06.17
落語を下敷きにするのはいいのだが……
昨夜、「碁盤斬り」という映画を観た。2024年に公開された日本映画である。WOWOWで放送したのを録画した。
久しぶりの時代劇だ。碁盤斬り? 一体どんなストーリーを見せてくれるのだろうと楽しみに再生を始めた。少したって、ふと気がついた。
「これ、落語の『柳田格之進』の映画化じゃないか!」
いや、だから見る気をなくしたのではない。あの落語をどう映像化したのか、ますます興味が湧いた。
落語「柳田格之進」をご存知ない方のために、ざっとあらすじをご紹介しよう。
柳田格之進は、正直の上にバカがつく謹厳実直な武士だった。その性格が災いした。周りから浮き上がり、とうとう藩から放逐されていまは江戸で浪人暮らしだ。妻には先立たれ、娘のお絹と二人で細々と暮らしている。
両替屋・万屋源兵衛と知りあったのは碁会所だった。無聊を持て余す格之進に、お絹が
「碁会所にでもお行きになったら」
と勧めたのだ。碁は格之進の唯一の趣味だった。だが、強くはない。
万屋源兵衛も碁に入れ込んで碁会所通いを続けていた。だが、格之進同様、強くはない。初めて碁盤を挟んだ2人の腕前は、ほぼ互角だった。それに、格之進の碁には実直な性格がよく出ていた。その人柄に惹かれた万屋源兵衛は、
「碁というものは勝ったり負けたりが楽しいもの。いかがです、我が家で差しませんか?」
と格之進を誘う。
思いは格之進も同じだったのだろう。
「それでは」
と誘いに応じる。
万屋源兵衛は格之進とともに過ごす時が重なれば重なるほど、格之進に惹かれた。これほど信じることが出来るお武家様、いや人がいようか、とまで思うようになった。
不幸は、2人が万屋源兵衛宅で碁に熱中している時に起きた。次の手に集中している万屋源兵衛に、番頭が50両の金を持ってくる。ある取引先が返済に来たのだという。50両は受け取ったものの、万屋源兵衛は上の空である。頭には碁盤のことしかなかったのだ。
そして翌日、番頭が
「あの50両は?」
と万屋源兵衛に尋ねる。そういえば、うっすらと50両受け取った記憶はある。しかし、あの金をどうしたろう? 格之進と碁を差していた部屋を探すが見つからない。やがて番頭は
「ひょっとして柳田様が……」
と格之進が持っていったのではないかとの疑いを口にする。
万屋源兵衛は烈火のごとく怒った。
「こともあろうに、柳田様を疑うとは! あの方は、そんなお方ではない!!」
が、番頭は引かない。
「人間、出来心ということもありますから。お設けしたところ、柳田様は暮らしにお困りのご様子で」
「何を言うか。柳田様はそんなお人ではない!」
万屋源兵衛は
「50両は私の小遣いに使ったことにする」
と幕引きをはかった。
が、番頭は幕を引かなかった。自分の忠義ぶりを主人に売り込みたいという下心もあったのだろう。格之進が住む長屋まで出かけ、
「ほかに50両を持ち去ることが出来た人はいない」
と格之進への疑いを口にする。揚げ句、50両が出てこなければ奉行所に訴え出るしかないと言い残して戻っていった。
身に覚えのないことだが、奉行所に訴えられては武士の面目が立たない。格之進は切腹を覚悟する。止めたのは娘のお絹だった。自分が吉原に身を落として50両の金を作る。盗んでない以上、いずれ50両は見つかるはず。その時、私を身請けしてもらえばいいというのである。
格之進は断腸の思いでお絹を吉原に売る。その金を万屋の番頭に渡す時にいう。
「私は盗んでいない。もし金が見つかったらどうする?」
番頭は、
「私と主人の首を差し上げます」
と断言した。そして格之進は江戸から姿を消した
その年の大晦日、万屋は年末の大掃除をしていた。すると、額の裏から50両が出てきた。あの日、万屋源兵衛が小用に立った時、何の気なしに50両をそこに置いていたのだ。
そして年明けの4日、年始回りに出た番頭は湯島天神の近くで身なりのいい武士から声をかけられる。柳田格之進だった。藩への帰参がかない、江戸留守居役に出世していた。
番頭は仕方なく、年末の大掃除で50両が見つかったことを話した。格之進は
「明日行くから待て」
といった。
首を討たれる。万屋源兵衛も番頭も覚悟を固めた。格之進が姿を現すと、2人はお互いをかばいあった。店の者の振る舞いは主人である私の責任、という万屋源兵衛。いや、あれは私の一存でやったこと、主人は知らなかったことですという番頭。その2人を前に格之進は刀を抜く。覚悟を固めて首を差し出す2人。気合いとともに刀が振り下ろされた。切り裂かれたのは碁盤だった。
という話である。なぜか、娘のお絹のその後はあまり語られない。演者によっては、出てきた50両で身請けされたり、廃人になったり、廃人一歩手前のお絹を番頭が看病したことがきっかけになって2人が一緒になったりする。
さて、これを映画はどう改作したか。
映画の格之進は碁の名人である。彼の藩にはもう1人碁の名人がいて、何かと格之進を目の敵にする。この男はワルで藩の財にも手を付けており、一緒に不正を働いた藩士たちを告発した格之進が目の上のたんこぶだった。格之進が班を追われたのは、この男の陰謀の結果だ。そしてこの男は格之進の妻に横恋慕しており、とうとうレイプしてしまう。格之進の妻はそれを恥じ、入水自殺をしていた。
なるほど、30分か40分で終わる落語を2時間の映画にするには、こういうアナザー・ストーリーも必要だろう。それはよい。そして、江戸を去った格之進が、妻の敵を追いかけるのもありだと思う。
だが、なのだ。落語でこの話にすっかり馴染んだ私には、とても違和感を持ってしまったシーンがいくつもあった。
浪人の身である格之進は、篆刻で生計を立てているらしい。私たちが最初に見せられるその客は、なんと、吉原の遊廓の女主人である。そして格之進は、この女主人と親しいらしい。吉原に身を沈める決意をしたお絹が身を寄せるのも、この遊廓である。
だが、謹厳実直、まじめを絵に描いたような格之進が、遊廓の女主人と仲よくなるか?
これが第1の違和感である。それほど人間性に幅があれば、人を許す心があれば藩から追われることはなかったのではないか?
最初に登場する万屋源兵衛は嫌な親父だ。碁会所で賭け碁をする。極めて強く、勝負は常に万屋源兵衛のものだ。おいおい、両替商を営む金持ちが、賭け碁なんてするか?
格之進と万屋源兵衛が初めて出会うのも、この碁会所である。そして格之進は、遊廓の女主人から受け取った篆刻の代金、1両を賭けて万屋源兵衛と碁を差す。そして負ける。
あのねえ、謹厳実直な格之進が賭け碁なんてするか? それに、大家には長屋の店賃を催促され散る最中なのだ。それでもなけなしの1両を賭けるか?
さらに、である。万屋源兵衛は店に戻ると使用人を怒鳴り散らす。掃除がなってない、帳面があわない。賭け碁で小銭を稼ぐことに喜びを感じている万屋源兵衛は、いけ好かない親父なのだ。
そのいけ好かない親父が、格之進と碁を打ち続けるうちに格之進の高潔さに触れ、すっかり善人に変わる。そんな人物造形なのだ。
しかし、落語の万屋源兵衛は、こころから格之進を尊敬する善良な人物として描かれる。全体の流れを見る限り、落語の方に軍牌を上げざるを得ない。
最大の違和感は、お絹のその後である。
映画は、
「あんたが取ったんだろう」
と格之進に詰め寄る役から番頭を外した。代わりに出てきたのが、万屋源兵衛が引き取った身よりのない奉公人である。何でも武士の子で、万屋源兵衛は身代を継がせようと思っている。
この男がお絹に惚れる。そして、格之進が50両を盗んだに違いないと思い込む番頭が、格之進の元に取り立てに行かせるのがこの男なのである。50両が出てきたら、私と主人の首を差し上げます、といってしまうのも、この男なのだ。お絹が吉原に身を沈める原因を作った男とも言える。
ところが、なのだ。映画の最終幕、この男とお絹が祝言を挙げているではないか! そりゃあ、若い2人である。互いに惹かれあったこともあるだろう。だが、お絹にしてみれば、父を犯罪人呼ばわりした男である。吉原に身を沈めねばならない原因を作った男である。そんな男と所帯を持つ女っているか?!
なんとも理解できないのが、格之進のその後である。格之進は
「帰参せよ」
という藩主の誘いを拒絶し、浪人を貫くのだ。おいおい、あんたは金を稼ぐ才知には欠けているようなのにどうやって暮らしていく気なんだ? 格之進のその後がなんとも不安である。
笑ってしまったのは、お絹が身を沈めた吉原の遊廓の女主人のせりふだ。
「お絹ちゃんはお引き受けします。すぐに店に出すことはしません。でも、お渡しした50両が年末までに戻ってこなかったら、私も鬼になります。お絹ちゃんを店に出し、客を取らせますからね」
えっ、この脚本家、落語「柳田格之進」だけでは済まず、落語「文七元結」まで使ったの? まあ、落語をベースにシナリオを書くんだからそれはいいけどさ、あなた、このせりふをキョンキョンこと小泉今日子に言わせたかったの?
そういえば、キョンキョンにはこんなかっこいいせりふもあった。
格之進が50両を持って遊廓に行ったのは年が明けた1月1日だった。
「遅れた。済まぬ」
という格之進に、キョンキョンはいう。
「そんな約束、しましたっけ?」
なるほど、遊廓の女主人ではあるが、なかなかかっこいいではないか。
しかしこの映画、柳田格之進という落語を下敷きにしながら、人物造形で間違ってしまったのではないか。私にはそう思えてならない。