04.06
私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の10 50人超が参加した予算10万円の忘年会
浜離宮朝日ホールとしては開闢以来の大ばくちに、私は勝つことができた。無論、私だけの手柄ではない。私が示した運営方針を受け入れ、その実現に向けて様々な知恵を出して動き回ってくれたみんなの力である。やればできる。そんな自信がみんなのうちに育ってきたのが手に取るように分かる。
私はホールの運営に手応えを感じ始めた。
やがて年が明けた。ホールの決算は3月締めである。このころになると、
「1500万円以内の赤字で運営すること」
と決まっている朝日新聞主催公演の収支も、おおむね見えてくる。ざっと試算してみて我が目を疑った。赤字ではないのである。大幅な黒字なのである。その額数百万円。まだ3月までにいくつか公演が残っており、中には途中で打ち切ることができずに赤字覚悟で続けいているものもあるが、それを差し引いても確実に黒字になる!
そして決算期が来た。主催公演は約1100万円の黒字だった。これまで、1500万円の赤字、という枠すら守れなかった主催公演が、わずか1年で、一転して黒字になったのである。しかも、本来は主催公演の費用に入れなければならないものを一般経費に忍び込ませるというインチキは、私が全廃した。正々堂々たる黒字なのである。
私に経営能力がある、とはいまだに思っていない。経営の「け」の字もおぼつかないのが私である。それなのに、ホンの少しばかり、
「こうした方がいいんじゃないかな」
と思いついたことをやったら、収支が3000万円前後も改善した。この結果は私がもたらしたものではある。しかし、自分に経営能力があるとはどうしても思えない私は、
「前任者は何をやってたのだろう?」
と不思議な気がした。これは私の手柄ではない。前任者までの運営の仕方がでたらめすぎたことの反映であるとしか思えなかった。
例えば、前任者までは、すべての主催公演は支配人が決めていた。概算で1500万円の赤字に収まるように60程の公演を買い取り、それを担当者に振り分けていた。
これでは担当者が面白いわけがない。自分がやってみたいという公演を選ぶ権限はなく、仕事といえば、支配人が
「この公演は君がやってね」
と割り振ってくる公演の面倒を見るだけ。
「こんなつまらない演奏会を俺が担当するのかよ」
という気持ちになりがちなのは、誰が考えても分かる。
私の場合は、どの公演を買い取るかの第一次選択を、すべて担当者に任せた。元はといえば、私がクラシック音楽のことをまるで知らなかったからだ。まるで知らないから、どの公演を買い取るという判断ができるはずがない。だから、私よりはるかにクラシック音楽に詳しい担当者に第一次選択を任せ、買い取るかどうかは全員で話し合い、私は拒否権だけを持った。
自分が選んで買い取った公演だから、担当者は自ずから力を入れる。その公演の魅力を様々なメディアで発信し、自分が選んだ公演をより多くの人に聞いてもらおうと努力する。きっと楽しい努力であるはずだ。はやりの言葉で言えば、それが仕事を通じての自己実現、なのだと思う。
たったそれだけのことで、担当者の意気込みは違ってくる。人間とは、すこぶる複雑なものではあるが、ある意味単純な生き物でもある。
ついでに書いておけば、私は拒否権を一度も発動しなかった。
ホールの交際費の使い方も同じである。確か1年間で150万円ほどの交際費があった。幅広く音楽事務所などと付き合わねばならない仕事なので、交際費は是非ものである。
ところが、なのだ。このホールの交際費、私の前任までは、全額をホールの支配人が使っていたと聞いた。まあ、考えてみれば当たり前のことで、音楽事務所などと交渉するのは支配人だけである。担当者は交渉する権限を持たないのだから、音楽事務所と付き合う必要は、建前上、ない。
私は、この交際費をオープンにした。
「君たちも使いなさい」
と担当員全員に宣言したのである。
そもそも、音楽事務所との交渉は担当員に任せる、と決めたのだから、それは当然のことであった。それに、私は地位を利用して、フリンジ・ベネフィット(仕事に伴う役得)を独占するという根性が気にくわない。同じ仕事をするのだから、会社が必要経費と認めているものは全員で役得を楽しむべきである。
条件は1つだけ。事前に、どこの誰と食事をするのか、を私に報告すること。いや、管理しようというのではない。予算の枠は決められているので、途中で使い尽くしたのでは残り期間の仕事に響く。だから、交際費がいくらぐらい残っているのかを把握しなければならないためである。
それも担当員の士気を高めたはずだ。
おそらく、それまでよりも気持ちいい職場になったはずだ。
交際費の管理なんて、それまでやったことはない。だから失敗もあった。
「大道さん」
といってきたのは、副支配人である。交際費の管理をしなければならないと書いたが、この仕事も実は副支配人に任せていた。
「忘年会をやらなくてはいけないんですが、交際費がなくなって10万円しか使えません。どうしましょう?」
交際費での忘年会など、私は経験したことがない。だが、ホールは複雑な職場である。所得水準ひとつとっても、朝日社員を一番上にして、同じ仕事をしながらはるかに低い所得で働いている人がたくさんいる。であれば、割り勘での忘年会を開くのは難しい。自分の金で飲むのが当たり前、と思っている私も、そこは納得した。
聞けば、お金は充分に残っていると思っていたのだが、年末が近付くにつれて、担当員がまとめて交際費の精算を始めた。すると見る見る残りの金が減り、これだけになってしまったという。
ホールの忘年会は大がかりである。
まず、ホールの職員だけで20人近くいる。ほとんどは朝日建物管理の社員だが、ここではホールの仲間である。
照明さんがいる。音響さんがいる。これは他の会社に頼んでいるのだが、朝日ホール担当は決まっており、彼らもホールの仲間だ。
コンサート当日の会場運営をお願いしている会社もある。クロークで客の荷物を預かったり、チケットのもぎりをしたり、客を席まで案内したり、の仕事で、全員が女性である。彼女たちも仲間だ。
それに、音楽事務所の代表者たちも招かねばならない。
あれこれ計算すると、50人近くの大宴会になる。え、それなのに、予算は10万円? 一人2000円? 「つぼ八」でもそんな金じゃ宴会できないぞ! そもそも、朝日ホールの忘年会を、そんな安っぽいものにしたら、士気は上がらないぞ!!
とは思うが、なにせ先立つものがない。どうする? 考えた。
「分かった。じゃあ、その10万円、俺に任せて」
思いついたのは、自前の忘年会である。
会場は浜離宮朝日ホールの一般ホールとする。講演会や立食パーティなどに貸し出すスペースだ。会場費用ゼロ。
そして、酒は事務所にある頂き物をすべて使い、足りない分だけ買い足す。1万円か? 2万円かかるか?
料理は私を中心に作る。
・パエリア
・スペイン風サラダ
・豚の冷しゃぶ
・刺身
あと1、2品作ったと思うが、記憶が定かではない。
50人前のパエリアは材料費2万円から3万円でできる。私が作る。
刺身は、隣の築地市場に行って魚を買ってくる。私が3枚におろし、刺身にする。
豚の冷しゃぶ、スペイン風サラダは私が作り方を教え、女性軍に腕をふるってもらう。
前日、畏友カルロスが経営する渋谷の「ラ・プラーヤ」に出かけ、50人用のパエリア鍋を借りてきた。
当日は朝から築地市場に出かけ、魚や豚肉、野菜を大量に仕入れた。
夕方からの開催に向けて調理を始めたのは午前10時頃である。
築地の朝日新聞の中には、レストラン「アラスカ」が入っている。料理に必要な火が使えるのは朝日新聞の建物の中でここだけである。その調理場をお借りし、2時間ほどかけてパエリアを作った。
事件が起きた。調理前のパエリア鍋は、何の問題もなく調理場に入った。ところが、
「さあ、できた!」
と運びだそうとしたら、出ないのである。「アラスカ」の調理場の出入り口は狭かった。直径が1mもあるものを傾けずに運び出せるような設計ではなかったのである。
たしかに、「アラスカ」の調理場から運び出すのは、せいぜいがカレー皿程度の大きさだ。パエリア鍋も傾ければ出し入れができるが、調理ずみのパエリア鍋は、傾ければパエリアが落っこちかねない!
ホールの仲間を呼んだ。
「中身がこぼれるかも知れないので、大きな皿を持って、もしこぼれたら受け止めてくれ!」
パエリア鍋を、運び出せるギリギリまで傾けてヒヤヒヤで運び出した。幸い、仕上がったパエリアは無事に鍋の中に残っていた。
冷しゃぶも「アラスカ」の調理場を使わせていただいた。我々の趣旨に賛同をしていただいたのか、シェフに調理のアドバイスをいただいた。
「豚肉を湯がく湯に、少し塩を入れておくんです。そうすると美味しくなりますよ」
専門家のノウハウである。実行させていただいたのはいうまでもない。
ホールの倉庫では、女性軍がトマト、キュウリ、タマネギと格闘していた。スペイン風サラダは、この3種の野菜を適当な大きさに切って混ぜ合わせ、上からオリーブオイルをたっぷりかけてかき回す。塩やこしょうは使わない。
その横で私は、築地場内市場から買ってきた魚をさばいた。12月のことだから、さて買ったのはブリだったか、鰹だったか。40〜50cmを2尾さばき、刺身に仕上げた。
「さあ、始めよう!」
と声を出したのは2時だったか、3時だったか。
ホールには舞台がしつらえられていた。照明さんも音響さんもいる。手慣れたものである。そして、グランドピアノも登場していた。新しく買えば3000万円ぐらいはするであろうベーゼンドルファーである。浜離宮ホールにはベーゼンドルファーが1台、スタインウェイが3台ある。いずれもフルグランドで、演奏家に使ってもらうものだが、ベーゼンドルファーを使う人はほとんどいない。近代的な工場で作られるスタインウェイに比べ、手作りの味が残るベーゼンドルファーは1台、1台性格が違い、突然弾くのは難しいためだといわれる。だが、ベーゼンドルファーの音色は美しい。ホールの職員は、ほとんどがスタインウェイよりベーゼンドルファーを好んでいた。
50人近い仲間たちが集まった忘年会は盛り上がった。
私は、ギターで歌うことを求められた。そのために舞台を作ったのである。ボーカルマイクだけでなく、ギターマイクもちゃんと設置してある。
私は、岡林信康の「ジェームス・ディーンにはなれなかったけど」を歌った。気持ちよかった。アンコールを求められ、John Lennonの「Imagine」に挑んだ。朝日建物管理のS.Tさんがピアノで加わってくれた。ギターとピアノの伴奏による「Imagine」。これも気持ちよかった。そういえば彼女、いまどうしているかなあ。
総予算10万円とはとても思えない忘年会になった。と私は思っているが、さて、参加してくれた人たちの感想はどうだったのだろう? それぞれが楽しんでくれたのなら、身を粉にして、挙げ句に歌って恥までかいた甲斐はあったというものである。
そして、年が明けた。ホールの交際費はほぼゼロである。
「いやー、困りましてね。3月までに飯を食わなきゃいけない音楽事務所が3つ4つあって、それに私は京都に行かなきゃいけないんですけど、食事をしようといわれたらこちらが持たなきゃいけませんし、交際費がゼロだと何ともならなくて」
といってきたのは副支配人であった。
「あ、そう。それじゃあ、打てる手は2つしかないよね。1つは、私が偉いさんに頭を下げて追加の交際費をいただいてくること、もう1つは、悪いことだけど、あなたと私で空出張を3回程度して金を作ること。ばれたら処分されるだろうけど、うちの会社ならごまかせるんじゃない?」
私の回答に、副支配人は頭を振った。
「飛んでもない! 大道さんに迷惑はかけられません。わかりました。私が何とかします」
2週間立っても何ともならなかった。3週間立っても事態は変わらなかった。
「もういいよ。結局、何ともならなかったんでしょう。さて、空出張の伝票を書きますか」
「いえ、それはダメです。悪いことをしてはいけません」
「あ、そうですか。じゃあ、偉いさんに頭を下げてきます」
私は偉いさんの部屋に行き、頭を下げた。
「実は、ホールの活動が広がっているのはご存じでしょうが、私が来るまでは支配人が1人で使っていた交際費を、担当員も積極的に使っていいということにしたら、活動が広がった分、出て行く金も増えてしまいました。それでスッカラカンになって3月までの仕事ができなくなっています。お金を下さい」
この頃には、朝日新聞主催公演の収支が、初めて赤字1500万円の枠内に収まるだけでなく、かなりの黒字になりそうなことが見えており、この偉いさんには毎月の報告でホールの改革ぶりを充分に印象づけていた。その実績を背景にしたお願いである。通らないはずはない、とは私の読みであった。
「ああ、そうなの。それは大変だねえ。うん、ホールがよくやっているのは僕も充分分かっている。分かった。で、いくらいるの?」
しめた! である。
「はい、あと30万円か50万円あれば3月まで持つと思うんですが」
こうして私は、30万円の追加交際費を手中にし、ホールは何の問題もなく、その年度を終えた。
主催公演の収支が1100万円ほどの黒字になるまでに、こんなことがたくさん起きた。
私、本当にホールを変えてしまったらしい。