2018
03.27

2018年3月27日 エリートへの道

らかす日誌

いまごろ、元国税庁長官の佐川さんが国会で証人席に立っているはずだ。

「えっ、日誌に書くぐらい関心があるのなら、どうしてテレビを見ないのか?」

ですって?
私は、無題は出来るだけ省く主義である。この人が証人席に立ったって、たいした証言をするはずがないことは少しものを考えれば分かる。偽証をすれば罪に問われるが、嘘を言わずに

「忘れた」

といえばしのげるのが証人喚問ではないか。それにこの人、切り札を持っている。

「司法当局の捜査を受けている身ですので、発言は控えたい」

逮捕、起訴されるかも知れないというのが切り札になるのは皮肉だが、それでも国会で通用する強力な切り札であることに変わりはない。ろくな話が出てくるはずはない。

それよりも、この人、なんであんな嘘の証言をして、しかも行政文書の書き換えまでやっちゃったのかね。文書の書き換えについてはまだ犯人は絞り込まれてはいないが、いまの理財局長が

「佐川さんは関与しているはず」(だったと思うが、正確ではない)

といっちゃったんだから、この場ではこの人がやったことにしておく。

私はテレビのワイドショーなんて全く見ない。だが、どういう訳か我が妻女殿は、時々見ておられるようだ。ご覧になったことをとくとくとしてお話になることでその事実が伺われる。
ま、お話になったところで、大半は私が全く関心を持てない分野の話である。耳に入ったところで、右の耳から左の耳に直通させて流せば済む。聞きとりにくかったことは問い直さない。そうすれば何となく身過ぎ世過ぎが出来る。

そんな中で、耳にとどめおいたことがある。

「佐川さんって、二浪して東大の経済なんだって」

ん? 国税庁の長官まで上り詰めたエリートが、二浪で東大? しかも経済学部?!

少し話はずれるが、私の高校生時代、2学年上に北川さんという先輩がいた。ザンバラ髪に腰手ぬぐい、冬でも靴下も上履きも履かない変わり者。勉強をしtげいる様子は全くなく、成績は上位であったが最上位ではなかった。マイペースとはこの人のためにあるような言葉で、

「おい、2年3組の○○、あらよかろが(いい女だろうが)。ちょっと見に行こぜ」

と、授業時間であるにもかかわらず、彼女の教室の廊下に立ち、中をのぞき込む人だった。
その北川さんが

「俺、東大に行く」

と言い始めたのは、3年の夏休みが終わった頃である。えっ、東大? 北川が?
周囲で信じるものはいなかった。あの北川が東大! これまで全く勉強しなかったのに?!

だが、である。それからの北川さんは猛勉強を始めたらしい。始めたところで、高校3年間の学習内容をわずか半年でマスターしようという無謀な試みである。ましてや東大に入るには、教科書程度をマスターしたところで追いつくはずはない。北川が東大? 無理だって!
周囲は、そんな常識人が揃っており、私もその一人であった。

ところが、なのだ。半年後、何と北川さんは東大の理科一類に現役で合格してしまう。驚天動地の驚きとは、このようなことをいう。

北川さんが東大に入った夏休みだったと思う。帰省してきた北川さんとばったりあった。

「おう、大道。どげんしよっとか」

にこやかに私に接近してきた東大生北川は、やおらポケットか写真入れを取り出した。

「俺よ、東京で女のできたったい。よか女ぞ。お前はまだ子供やけん分からんかもしれんばってん、大人の女ちゅうとはほんなこてよか。ほら、これが女ちゅうもんたい」

目の前に突き出された写真を見て度肝を抜かれた。品のない顔、染めた髪。太ってはいなかったが、場末のストリップ劇場の舞台でしかお目にかかれないたぐいの女性がそこに写っていたからである。

「……」

私は、北川さんは一種の天才だったのだと思う。東大に通ったのも天才なら、お化けじみた女にぞっこん惚れ込むのも天才……。

ここで話は元に戻る。
東大には大別して2種類の人種が棲息すると聞く。北川さんのような天才と、普通の秀才である。普通の秀才はどんなに勉強しても天才には敵わない。天才の10倍の勉強をしても成績が並ぶことはなく、やがて諦める。諦めるだけなら普通だが、天才への根強いコンプレックスを抱いて諦める一群の人々がいる。
佐川さんは、この一群を構成した一人ではなかったか?

まず、天才なら二浪はしない。高校時代、どんな暮らしをしていようと、現役で東大に入る。それも、文系なら経済(文科二類)ではなく、文科一類(法科)に入る。最後の最後まで遊び抜いて一浪してしまう天才もいるかもしれないが、それでも次の年には必ず入る。二浪に天才はいない。
佐川さんがコンプレックスの持ち主であると考えるのは、二浪して入ったことによる。

今ひとつ、佐川さんにコンプレックスを持たせる要因がある。東大経済学部である。
よく知られたことだが、霞ヶ関は東大法科出の牙城である。東大出にあらずんば人にあらず。法科出でなければ人にあらず。
まあ、現実はそれほどきっちりしたものではないようだが、霞ヶ関の空気を何となくにおわせる言葉である。霞ヶ関の官庁街を歩けば、右も左も東大法科出身者で埋め尽くされる。

佐川さんは学生時代、よほど勉強をされたのであろう。難関とされる上級国家公務員試験に優秀な成績でパスされた。何故優秀かというと、成績上位でなければ、官庁の中の官庁といわれる大蔵省(当時)からはお呼びがかからないからだ。
天才ではない人としてはがんばったわけだ。

だが、どれほどがんばっても、天才には敵わないというコンプレックスは消えない。ましてや、やっと入った大蔵省は法科出の寄り集まりである。経済学部は少数集団に過ぎない。ひょっとしたら

「え、君、経済なの? ふーん」

程度の、無視寸前の言葉を浴びせられたこともあるかも知れない。いわば、二重のコンプレックスが佐川さんの友になってしまったのではないか。

コンプレックスを持つ人にありがちなのは、リベンジを試みることである。佐川さんはリベンジを試みた。出世、である。天才ども、法科出身とのさばっている奴らよ、俺は見返してやるからな!

だが、多数派ぬ加え、能力で及ばない連中を敵に回してどうしたら出世できるか。彼が唯一見いだした戦法が、政治家に擦り寄ることだった。政治に力を借りて、俺はお前たちの上をいく!

かくして、彼は政治家の便利屋に徹した。

「はい先生、さようにいたしておきます」

「はい先生、このようなアイデアはいかがでしょうか。これを先生のアイデアとしておっしゃっていただければ我々は助かりますし、先生の名声もさらに高まると思われますが」

政治家と添い寝しようと心に決めた人が、最も心を砕かねばならないのは時の総理である。それも、責任を持ち、総理と直に話す地位に就いた時の総理大臣には、何にも増してごまをすらねばならない。尽くして尽くして、尽くし抜かねばならない。総理大臣の推挙で次の、より上のポストに就く。
かくして彼は、とうとう国税庁長官にまで上り詰めた……。

以上は、私の勝手な推測である。取材したわけでもないので、論拠は曖昧である。この日誌を元に記事を書くようなジャーナリストが現れてはいけない。

だが、このように彼を見ると、彼の言動がすんなりと理解できるのだ。
森友学園については、安倍首相は何に動きもしていない。首相夫人が森友学園といい仲なのを知った佐川さんが、安倍首相にごまをすろうと勝手にやった。ここまで努力すれば、後で知ることになるであろう安倍首相は、私のことを「ういヤツ」とお認めくださるに違いない。そして、欲しいポストが転がり込んでくる……。
そうでなければ、国会であれほど追及を受けていた佐川さんが

「適材適所」

の一言で国税庁長官になるはずはないではないか。

そこまでは計算通りだった。唯一の誤算は、外には隠し通すはずだった自分の努力が明るみに出たことである。それが、いまの佐川さんの心境だと推察する。

いやいや、安倍首相を助けだそうと今日の日誌を書いたわけではない。そのような佐川さんの人となりを知った安倍首相が、佐川さんを使って森友学園を特別待遇した疑いがないわけではないからだ。
だが、その際も、キーになるのは佐川さんのコンプレックスだと思う。

さて、私の妄想が当たっているかいないか。
森友事件の真相が分かってくれば、自ずから明らかになることである。