2017
09.06

2017年9月6日 自動運転その後

らかす日誌

昨日、前橋の群馬大学荒牧キャンパスまで遠出してきた。

群馬大学次世代モビリティオープンイノベーション競技会

の設立総会に顔を出してきた。

横道にそれるが、私はどうも、カタカナ語が嫌いだ。できることなら、あらゆることを美しい和語で表現したい。それが無理でも、せめて漢語にとどめたい。
カタカナの発明で、欧米の新しい概念をさほど無理せずに受け入れることができたのが、明治以降の日本が急速に近代化できた要因の一つであることは、私も充分に承知している。それができない中国が、近代化に大きく後れを取ったのにくらべて、日本語の多様性を誇りたくもなる。

だが、最近のカタカナ語の使われ方は野放図すぎる。欧米生まれの新しい概念を日本語にする努力を尽くすことなく、何でもかんでもカタカナにして済まそうとする。あるいは、

「こんなことまで知っているぞ!」

と自慢するためにカタカナ語を使ってみせる。仕事をアサイン(割り振ること)され、その仕事のアジェンダ(計画)をiPhoneのカレンダーに登録する。とりあえずアポ(面会時間の予約)を入れ、提示すべきイシュー(課題)をまとめておく‥‥。
エリートと呼ばれる連中(これもカタカナ語ではありますが、どうにも代わりの言葉を思いつかなくて。精鋭とか勝ち組とかでは表せないニュアンスがありますのでねえ)に多く見られる性行である。

とはおもうが、この協議会の名前は私が付けたのではないから致し方ない。

次世代移動手段の技術革新を進める公開協議会

では、何となく勢いがつかない感じもするし‥・。

ま、それはそれとして、だ。とにかく参加してきた。

話は、今月1日午前1時過ぎに起きた、自動運転車の事故の話から始まった。
群馬大学の自動運転車がガードレールにぶつかる事故を起こした。なんでも、実験車両を自動運転モードに切り替えたとたん、ハンドルが左に切れすぎてガードレール(防御柵?)に衝突したのだという。

大学側からしてみたら、実にタイミングの悪い事故であったろう。だが、事故については丁寧な説明があった。それについての質疑応答もあった。きつい質問もあったが、実は私は、この事故をたいして問題視していない。

だって、事故を起こしたのは研究・開発中の自動運転システム(これにも、適当な和語、漢語はありませんなあ)を乗せた車である。システムが開発途上だから、万が一車がおかしな挙動をしても大きな事故にならないよう、午前1時過ぎという、人通りが絶えた時間を選んで走らせたのである。いわば、想定範囲内の出来事である。まったく事故を起こす恐れがないほどにシステムが完成しているのなら、さっさと実用化すればいいわけで、研究も開発も不要であるはずだ。

それに、事故を起こしてくれたがために分かることがたくさんある。事故が起きれば起きるほど、システムは完成度を高める。それが研究・開発の常である、と私は理解する。人が頭で考えることには限界がある。考えたことが現実にうまく動くかどうかを確かめ、うまく動かなかったらどうしたらうまく動くのかを工夫するのが研究・開発のはずだ。
要は、世に出せるまでに安全性、利便性を高める途中で起きてしまった、想定内の事故なのである。

だから、その部分は聞き飛ばした。

なるほど、と思ったのは、群馬大学が考える自動運転車の概念である。

今、世界中で開発が進められている自動運転車の最大の課題は、認識、なのだそうだ。コンピューター(電算機、と書くと違うもののような感じがする)に、正確に認識させるにはどうすればいいか。

一例として、夜の銀座(多分)の写真が示された。夜の銀座は照明やネオンサインが華やかだ。それがなければ繁華街の雰囲気は出ないのだが、問題はその中に信号機があることだ。
人間なら、夜の蝶からの招待状のようなネオンサインと、ビルの照明と、信号機を見誤ることはまずない。ところが、コンピューターはこれがはなはだ不得手である。だって、ネオンや照明の中には、赤もあれば黄色も青もある。どの灯りが信号で、どの灯りが夜の蝶の招きなのかをコンピューターに区別させるにはどうしたらいいのだろう? 区別ができなければ、自動運転車は夜の街を走ることができないのである。

コンピューターの認識能力を上げる期待を担っているのが、ディープラーニングという手法である。人間の脳の神経組織と同じような仕組みをコンピューターで実現し、自分で学んでもらおうという手法である。人間と同じように、何度も何度も見ているうちに、コンピューターも正確な識別ができるようになるはずだ、と研究者たちは考えている。

だが、群馬大学の研究チームは

「近い将来、ディープラーニングを使っても、正確な認識ができるとは思えない」

と断言した。ふーん、と思った。

車とは、桐生で買ったから桐生でしか乗らない、というものではない。前橋にも行くし、横浜に向けて走ることもある。海外に転勤すれば、ニューヨークで走ることもあろう。
人間が運転するのなら、それはさほど難しくない。だから、世界の車メーカーは、世界中どこでも走れる車を作り、売る。
しかし、自動運転車は、コンピューターが運転する。コンピューターが、まだ見たこともない街で車を操ることができるか? それができなければ、今のような形で車を売ることはできない。だから、車メーカーは、どこでも走る自動運転車の開発を目指してディープラーニングに期待を繋いで開発競争を続けいている。

群馬大学はその競争から降りる。
群馬大学が開発しているのは、地域限定の自動運転車なのだ。車が走る範囲の3次元地図情報を車に積む。そうすれば、どんなにビルの照明があろうと、ネオンサインが輝こうと、車は

「信号機の在処」

を知っているから、正確に信号を見分けることができる。こうすれば、自動運転車の開発はずっとたやすくなる、と群馬大学の開発チームは考えている。

2020年には路線バスを自動化し、2022年には桐生市で自動運転のタクシーを走らせるのが群馬大学の目標だ。

それまでにあと5年。ひょっとすると、私は世界で初めて走る自動運転のタクシーに乗ることができるかもしれない。

そんな期待を抱かせてくれた、カタカナ語の多い協議会設立総会であった。