど美しくても、これは扇動である。民主主義がこのような形を取った時、衆愚政治と呼ぶ。民主主義は、衆愚政治に堕する危険と常に隣り合わせだ。
それは、権力の源泉の地位から追い払われた神の復讐なのか……。
(ひとりごと)
ねえ、異様に高い支持率を背景に好き勝手をやった首相をいただいていたあの国は、民主主義社会だったのか、それとも衆愚政治に陥っていたのか? あなた、どう判断します?
州民が衆愚政治から抜け出したのは、この印象的な演説の直後である。
州議会が再開され、今度は解任動議が可決されたのか? 違う。
ウィリーが演説の直後に失言し、大衆が夢から覚めたのか? 違う。
ウィリーに変わる新しいヒーローが現れ、大衆が鞍替えしたのか? 違う。
衆愚政治の幕を閉じたのは2発の銃弾だった。引き金を引いたのは、自殺したスタントン判事の甥である。衆愚政治に幕を引いたのは、殺人だった。
民主主義は、人類の歴史で最後に生き残った政治システムだ。だから、これまで経験したほかのシステムより優れているはずである。でも、何のことはない。そんな制度でも、行き詰まった時に有効なのは暴力だけだとしたら、困り者の皇帝を次々と殺した3世紀のローマと何が違うのか? 1700年もの時間がありながら、人類は少しも成長していないのか?
ロッセン監督が描いたのは、そんな世界である。これをニヒリズムと呼ぶことを、私は躊躇しない。
それにしてもロッセン監督は、なんでそんなに絶望したのか? 以下は、私の勘ぐりである。ま、ニヒリズムの作品と断定するのも、勘ぐりといえば勘ぐりには違いないが。
この映画が作られた1949年、ハリウッドは赤狩りに直面していた。アメリカ合衆国下院非米活動調査委員会(HUAC=The House of Committee on Un-American Activities)が映画人喚問を始めたのは1947年のことだ。
1951年にはロッセン監督も召還された。だが彼は証言を拒否し、ために業界を追放された。公開後、評価も興行成績も良く、アカデミー賞7部門にノミネートされたこの映画だったのに、彼は監督賞を逃す。
ロッセン監督は、迫りくる赤狩りへの怒りに身を焦がしながら脚本を書き、メガホンを持ったに違いない。その怒りは、仲間を裏切って共産主義に同調する映画人の名前を臆面もなくしゃべり、我が身の安泰を図った連中にも向けられていたはずだ。
ウィリーは、そうした裏切り者たちの象徴である。
ロッセン監督は、現職知事の策謀を知って大衆の前に立った当て馬候補、ウィリーに感動的な演説をさせる。長くなるが、主要部分を全文引用する。
ウィリー: | My friends. My friends, I have a speech here. It’s a speech about what this state needs. There’s no need in my telling you what this state needs. You are the state, you know what you need. You over there, look at your pants. Have they got holes in the knees? Listen to your stomach. Did you ever hear it rumble for hunger? And you, what about your crops? Did they ever rot in the field because the road was so bad you couldn’t get ‘em to market? And you, what about your kids? Are they growing up ignorant as dirt,, ignorant as you ‘cause there’s no school for ‘em? No, I’m not gonna read you any speech. But I am gonna tell you a story. It’s a funny story so get ready to laugh…. get ready to bust your sides laughin’, ‘cause it’s sure funny story. It’s about a hick. A hick like you, if you please. Yeah, like you. He grew up on the dirt roads and the gully washes of a firm. He knew what it was to get up before dawn and get feed and slop and milk before breakfast, and then set out before sunup and walk six miles to a one-room, slab-sided schoolhouse. Aw, this hick knew what it was to be a hick, all right. He figured if he was gonna get anything done, well, he had to do it himself. So he sat up nights and studied books. He studied law, because he thought he might be able to change things some - for himself and for folks like him. Now I’m not gonna lie to you. He didn’t start off thinkin’ about the hicks and all the wonderful things he was gonna do for ‘em. No, no, he’s done it all thinkin’ of number one. But something came to him on the way. How he could do nothing without the help of the people, that’s what came to him. And it also came to him with the powerful force of God’s own lightning back in his own country when the school building collapsed ‘cause it was built of politics’ rotten brick. It killed and mangled a dozen kids. But you know the story. The people were his friends because he’d fought that rotten brick. And some of the politicians down in the city, they knew that, so they rode up to his house in a big, fine, shiny car and said as how they wanted him to run for governor…. And he swallowed it. He looked in his heart and he thought, in all humility, how he’d like to try and change things. He was just a country boy who thought that even the plainest, poorest man can be governor if his fellow citizens find that he’s got the staff for the job. All those fellows in the striped pants, they saw that hick and they took him in…. (皆さん、原稿を用意した。この州に何が必要か、という話だ。だが、この州に何が必要かを話す必要はない。皆さんが州であり、君たちが必要なものは君たちが一番よくわかっているからだ。そこの君、ズボンを見てみなさい。膝に穴が開いてないか? 腹ぺこで胃がグウグウ鳴いたことはなかったか? こっちの君、道が悪くて収穫物を市場に出せず、畑で腐らせたことはないか? そして君、通える学校がない君の子供たちは泥みたいに無知のままじゃないか? いや、もう原稿を読むのはやめる。でも、これから1つのお話をしよう。面白い話だ。笑っていい。隣で笑う奴をぶん殴ってもいい。本当に面白い話なんだ。田舎者の話、君たちのような田舎者の話なんだ。彼は農場の汚い道と溝の中でで育った。夜明け前に起き、朝飯前に家畜に餌をやり、作業着を身につけ、ミルクを絞った。6マイル離れた板壁の、たった1つしか教室がない学校に出かけるのも日の出前だ。この田舎者は、自分の立場がわかっていた。何かするには、自分でやる。だから、夜は本を読んだ。法律を勉強した。自分と、自分と同じような人たちのために何かをしたかった。いや、嘘はやめよう。最初から田舎者に役立とうと思ったんじゃない。そう、自分がトップになりたかったんだ。だが、突然わかった。みんなの助けがなければ何もできない、ってことが。政治家が腐らせた煉瓦のためにふるさとの小学校が崩れ落ちた。その時、神の啓示を受けた。12人の子供たちが押しつぶされ、殺されたんだが、この話は皆さんも知ってるはずだ。彼は腐った煉瓦を告発していた。だからみんながいい奴だと思った。街の何人かの政治家も彼を思い出した。でっかい、ピカピカの高級車で彼の家に乗り付け、知事選に担ぎ出した。彼は乗った。世の中を変えるチャンスだと思ったんだ。一番素朴で貧しい人間でも、もし皆が、奴には知事になる能力があると思えば知事になれる。そう考えたんだ。だが、ストライプ入りのズボンをはいた連中は、その田舎者を利用する腹だった……) Now, listen to me, you hicks. Yeah, you’re hicks, too, and they fooled you a thousand times, just like they fooled me. But this time, I’m gonna fool somebody. I’m gonna stay in this race. I’m on my own and I’m out for blood. Now listen to me, you hicks! Listen to me, and lift up your eyes and look at God’s blessed and unfly – blown truth. And this is the truth. You’re a hick, and nobody ever helped a hick but hick himself! I’m the hick they were gonna use to split the hick vote. Well, I’m standing here on my hind legs. Even a dog can learn to do that. Are you standing on your hind legs? Have you learned to do that much yet? (聞いてくれ、田舎者。そうなんだ、君たちも田舎者だ。そして奴らは1000回もあんたたちをだましてきた。俺をだましたように、だ。だが、もう終わりだ。今度は俺がだましてやる。俺は選挙戦を続ける。目にもの見せてやる。聞け、田舎者、目ん玉をひん剥いて 真実を見るんだ。あんたたちは田舎者で、自分でやらない限り誰も田舎者を助けちゃくれない。これが真実だ。俺は田舎者で、奴らは田舎者の票を割るために俺を利用した。いいとも、俺は自分の足で立つ。犬だって自分の足で立てるじゃないか。あんたたちは自分の足で立ってるか? その程度のことは学んだのか?) |
ウィリーの口を借りたロッセン監督のメッセージである。ロッセン監督も貧困家庭の出である。
富と貧困、独裁と民主主義、ブルジョア民主主義とプロレタリア民主主義、革命と暴力、能力に応じて働き、必要に応じて消費する共産社会……。そうした夢を、希望を語り合ってきたはずのハリウッドの同志たちが次々と転ぶ。
ロッセン監督は誰も信じられなくなった。何も信じられなくなった。主義・主張の空しさを噛みしめる。残された道はニヒリストになることぐらいではないか?
この映画は、政治の魔性を描いた、などという低い地平に存在するものではない。
それなのに。
それから間もない1953年、ロッセン監督自身はHUACの協力証言者となり、「アカ」の映画人名を挙げて業界に復帰した。あ~ぁ。
この映画を見ちゃった私は、私たちはどうすればいいのか?
よーし、ここは思い切って、いっちょニヒってやるか! ロッセン監督を超えるニヒリストを目指すか!!
でもなあ、ニヒリストってヤツは、痩せていて顔色が青白く、長い髪が顔の半分を覆っていて、いつも焦点の定まらない目で下から人を見上げ、何かというと冷たい笑みを浮かべる。
体重がなかなか80kgを切らず、今日も酒がうまく、やや血圧が高く、床屋では
「夏は暑いから短めにしておいて」
と注文し、正面から相手を見据え、声高に論駁し、娘が子供を連れてやってくると、まず最初に抱き上げてしまう暮らしに慣れてしまった私である。
ニヒリストになる道は遠いと断言せざるを得ない。だったら……。
【メモ】
オール・ザ・キングスメン(ALL THE KING’S MEN)
1949年、109分
監督・脚本:ロバート・ロッセン Robert Rossen
出演:ブローデリック・クロウフォード Broderick Crawford=ウィリー・スターク
マーセデス・マッケンブリッジ Mercedes McCambridge=セイディ
ジョアン・ドルー Joanne Dru=アン
アン・シーモア Anne Seymour=ルーシー
ジョン・デレク John Derek=トム
ジョン・アイアランド John Ireland=ジャック・バーデン
シェパード・ストラドウィック Shepperd Strudwick=アダム・スタントン
アイキャッチ画像の版権はコロンビア映画にあります。お借りしました。