2022
07.29

桐生市内を点検した。樹徳高校甲子園出場を愛でる垂れ幕は1本しかなかった……

らかす日誌

我が桐生は「球都」を自称している。野球でまちおこしをしようというらしいのだが、その是非は後まわしにする。
私は今朝、こう考えたのである。

「球都というのだから、樹徳高校の甲子園出場はまちを挙げて祝っているはずだ!」

昨日の日誌に書いたように、桐生から甲子園代表校が出るのは2008年以来である。久々の快挙は「球都」の名を高めるはずである。「球都」の市民たるもの、こぞって目出度さを表現しているに違いない。

と思ったので、朝、市内の主だったところを車で回ってみた。
まず、市役所。普通市役所には、市内から甲子園代表校が出れば、

「祝、甲子園出場 樹徳高校」

などという垂れ幕を下げるものである。地元高校の栄誉を市民全体で分かち合いたい。まだ知らない人がいるかも知れないから、1人でも多くの市民に知ってもらわねば。

「私が市長をやってるからこのような栄誉がこの街に来るのである。次の選挙もよろしくね」

と次の選挙を目指して名前を売らねば。

まあ、垂れ幕を下げる思いは様々だろう。恐らく、樹徳高校が決勝に進んだ段階で、無駄になっては嫌だなと期待と懸念をない交ぜにしながら垂れ幕を注文する。決勝戦で樹徳高校の勝利が決まったら直ちに、喜びの垂れ幕を

「無駄にならずに良かった!」

と思いながら掲示する。「球都」などという自称をしないまちって、それが普通の姿だと私は思っていた。

ところが、なのである。我が「球都」桐生の市役所には、今朝になってもまだ垂れ幕がなかった。樹徳高校の甲子園出場を喜ぶものは、少なくとも外観上は何処にも見当たらなかった。

しつこいようだが、桐生は「球都」なのだそうだ。今年9月10日には、毎年9月10日を「球都桐生の日」とするという。多分、市議会で条例でも制定するのだろう。それなのに、地元高校の甲子園出場への祝意がどこにもない。市職員が気付かず、条例制定に参加するはずの市議さんたちも関心がなく、とどのつまり、市長さんもこの不作為に一顧だにされない。

皆さんにお尋ねしたい。

あんたたちのいってる球都って、いったい何なんだ? 樹徳高校の甲子園出場を喜ばずして、何を誇るというの?」 分かり易く説明してくれ!」

樹徳高校は市役所のすぐそばである。車を回した。さすがに、ここには垂れ幕があった。朝日新聞社が寄贈したものらしく、朝日新聞の社名がきちんと入っていた。ふむ、新聞作りでは数々の不満を古巣に向けてはなってきたが、このあたりはきちんとしたものである。

それを見届けると、車を市内の繁華街といわれる本町通に向けた。ここにも、ない。垂れ幕どころか幟の1本もない。ノーシードからの優勝で垂れ幕も幟も間に合わなかったのかも知れないが、とりあえず手書きで樹徳高校を讃えるポスターでも出せばいいのに。何というまちなんだ、桐生とは。

結局、私が確認した限りでは、樹徳高校に朝日新聞製の垂れ幕が1本あるだけで、樹徳高校が甲子園に駒を進めたことを寿ぐものは何処にも見いだせなかった。

さて、どうしよう? 市役所に足を運んで知り合いの職員に

「何とかしろよ」

と言おうか? が、ここは私が出る幕ではなかろう。ふと思いついて、知り合いの市議に電話をした。

「今日、市役所の外回りを見た?」

と質問を始めた私は、多分、人が悪いのだろう。突然そんな質問を突きつけられて戸惑わない人はいない。市議さんも戸惑ったたらしい。

「いや、今日は委員会なんで市役所に来てはいるんですが」

そうか、市役所にいるのか。だったら話が早い。

「昨日、樹徳高校が甲子園切符を手にしたよね。それなのに、市役所の外壁に、それを喜ぶ垂れ幕の1本もない。あなた、どう思う? あなたも『桐生球都の日』を押してるんだろ? おのれを球都というまちが、自分のまちから甲子園に歩を運ぶ高校を褒め讃えなくでどうするの? 今のところ、完璧に無視だよね。市外からの生徒も多い私立高校だから市民には馴染みが薄いのかも知れないが、それでも毎日数千人の生徒が集まってるんだよ、樹徳には。桐生の伊学校なんだよ。その学校が甲子園に出るのに、市役所に垂れ幕の1本も下がらない。これ、樹徳高校に失礼だよ。樹徳高校野球部に本当に失礼だよ。そう思わない?」

私の剣幕に押されたのか、市議さんは

「いや、そういえばそうですよね」

といった。
そうか、それだったら話は早い。

「実は頭にきて、市役所に怒鳴り込もうかと思った。しかし、市役所に怒鳴り込むのは市議さんの本業だと考え直した。それであなたに電話をしたんだが、やってくれる?」

さて、この市議さんは動いてくれたかな? 明日、あるいは明後日、市役所に樹徳高校甲子園出場を祝う垂れ幕は下がるかな?

さて、冒頭に書いた「桐生球都の日」への私の考えを付記しておく。
この話題を出したのは例のO氏である。茶飲み話のついでに彼はこう言った。

『どうするんだろうね、あんなことして。あれでまちおこしなんだって。でも、自分で勝手に私は球都ですって宣言したところで、わざわざ桐生まで来る人なんていないはずだし、何の役にも立たないだろ?」

というのが彼の立論であった。
私はこう答えた。

「うんまちづくりという観点からは全く役に立たない。しかし、政治的な視点からすれば正解だと思うよ。大多数の市民は、そうだ、桐生には脈々と野球の血が流れてるんだと喜ぶだろうし、桐生球都の日ができて良かったと思うだろう。有権者に自分の名前を書かせる上からは、誠に理にかなったやりかただと思うけど」

聞くところによると、桐生の人々が野球に自負心を持つのは、桐生高校(これを地元の方々は「きりたか」とお読みなる)が、桐生中学時代を含めれば12回の後身出場を誇っていることに根源がある。桐生高校はある時期まで、桐生の知的エリート層が子弟を送り込む学校であり(いまは、成績優秀者は前橋高校=まえたか=に行くらしい)、いまの桐生の中核であると自認する方々は、きりたか卒を誇っておられる。そして、野球に関する最大の誇りは昭和11年、桐生中学が決勝まで進み、愛知商業に1−2で敗れて準優勝したことである。
甲子園で優勝した高校は長く人々の記憶に残る。しかし、準優勝した高校をどれだけの人が記憶しているというのか? どうやら、そのあたりを桐生の方々は理解されていない。

私にとって、桐生の野球は、1999年に全国制覇を成し遂げた桐生第一高校なのだが、当地の方々は余り関心を持たれない。桐生の野球の誇りは、桐生を一歩出れば記憶している人など皆無に近い「きりたか」の甲子園準優勝なのだから、何かボタンを掛け違っているような気がする。

桐生第一高校も、樹徳高校と同じ私立である。市外からの生徒も多い。この学校に対する桐生市民の視線を

「なんでこんなに冷たいのだろう?」

感じ続けたことが、今回の樹徳高校問題への私の姿勢を決めたように思う。市内に垂れ幕を求めて見回ったのはそのためだろう。

あえて付記すれば、桐生第一高校はまだ恵まれていた。2008年に甲子園に駒を進めたときは、即日市内各所に垂れ幕が出たと聞く。佐藤貞巳さんという看板屋さんが頑張ってくれたのである。この佐藤さんは、桐生が誇るからくり人形師でもある。佐藤さんに関心を持たれた方は、是非佐藤貞巳さんをクリックしていただきたい。
いま佐藤さんは、膝の疾患で行動の自由を奪われている。佐藤さんが元気だったら、市内各地に樹徳高校甲子園出場を喜ぶ横断幕や垂れ幕が出ていたはずだと思い、佐藤さんの健康回復を願う。

とっちらかってしまった。今日はこのあたりで。