2023
11.03

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の22 グランドケイマンでパーパーカンパニーを見た

らかす日誌

グランドケイマンで取材に訪れた先は、カナダ・インペリアル銀行(CIBC)ケイマン支店である。
これは、記事を引用した方が話が早いだろう。

「キューバ島上空を南に突っ切って間もなく、米テネシー州メンフィス発のノースウエスト航空475便はカリブ海に浮かぶ英領グランド・ケイマン島に着いた。空港からタクシーで20分、政庁があるジョージタウン郊外のホテルに着くと、『財テク説明会へどうぞ』と書かれたポスターが目に入った。レストランの前に貼られたポスターには、ケイマンでの銀行業務、会社設立、資産運用の相談に応じる、とあった。
カナダ・インペリアル銀行(CIBC)ケイマン支店は、ジョージタウンの中心地の5階建てビルにあった。エレベーターで4階まで上がると、受付に向かって左側の壁に、横長の黒い看板がびっしりと並んでいた。約70枚の看板のうちには、東京銀行信託、三井ファイナンス、住友ファイナンス・アジアなど、邦銀の名を冠した会社が交じっている。
CIBCのピーター・ラーダー部長(42)に、日系金融機関の事務所を見せてほしいと頼むと、ラーダー部長は『事務所はない。看板を掲げている会社の設立関係書類と営業成績書をわれわれが保管しているだけだ。ケイマン政庁への年次報告も当行が代行している』と語った。訪れる日本人も年に2、3人といい、看板の主は文字通りのペーパーカンパニーである。
タックスヘイブン(租税回避地)の中でも法人税を全く取らないこの地には、ペーパーカンパニーの群落があちこちにある。場所を貸す銀行支店が9つあり、登録だけの銀行が458行ある。会計事務所なども、保険会社やメーカーを客に同じようなことをしている。
安田生命保険の『安田生命ケイマン国際投資』は、CIBCから歩いて2、3分、米国の会計事務所ピーと・マーウィック・ケイマン事務所にあった。払い込み資本金5000万ドル(約68億円)この会社は昨年10月15日、会社設立・登録手数料3100ドル(約42万円)をケイマン政庁に納めて出来上がった。ほかに年間579ドルの『場所代』を政庁に払えば、資本金の5000万ドルはどこで運用しようと勝手だ。安田生命社員はこれまで一度もケイマンに来たことがない」

まあ、このあたりで十分だろう。

税とは国や自治体が国民から強制的に徴収するお金である。取られる国民からすれば迷惑なものだが、国や自治体に税収がなければ道路も橋も学校もない。天下り先を作るために勝手気ままに国費を使ったり、これも国民の血税を使って観光気分の海外視察に出かける国会議員がいたりと税の無駄遣いの例は多々あるが、まあ、現代社会に生きる以上、必要悪と思わねばならないものだろう。
企業も税金で出来たインフラストラクチャーなしには活動ができない。だから納税をしなければならないのだが、企業会計から見れば税とはコストである。削ることができるコストはできるだけ削るのが企業経営の鉄則だ。多少の書類操作で税金が減らせるのなら、誰だって利用したくなるだろう。だから、タックスヘイブンに関心を持つのは避けられない。
ただ、企業がタックスヘイブンを使った場合、

「あの会社は日本のインフラ、精度を使ってビジネスをしているのに、日本に税金を払っていない。怪しからん」

という悪評が立ちかねない。悪評を我慢してでも税費を減らして利益を増やすか、悪評が企業の評価、株価などに響くのを避けるため普通に税を払うか。経営者はその選択を迫られる。

2013年には地球上の全金融資産の8%がタックスヘイブンにあったといわれる。いまではもっと増えているのかもしれない。こうした課税逃れに各国政府は神経を尖らせ、日本政府も1978年、租税特別措置法を一部改正して「タックス・ヘイブン対策税制」を導入した。その後改正されているが、基本はタックスヘイブンにある子会社の株式の過半を日本の企業が直接・間接に持っていたら、子会社の収益を本体の収益と合算して課税する、というものだ。

それでも、金は税を嫌い、逃げる。2015年に表沙汰になったパナマ文書には、タックスヘイブンをりよしている日本の資産家として、楽天の三木谷浩史、セコムの飯田亮、UCC上島珈琲の上島豪太などの名が挙がっていた。

そのタックスヘイブンを訪れてみると、そこにあるはずの会社は単なる書類に過ぎない。金属製のロッカーに、世界中の会社がきちんとファイルされている。

「えっ、これが会社?!」

という景色を見るために、わざわざ高い金を払って(払ったの朝日新聞であるが)見に来る。これも取材なのである。

そして、たったこれだけの取材だから、1、2時間もあれば足りる。取材を終えてケイマンを発つ飛行機が出るまでの時間は自由時間だ。2度と来ることはないだろうグランドケイマンを私は満喫しようと決意した。事件も起きた。そのあたりもコピペでお目に掛ける。

(Turtle stewにうんざりしてホテルに戻り)うつらうつらし始めたときだった。部屋の電話がけたたましい音をたてた。ん? ケイマンに知り合いはいないはずだが……。

受話器を取ると、私にとっては外国語に過ぎない英語が流れ出してきた。このようなときの武器である、

 “Pardon?” 

や、

“Speak more slowly, please.” 

を連発して、何とか相手のいわんとしていることを把握すべく、時間を費やした。
奮闘の末、おおむね理解できた。それは次のような内容だった。

(余談) 
私が英語を解する人間であれば、ものの2分もかからなかったに違いない意志疎通に10分以上も費やさなければならなかった。電話の向こうの人は、考えてみれば気の毒であった。

 電話の主は、このホテルのフロントマネジャーであった。チェックインの際、クレジットカードを示していたのだが、

「あんたのカードは使えない!」 

と電話の向こうで言っていたのだ。なぜなら、カード会社から、使えないカードだとのメッセージが返ってきたのだという。

「そんな馬鹿な!」 

と私は激怒した。腹痛、空腹に加えて、カードが使えないだと?! 今日の俺は、三重苦のヘレン・ケラーか?!

(余談) 
そういえばつい先頃、WOWOWで、「奇跡の人(THE MIRACLE WORKER)」をやってましたな。パティ・デューク(Patty Duke)がヘレン・ケラーを演じて1962年のアカデミー賞助演女優賞を取ったヤツ。我が家では、デジタルビデオテープで録画しましたです、はい。

「そのような話は極めて不可思議である。なぜなら、私は本日午前5時、メキシコシティのホテルで、このクレジットカードで支払いをして来たばかりである。メキシコシティで使えてケイマンで使えないとは、理不尽にもほどがある。私がメキシコシティを出てこの地に着くまでに、私のカード会社が倒産してしまったのか? それとも、世界同時革命が起きて資本主義が全廃されたのか? そうでなければ、機械の故障に決まっておる。もう一度試しなさい!」 

私は眠い目をこすりながらベッドを出て、クレジットカードを携えてフロントに向かった。フロント待ち受けていたホテルマンは、私からカードを受け取ると、早速機械にかけた。

ほら、やっぱり機械の故障だろう、と待っていると、やっぱりこのカードは使えないと言う。

「いつまで馬鹿なことを言っておるか! これから日本に電話をして、このカードが立派に通用するものであることを証明するから、そこに控えておれ!」

と怒鳴りかけて、ふと閃くものがあった。

与信限度額? 

私はこの時点で、日本を出てからちょうど1ヶ月たっていた。この間、ホテルの支払いは全てカードで済ましてきた。時には、買い物もカードで支払った。支払総額は、かれこれ50万円を超えているであろう。

「そういえば、クレジットカードには与信限度額ってのがあったよな。俺のって、いくらだっけ? 日本ではあまりカードを使わないから、多分、最低額、確か50万円か。そうか、突破しちゃったのか……」 

閃いたとたんに、私の態度は変わる。この変わり身の早さには、我ながら感心する。

“Ahh, uhh, by the way, can I pay you in cash?” 

私は、急に下手に出た。カードが使えないとなれば、現金で払うしかないではないか。

客なのに下手に出たのは、カードを使わず、現金で支払いをする客をうさんくさい目で見る海外のホテルが多いからである。
そんな場所で、使えないカードを振りかざしてしまったからである。最初から現金で払うという客より、うさんくささではこちらの方が上ではないか?

が、そこは客商売であった。

“No problem, Sir.” 

私は翌日、残り少なくなったトラベラーズ・チェックと、肌身離さず日本から持ってきた10万円を持って、銀行に駆けつけた。彼らは、トラベラーズチェックはすぐにドルに替えてくれた。しかし、日本円の引き取りは、頑なに拒んだ。

「見たことがない。これは本物の金であるか?」 

と1万円札の裏表をしげしげと眺めるばかりなのである。

日本の札は世界最高品質の紙と、世界最高の印刷技術をもって製造される芸術品であることを知らないか! この無教養者!
玩具屋に行けば転がっているような、玩具そっくりの札を使っている国の札を何より大事にする馬鹿者ども!
日本経済の実体、Japan Moneyの実力を知らずして、よくぞ銀行員などをやっていられるなあ、あんたがた。ここには、日本企業のペーパーカンパニーもたくさんあるはずだぜ。もっと勉強したまえ。

と罵ろうと思ったが、英語で何というのか分からないから、やめた。トラベラーズ・チェックだけを換金して、ホテルに戻った。

ケイマンでは、日程に少しだけゆとりがあった。1日だけレンタカーを借りて、グランド・ケイマンをドライブした。

(お勉強) 
ケイマン、グランド・ケイマンなどいろいろと表記してきたが、正確には「英国領ケイマン諸島 (Cayman islands British West Indies)」という。マイアミの南約800kmのカリブ海、北半球で発売されている地図ではキューバのほんの少し下にある。
グランド・ケイマン、ケイマン・ブラック、リトル・ケイマンの3島からなり、首都はグランド・ケイマンにあるジョージタウン。最大の島、グランド・ケイマンでも長さ35km、平均幅6.5kmしかない。
カリブに浮かぶリゾート地であるほか、租税回避地(Tax Haven)としても有名である。この地にペーパーカンパニーをつくって脱税、ではなかった、節税に励む日本企業も数多い。

この国は、英国領である。従って、日本と同じく、「車は左、人は右」の国である。日本と同じ感覚で運転できる。
最初の目的地は、そう、潜水艦である。これに乗りたくて遠い島までやってきたと言っても、あながち言いすぎでもない。
潜水艦の乗り場にやってきた。チケットを買わなくては。あれ? 閉まってる! 閉まって、「臨時休業」とあった。
そういえば、台風が近いんだったな。見ると、高さ2mほどもある波が押し寄せ、岸壁にぶつかって砕け散っている。潜水艦は、この波に洗われて水浸しである。潜れば、どうせ水浸しになるのではあるが、この波では乗り込めない。
こりゃダメだ。メキシコシティのサラダのたたりか!

仕方なく、島内ドライブを続けた。30分ほどで端っこまで行った。Uターンして、反対の端っこまで走った。またUターンして、元の場所に戻った。所要時間、1時間半ほどであった。

途中、

The Mountain

と書いた看板が目にとまった。見ると、私が走っている道路より、ホンの少しだけ盛り上がった土地があった。胸が膨らみ始めたばかりの少女が仰向けに寝ている。ほかに比べて少しばかり盛り上がっているところが胸である、と言えば言える。そんなに変わらないといえばいえる。その程度の盛り上がり方である。
それがこの国では、定冠詞をつけて

「The Mountain」

と呼ばれる。

「これが山というもんじゃい!」 

という気分である。

この国で登山をするには、この「The Mountain」に登るしかない。補助動力のない自転車でも登れそうな「The Mountain」に登るしかない。

この国に生まれて育った人には、世にいう「山」の概念を理解することは永遠に不可能であろう。ひょっとしたら、世界で一番地理の成績が悪い国民かもしれない。

というわけで、ケイマンでは何事もなかった。何事もない平穏無事な日々は、その時点では極めてありがたいものであるが、後日、こうして原稿を書くには極めて都合が悪い。波瀾万丈がなければ原稿にしにくいのである。

ということで、私のグランドケイマンは終わった。この翌日、私はワシントンに向かったのだった。