2024
04.07

私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の11 朝日新聞という不思議な会社

らかす日誌

朝日新聞とは実に不思議な事業体である。ホール運営の改革を進めながら、それを如実に体験した。

事業をするとき、最も気にしなければならないのは最終的な損益である。事業総体として赤字を出し続ければ、いずれは事業を続けられなくなる。そのため、伸びている部門はさらに伸ばす。どうしても赤字が続く部門は、どれほど思い入れがあるものでも整理縮小を考える。それが、経営のイロハの「イ」であることは、幼稚園児にも分かることだと思う。

ところが、朝日新聞のホール部門に関しては、その常識が全く存在しなかった。

会社として管理しているのは、朝日新聞主催公演の収支だけであることは何度も書いてきた。それ以外の、貸しホールなどの収支は一切見ない。ホールの総支配人に問われるのは1500万円を超えない赤字で主催公演を開いたかどうかだけ、なのである。そして、たったそれだけのことを、私までの支配人は実現出来ていなかった。

私は常識人である。だから、会社がどういおうと、ホールの運営で問われるのは、ホール総体での収支であるという考えは捨てることができなかった。それも、企業トータルとしての計算上、ホールの費用と見なされている建物の減価償却費や税負担は「上下分離方式」で切り離し、ホールの活動自体の収支を改善することが支配人の仕事なのだと思っていた。

自分の責任で取り仕切った2006年度、自主公演の収支を1500万円未満の赤字にとどめるだけでなく、約1100万円の黒字にできたこともすでに書いた。最初の目標はクリアした。であれば、自分で設定した本来の目標に向かって進むのは当然のことである。

おそらく、そんな考えを、毎週開かれる部長会の席上で、何度か披露したのだろう。私はある日、担当専務に注意を受けた。

「大道、お前はいろいろ言うが、会社として見ているのは自主公演の収支だけだということを忘れるな。そのほかは一切無視しろ。分かったか」

朝日新聞では、部下を呼び捨てにする伝統があった。私はおおむね、部下は男女にかかわらず「君」をつけて呼んでいたが、自分が呼び捨てにされたからムッとするような狭い了見は持っていない。要は、それがその組織の癖であり、私は好きこのんで朝日新聞の一員となったのだから、文句を言っても始まらない。君、さんをつけて呼びかけられようと、敬称抜きで声をかけられようと、そんなことを気にするだけ無駄である。

それはいいのだが、会社が設定した目標数字をクリアして、さていよいよ、経営本来の考え方に戻ってホールを良くしようと思っている私に、

「それはやるな」

というのである。
普通なら、ホールが赤字を垂れ流し続けることによる何らかの利益が、経営陣にあるのではないかと疑う。ひょっとしたら、ホールの赤字として計上されている数字の中に、経営陣向けの裏金作りの仕組みが仕込まれているのか? だから、主催公演の数字しか見るなというのか?
そんな疑いも持ってみたが、経理がまとめる決算数字を見る限り、そんなこともなさそうだ。では何故?
これは、朝日新聞のの一つなのである。

さて、その時私が何と答えたかは記憶にない。

「しかし、ですね」

と正論を吐いたのか。それとも

「分かりました。そうします」

と恭順の意を表したか。
それがどうでもいいのは、そんなバカな話を聞く耳は、私にはなかったからである。私は、経営の常識に沿ってホールを運営するしか能がない、朴念仁の支配人であった。

そんなことで意見は異にしたが、この担当専務は私のことが気に入っていたらしい節がある。時折ホールの会議に顔を出したり、

「俺なあ、学生時代からクラシックは聴いているのよ。大学時代に本格的に聴いてみようと思い、周りの連中を見たら、みんなモーツアルト、ベートーベンにのめり込んでるんだ。こいつらと同じことをするのはいやだ、とあれこれ探って、俺はブラームスに集中することにした。そうだなあ、ブラームスのレコードを300枚ぐらい集めたかなあ。俺もクラシックには詳しいんだよ」

と雑談を仕掛けてきたり。
しかし、音楽とは友人と競うために聴くものではないだろう。流れている音楽を聴いているうちにいつしか惹かれ、

「これ、誰の音楽?」

と物知りに聞いて、モーツアルトと知ってのめり込む、というのが普通ではないか。
周りがビートルズファンばかりなので、俺はその向こうを張ってキンクスにする、などというのは音楽の聴き方として邪道ではないか? ビートルズの音楽が気に入ったら、周りがどうであろうとビートルズのファンになればいいのである。

その専務からある日、私はこんな問いかけを受けた。

「大道、お前、定年になったら何をしたいんだ?」

へーっ、この人、私の定年後まで心配してくれてるんだ。驚きを伴った嬉しい発見であった。そこで私は、正直に申し上げた。

「はい、テレビ局に行きたいと思っています。それもローカルではなく、せめて準キー局に行って、テレビ朝日グループの競争力を高めたいと思っています」

これは、デジキャス時代に多くのテレビマンと付き合う中から生まれた希望であった。ローカル局の人たちは、キー局、準キー局に対して様々な不満を持っている。それを、デジキャスのデータ放送という仕事を通じて心やすくなった私に話してくれた。そうか、だったら私にも何かできそうだ、役に立てるのではないか、と思ったのである。

「分かった。少し時間をくれ。やってみるわ」

期待をした。これで再びテレビの仕事に戻れれば、ホールの支配人をしたのもまんざら無駄ではなかったわけだ、と嬉しくなった。

ところがである。それから間もなくして、この専務さんは退任された。役員会の中でどのような力学が働いての退任なのか、下々である私に分かるわけはないが、多分、専務さんにも想定外の人事だったのだろう。

「大道、俺にはもう少し時間があると思っていたんだが、時間切れになってしまった。お前の話、もう俺には力がないので何もやってやれない。悪く思わないでくれ」

というわけで私は、定年に伴って桐生にやってきたのである。
はいはい、専務殿、いま考えればどちらがよかったかは神のみぞ知る、であります。お恨みなんかしておりませんので、気になさらないでください。

ホールの収支を語るときに、もう一つ書き残しておきたいことがある。

どんな機会だったのかは定かではないが、私の前任O君と立ち話をすることがあった。

「大道君さあ」

と彼が話を始めた。

「かちどき橋の向こうに、第一生命が音楽ホールを造ったのは知ってるだろう?」

いや、知らない。

「引き継ぎの時に話すのを忘れていたんだけど、あのホールの運営はNPOに委託さていてね。そのNPOの職員の平均年収は250万円なんだ。朝日のホールは朝日建物管理に業務委託しているけど、その平均給与は年間400万円なんだよな。俺も何度かトライしてできなかったけど、朝日建物管理の平均給与を第一生命のホールと同じ250万円に下げないと、朝日ホールの経営はいつまでたってもまともにならないぜ」

仰天した。思わず、目の前にいるO君を殴ってやろうかと思った。平均年収を400万円から250万円に引き下げる? お前、気は確かか?
経営とは会社を維持、発展させるのが目的である。では、何のために維持発展させるのか? 自分の懐を温かくするためか?

「社長!」

と呼びかけられて気分を良くするためか?
様々な理由があろう。だが、忘れてならないのは、そこで働く人々の暮らしを支え、より豊かな暮らしをしてもらうことである。働く人は牛でも馬でもない。人間であり、いまはいなくてもいずれは家族を持ち、子どもを育てるのである。それには、当然お金がかかる。彼らに

「ここで働いて良かった!」

と思ってもらうには、彼らの暮らしをより豊かにすることが必要なのではないか?

職場は東京である。そこでの平均年収が400万円。税金などを引けば手取りはもっと少なくなる。よくぞそんな金で暮らしを維持出来るものだ、と私は思う。ひょっとしたら家族旅行など夢でしかなく、仕事帰りに屋台でいっぱい引っかける小遣いにも不自由しているのではないか? と心配する。
それを、250万円に下げろ、だと! お前は人非人だ

なるほど、上に立つ者がこんな意識であれば、職場がまとまるはずがない。
当時の平均給与でいえば、同じホールで働いているのに、朝日建物管理の社員は年収400万円、朝日新聞社員の平均給与は、確か1300万円強、であった。3倍以上の年収を得ている支配人が、自分の3分の1以下の給与で働いている人々の、さらなる賃下げを考える。
それ以来私は、O君と口をきくのもいやになった。彼は当時、社説を書く部署である論説委員室の副主幹に栄転していた。こんなやつが朝日新聞の社説を書くのかと暗澹たる気持ちになった。

1つだけいいことがあったとすれば、彼の話を聞いたあと、私はホールの別法人化、つまり朝日新聞からの独立を考え始めたことである。「朝日ホール」(仮称)という会社を作る。そうすれば、ホールの業績によって社員の給与を決めることができる。黒字が出るようなホールにすれば、いまは朝日建物管理の社員である仲間たちの給与を、いまより少しでも引き上げることができるのではないか?

結局はできなかったが、そんなことを真剣に考え始めたことは、いずれ触れる予定である。お待ちいただきたい。