2023
11.04

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の23 ワシントンで体力回復に努めた

らかす日誌

米国の首都ワシントンには、経済部の先輩Taさんが特派員としていた。テレビ朝日・ニュースステーションの解説者として活躍した時代もあるから、顔を見れば思い出される方もいらっしゃるかもしれない。親しくして頂いた方だったので、日本を出る前にワシントンにも立ち寄りことを連絡すると

「だったら、僕のうちに泊まれよ」

とお誘い頂いていた。長旅の最中に旧知の人に会うのは心が安まる。遠慮なく甘えさせて頂いた。ワシントンにある朝日新聞の出先をアメリカ総局という。まずここを訪れて、Taさんの自宅に案内して頂いた。

実は、私の海外取材はグランドケイマンで終わっていた。ワシントンで取材すべきことはない。それなのに帰国を遅らせてワシントン(その後ニューヨーク)に立ち寄ったのは、

「折角日本を出たのだから」

というおまけである。気は楽だった。

「大道君、取材はどうだった?」

というTaさんの誘いの質問に、私はメキシコで発病した腹痛のことを話した。

「それで、もう大丈夫なの?」

と聞かれて、

「いや、まだ回復したとは思えないんです」

と答えると、

「だったら、これを飲めよ」

抗生物質を頂いた。日本から持参したものだという。そうか、抗生物質か。俺はそんな薬、日本から持って来なかったな、思いながら飲んだ。
しばらくすると、強烈な睡魔に襲われた。お断りして寝室に下がり、ベッドに入るとたちまち眠りに落ちた。そして目が醒めると、外では太陽が高く昇っていた。時計を見ると11時である。

「えっ、俺、何時間寝たんだ?」

Taさんのところには2、3日御世話になったが、その間、ずっとそんな睡眠が続いた。日本を出て1ヵ月の長旅がの疲れがどっさり残っていたらしい。海外への1人旅は30日が限度というところか。

ワシントンにいてやることもない私は、目が醒めると総局に遊びに行ったり、ホワイトハウスを見物したり、スミソニアン博物館を歩いたりした。気分はお上りさんである。
博物館が並ぶ一帯をナショナル・モールというらしい。映画で何度も見たリンカーン記念堂で巨大なリンカーンの座像を見、国立航空宇宙博物館にも足を運んだ。ライト兄弟が1903年に飛ばしたライトフライヤー号に感心し、アポロ11号の司令船に目を丸くした(私の目は丸くなるほど大きくはないが……)。
そんなものは記憶の片隅にほんのちょっぴりこびりついているだけだが、いまだにありありと思い出すのは、ナショナル・モールで見たリスの姿だ。ナショナル・モールはリンカーン記念堂と国会議事堂が東西の端にあり、両端を繋ぐように大きな池がある。博物館群はその池に沿って並んでいる。チョコチョコと可愛らしい姿で動き回るリスは、池をめぐる芝生を走り回っていた。

ワシントンはいうまでもなく、アメリカ合衆国の首都、いや、ひょっとしたら世界の首都である。政治都市であるため人口は70万人ほどしかないが、それでも都会であることに変わりはない。その都会の中心部にある公園にちっちゃなリスが生きていくことができる自然が保存されていることに驚いたのである。
日本の都会でリスを見ようと思えば動物園に行くしかないだろう。私が日本でリスを見たのは、岐阜支局時代に家族で金華山に登り、えさを買ってリスのいるケージに入り、えさを載せた手を恐々リスに差し出す長男と、何の恐れもなくリスに近づく長女の勇姿を見て以来だった。

ワシントンでは総局の方々にも御世話になった。私を、木造パーツが沢山使われているオープンカーに乗せて頂いたのは政治部からワシントンに来ていたI さんだった。

「屋根がないと冬場は寒いでしょう」

と聞いたら、

「それがオープンカーの楽しみだよ」

と返された。
I さんは日本に帰ってもオープンカーに乗り継ぎ、真冬に車で出勤したらしい。アルバイトの大学生が

「寒くないんですか」

と質すと、

「コートを着込んでマフラーを巻いて運転してきたんだが、うん、震え上がったよ」

と答えたらしい。ワシントン時代よりやや年齢を重ねていたためだろうか。

疲れを癒やし、市内観光に時を費やしたワシントンにいたのは2、3日だった。やがて体力を回復した私はニューヨークに飛び立った。